俺のボケで最後に大いに盛り上がったお茶の時間はお開きになり、次の部屋へと移動することになった。
「次のお部屋は外の光に目を慣らしていくため、ほんの少しだけですが明るくなっています」
「ええー、もう終わりなのかぁ〜?」
 ナルトの残念そうな声が上がる。
「私、折角早く動けるようになってきたところなのになぁ〜」
 確かにもう九〇分近く経ったなんて信じられない。真っ暗な中なのにこんなにも時間を忘れて夢中になれるなんて、思ってもみなかった。まさか暗闇に後ろ髪を引かれる日が来ようとは。
「うわ、なんかすっげ明るく感じるってばよ〜」
「わぁ明るい〜、これでもちょっと眩しいくらいね」
「ほんとだ…最初に入った部屋より暗いはずなのに、すごく明るく感じますね。いつの間にかこんなにも暗さに目が慣れてたんだなぁ」
「ね」
 眼を細めながら一人ずつ小さな部屋へと入っていく。もう足が出る先を気にしている人は誰もいない。部屋の中央にはガラス天板が入った小さな丸テーブルがあり、明かりはその中に仕込まれているらしかった。テーブルには厚手の布らしきものが掛けられているが、それを通して漏れてきているごく微かな光ですら、目を細めたくなってしまう。
「では皆さん、白杖を脇に置いて、テーブルのまわりの椅子に腰掛けて下さい」
「はぁーい」
 皆で直径六〇センチほどの籐のテーブルに集う。六人の顔が淡い光の中に浮かび上がり、久し振りに目にしたまだちょっと「見知らぬ顔」と名前をリンクさせる。知らないのに知っている。それは何だか不思議な感覚だ。
「さっき羊毛で作った作品、お持ちですか?」
「「「はーい」」」
 言われてめいめいがポーチから毛玉を取りだす。
「ではそれを、このテーブルの下に入れて皆さんに見せて下さい。どんな作品が出来上がったか、ここで鑑賞会にしたいと思います」
 要は硝子テーブルを通して見る影絵遊びという趣向のようだが、ここまできても直接明かりの下で見せ合うのではなく、影にしてワンクッション置くというのが何とも面白い。
 てっきり布で覆われているとばかり思っていた天板部分は分厚い和紙で覆われていて、何とも言えない味わい深いテクスチャーがガラス板一面に浮かび上がっている。ビロードの布に覆われて小さなこたつのようになったテーブルの中に手を入れると、大小何本もの手指が光の中にふわっと浮かび上がった。それぞれ手に手に小さな作品を持っている。その淡い光景が、何だかとても懐かしいものに感じられ、愛おしく映る。
「私のはこんな感じになりました。毎日やっていても、なかなか丸くはならないですね。難しいです」
「ああーんヒナタのはきれいにまとまってるわよー。私あれだけ細かくちぎったのに、結局ガッタガタなのよねー。あ、サスケ君まあまあきれいにまとまってる。わあっ、カカシさんすごいきれい。そんなに手が大きいのに、なんでそんなにきれいに丸くできるの〜私立場ないぃ〜」
「まっ、たまたまね? イルカ先生は…凄いですね。流石忍者だけのことはある」
 途端、またみんなが一斉に噴き出す。
「だっ…だから上手くいかないって、言ってたじゃないですか〜。俺にはほんと難しかったんですって〜」
 丸くするどころか、真っ二つに割れてしまっている。くそう、家に帰ったら絶対きれいに丸めて…
(……いや、このままで、取っておくか)
 よくわからないが、明るいところできれいに一つにしてしまうのは、何だか違う気がした。
 だがこの作品鑑賞会を一番盛り上げたのは俺ではなく、ナルトだった。
「オレのなんて見てくれってばよ。ホラ、穴が開いちまってよ」
 ナルトの人差し指の先に、ぽってりとした丸いものが刺さっている。しかも指先がちょこんと出ていて、まるで指人形のようだ。ここに小さな子供がいたら喜んだだろうに。
「やだ、あんたもへんなとこ器用ね。ボールって言われてそれなんて、なかなか出来るもんじゃないわよ」
「へへっ、そうだろそうだろ〜?」
「褒めてないぃー」
「ナルト君のは、指輪みたいな形ってことですか?」
(ぁ、そうか)
 ヒナタの質問を耳にして、見える世界に来た途端、またすぐに視覚中心のコミュニケーションをしてしまっていたことに気付いていた。今の今まで色んな「物の見方がある」と教えて貰っていたのに、自分はまだまだ学び足りないらしい。
 だが聞かれたナルトは、そこからちゃんと一歩を踏み出すことを忘れなかった。
「そうそう、ヒナタも触ってみろよ、ほら」
「…ぇっ」
(ぁ?)
 ナルトがヒナタのほっそりした手を取ったかと思うと、中指に自分の作ったそれを通してやっている。
(おぉっ、みんなの前でやるなぁナルト〜)
 多分、他のみんなも多かれ少なかれおなじ事を思ったのではないだろうか? あれ? 考えすぎか?
「あっ?! あのっ……はっ、はいっ! とても上手に、できていると、思いますっ」
 ヒナタは自分の指にはめられた温かな毛糸リングを、何度も触って確かめ確かめ喋っている。
「だろだろ〜? それヒナタの指に丁度いいみてぇだから、やるってばよ」
「ぇっ?! そっ、そんな…あのっ…」
 ナルトの隣のサクラが、目を丸くしてこちらに視線を送っている。その表情は、如何にも何か言いたげだ。
 隣にいるカカシさんが目尻を下げながら軽く頷くことで応えてやっているのを、温かな気持ちで見つめた。

「――はい、ではここの明るさには慣れてきたと思いますので、更にもう一段階、明るい部屋に移りましょう。どうぞ」
 やがて気を取り直したらしいヒナタが、薄暗がりの中で胸に手を置いて一つ深呼吸をしている。その背筋を伸ばした後ろ姿に、みんなで続いた。

「…わ、またちょっと明るくなったってばよ」
「ここはさっきほど粒子の粗い暗さじゃないのね。均一に薄暗いって感じ」
 サクラが暗闇を上手いこと表現している。さっきまで俺達が体験していた漆黒の闇は、まるで空間全体にどっぷりと墨を流し込んだような暗さだったが、一段明るくなって影絵遊びを楽しんださっきの部屋は、光量が足りないせいでざらざらとした、粒子の粗い闇だった。
 そして更にもう一段階明るいこの部屋ではそのざらざら感がなくなって、まだかなり暗いながらも全てのものが滑らかに見えている。
「暗闇体験はここが最後の部屋になり、この先はさっき皆さんが待機していたロビーになります。ロビーでは皆さんにアンケート用紙をお配りしますのでご感想など自由に書いて頂ければと思いますが、このメンバーで集まるのはここが最後かもしれませんので、この体験で印象に残ったこと、感じたことなどありましたら聞かせて下さい」
(そうか…)
 『このメンバーはこれが最後』というヒナタの言葉に、少し寂しい気持ちになる。この後カカシさんとは呑む約束をしたが、それとて?み終わればそれまでだし、ナルト達に至ってはここを出ればそれまでで、それぞれの場所に帰っていくものとわかっていても残念でならない。
「では…どなたから」
「んじゃオレな? んーーそうだなぁ〜…印象的、インショウテキ…、…あぁそうだ、ここでは学校の勉強がぜんぜんダメでも、イジメられてても、お金持ちでもそうでなくても、そんなことは関係なく誰でもおんなじように楽しめるんだな、って思ったことかな。それってばけっこうスゲーことじゃねぇ? 父ちゃんが『面白いと思う』って言ったのは確かにその通りだと思うから、帰ったら母ちゃんと三人で話しするってばよ。ヒナタもありがとな!」
 じっと耳を傾けていたヒナタは満面の笑顔で頷きながら「ありがとうございます」とだけ返しているが、担当したスタッフとしてはこれはきっと最大級の労いの言葉だったろう。
 だが続いてサクラに話が回ったところ、その彼女が頓狂な声を上げた。
「えっと私はぁ…――ってえぇっ!? ちょっとなに!? アンタずっと裸足で歩いてたのー!?」
(裸足?)
 言われて目を凝らしながらナルトの足元を見る。と確かに彼の足首から先が白くぼんやりと浮かんで見え、何も履いていないことがわかる。片腕には靴らしきものがひと揃い。
「んぁ? まぁな。そのほうが中の様子がよくわかると思ってよ」
「水琴窟の所でイルカ先生を待ってる間に脱いだ」ということだが、ということはかなり早い段階から裸足だったということで、暗がりにも薄く汚れて見えるその剥き出しの足を、皆でまじまじと見下ろす。
「ヒナタは、そのことに気付いてたんだ?」
「ぁ、ええ、はい。途中から四人分の靴音しかしなくなったから、多分そうかな、と…」
 尋ねたカカシさんも流石なら、応えたヒナタも流石だ。俺ならどう言われても全くわからないだろう。彼女によるとごくたまにだが、そうやって自ら裸足になったり、普通の人では気付かない高い所や隅の方の仕掛けに気がついたり、時にはアテンドだけが出入りするスタッフ用のバックステージを見つけて進んでいってしまうような猛者もいるらしい。
「フン、道理でナルトだけがどんどんと先へ行けていたはずだな」
「いやサスケ、それだけが早く進めた理由じゃないよ」
(ああ、そうだな)
 カカシさんの穏やかだけれどきっぱりした声に、一つ相槌を打つ。
 あの暗闇だったのだ。一寸先に何があり、これから足元がどうなっていくか全くわからない中、靴は絶対に必要不可欠なアイテムだったはずだ。裸足ではすぐにも足を切ったりぶつけたりして、下手をすれば途中で前に進めなくなるかもしれないと考えるのがごく普通の感覚だろう。無意識のうちに団子になりがちな中では、周囲の人に踏まれる可能性も高い。それでもなお、裸足になって前に踏み出し続けることができる勇気と好奇心がなければ、とても出来ることではない。
「ナルト、お前すごいなぁ」
「ね」
「そうかぁ? オレ今でも裸足で公園とか家の芝生歩いたり、夜も家の木や屋根の上に登ったりしてんぜ?」
 どうやら本当の忍者は他にいたらしい。
「あぁそれ私も子供の頃はしてたけど…いつの間にかやらなくなっちゃったわね。積もった枯れ葉を踏むのとか、結構好きだったのになぁ」
 何となくしんみりとした空気が流れる。でも今ここで話を終わらせてはいけない気がする。
「確かにやらなくはなってたけど、その気になれば今でもやれるし、楽しめるんじゃないか?」
 例えば、夜風呂の明かりを消して入ってみるとか。
「ああそういうことなら、目ぇつむってどこまで自転車漕げるかとか?」
「それは教師としては勧められないがな。まぁそういうようなことだ」
 人は変われる。変われるだけのものを、皆それぞれ持って生まれてきている。今日はそれがわかっただけでも大収穫だろう。
 ちなみに彼のその「裸足の冒険」には、小さなオチがついていた。
「あれぇ? おっかしいなぁ、靴下が片っぽねぇってばよ?」
 脱いだとき靴の中に押し込んでおいたそうだが、どうやら途中で落としてしまったらしい。
「もう、バカねぇ。まぁでも靴がなくなったわけじゃないんだから帰れるわよ」
 「あの中を裸足で歩けたんなら、家まで裸足だったとしても問題ないとは思うけど」などと冷やかされている。
「あの、ナルト君、今日全ての回が終わったら、私探しておくから」
「おうっ、ありがとなヒナタ。んじゃまたここの内容が変わった頃に、今度は父ちゃんと母ちゃん連れて取りにくっからよ!」
「ぁ、うん、待ってる、ね」





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