「――そうねぇ、最初女の子の参加者が私一人だったから、正直ちょっと引いちゃってて大丈夫かな〜なんて思ってたんだけど、もーぜんぜんですっごく楽しかったです」
 騒ぎに一段落ついたところで、サクラが話を再開している。
「満員電車の中で人と近いのは嫌なのに、ここだと安心出来るのが不思議で、それってなんでかなぁとか? これってこのメンバーでなくて他の誰であったとしても、同じように感じたのかしら、とか? あと一人じゃ何も出来なかったと思うけど、さっき会ったばかりの人とでも、意外と協力してできるもんなんだーって、初めて思ったかも?」
「ああ、そうだな」
 俺ですら心強く思ったのだ。女性はもっと強く感じたかもしれない。
「私漠然とだけど、卒業後の進路は医療かなって思ってるから、今日のことがいつかなんかの役に立ったらいいなって思ってまぁす」
 サクラはとても頼もしいことを淀みなく話してくれた。彼女なら将来立派な医療従事者になるだろう。
「サスケ君は? どうですか」
「――…」
 だが話を振られた青年は、じっと俯いたまま黙り込んでいる。声を出さないと自身の存在が消えてしまいかねないあの暗闇でも、彼はほとんど声を上げなかった。きっと芯の強い子なんだろう。恐らく今も何かしら考えていることはあるのだろうが、それを言葉にする否かで迷っているのかもしれない。その揺らぎが鎮まるのを、皆で辛抱強く待つ。
「――帰って…兄貴と話す」
「えぇーー、んならオレらとも話そうぜぇ。んじゃあよ、サスケお前、今度兄貴と一緒にここに来いよ。そしたらそん時にオレも父ちゃん達と来っからよ」
「……あぁ」
(ナルト…)
 彼のお陰でチームのムードが明るくなり、真っ暗な世界でも常に気持ちを軽くして貰っていた。まだ若いけれど、将来大勢の人を引っ張っていく人というのは、彼のようなタイプなのではないだろうか、とふと思う。暗闇というある意味フラットな世界に身を置くと、普段は埋もれがちになって見えてこないことが、自然と浮き彫りになってくる気がする。
「イルカ先生は、どうですか?」
「あぁはい。そうだな…なんていったらいいのかな、真っ暗闇で三〇分くらい経った辺りからかな。自分と、自分を取り巻いているこの世界との境界線みたいなものがこう…ふーっと曖昧に感じられるような瞬間があって、どこからが自分で、どこからが自分じゃないのかがわからなくなるような感じがして…でもそれが怖いってわけでもなくて、むしろすごく自由で楽しかったっていうか。とにかく何とも言えない不思議な感覚があったな、と」
「あぁそれ、わかりますよ」
 隣でカカシさんが頷いている。後で酒の肴になるような話題が出来ただろうか。
「えぇーーイルカ先生、それってばユウタイリダツとかってヤツじゃねぇ?」
「ぷぷっ、ナルトあんた変なテレビ見すぎよ〜」
 サクラが口元を押さえて笑っているが、ナルトお前、何気に怖いこと言うのな。このトシでまだ離脱はしたくないぞ?
「ハイじゃオレね〜。んーーまっ、そうねぇ。普段見えてるってことは便利なことには違いないけど、何でも見えるせいで、見た目や肩書きや、学歴や性別なんかにも知らず知らずのうちに縛られてて、不自由になってる事もあるんだろうねぇ。見えてる世界ってのは、人から見た自分が必要以上に気になってしまう世界でもあるってことかな。そういうものがお互い全く見えない暗闇だったから、解(ほど)けた自由な気分になれたってのはあるのかも?」
(ああ…確かに…)
 カカシさんにチラ、と視線を向けられ、早々に解をくれたことに目で礼を言う。
「ここはまだ何にも囚われてなかった子供の頃の気持ちを、誰でもごく自然に取り戻せる場所なんだろうね。大昔なら暗闇は常にすぐそこにあったからいらなかったろうけど、明るすぎる現代には必要な場所なんじゃない?」
 カカシさんはナルト達にもわかりやすいよう、言葉を選んで話しているようにも思える。どことなくプレゼンに慣れているような気もするが、どういった職種なのだろう。なんだか少し興味が湧いてきたかもしれない。
 案内役だったヒナタは、全員の意見を聞いた後でも多くは語らなかった。そこから先は参加者一人一人が考えることだからだろう。
 ヒナタに促され、白杖をストッカーに戻す。彼女が「では暗闇体験はここで終了です。お疲れ様でした」と言って後ろ手に分厚いビロード布を手繰ると、そこに見慣れた色とりどりの景色が広がっているのが見える。
 俺達は顔をしかめたり眼を細めたりながら、その世界へと戻っていった。

「うわー、さっき来た時はかなり暗いと思ったのに、すっげー明るいってばよ」
「ほんと、ちょっと眩しいくらいね」
 全員で目をしょぼしょぼさせながら、ヒナタに案内されるまま、ロビーの一角に置かれていたテーブルにつく。ふと気がつくと、さっきまで袖が触れ合っていたようなみんなとの距離が開きはじめている。これも見えているからなんだろう。ただ、姿が全く見えなかったにもかかわらず、たった九〇分で心の距離は驚くほど近づいている。
 サクラは「なんだか色んなものを触って確かめたくなっちゃう」と言いながら、目の前に置かれていたアンケート用紙や木製のテーブルやボールペンなどを指先で次々触っている。暗闇とは、本当に不思議な場所だったな、と改めて思う。
 アンケートは小学生程度の子供にもわかるよう、文字も質問内容も平易に書かれていた。十分なスペースが取られているそこに、思いつくままつらつらと書き連ねる。いつか自分が受け持つ生徒達と一緒に、このアンケートを書けるといいな、と願いつつ。
 ナルトはアンケートには向き合うことなく、手にボールペンを持ったまま、テーブル脇に立っているヒナタとあぁだこうだと中での続きを話している。サクラは「みんなでお気に入りのお菓子を持ち寄って、中で交換会とかどうかしら?」などと言いながら、せっせとアイデアを書き付けている。サスケは…と見ると、前にテーブルに両肘をついて、アンケート用紙を見下ろしたままじっと俯いている。
「サスケ、アンケートは無理に書かなくてもいいんだぞ?」
「? …あぁ」
 黒髪の青年は、名前を呼ばれたことではっと我に返ったという感じで、どうやらそれまであれこれ考えを巡らしていたらしい。
「帰って兄さんと何か少しでも話が出来れば、それで十分さ」
 必ずしもこの場で何かを表現する必要はないのだ。例え帰って誰とも話をしなかったとしても、本人が感じて思うことがあったなら、もうそれで。
 ふと(カカシさんは…?)と何気なく反対側を見る。と、もうはや書き終わったらしく、用紙を裏返してしまっている。ニコニコしながらこちらを見ている男と目が合って、慌ててペンを取り直し、用紙に向き直った。


     * * *


「さっきよォ、この辺でサクラちゃんに会ったんだよな!」
「はいはい。後ろからいきなりこのテンションで話しかけてくるからびっくりしたわよ〜」
 先頭を行くナルトが後ろ向きに歩きながら、大きな交差点を渡っている。気のせいだろうか、街頭を照らす大小幾十かの明かりが、いつになく煌びやかに見える。
 ロビーでひとしきり話をしたあと、会場を後にしていた。その間にも、暗闇に入っていくグループと出てくるグループを目にしたが、性別や年齢、国籍までが様々のうえ、中から出てきた時のリアクションも当然三者三様十人十色で、これは本当に一期一会の貴重なコミュニケーションの場だったんだな、と実感していた。サイトに「一度に一緒に入れるのは四人まで」とあったが、こういうことだったかと思う。もしも自分の所の生徒が参加出来ることになったなら、他校や他団体にも働きかけて合同でやるべきだろう。
「んじゃサスケ、ここからちょっと目ぇつむって、どっちが上手く歩けるか競争な?」
 言うやナルトはもう目を閉じて歩き始めている。その脇で、カカシさんが「ナルトはあと10歩で段差ね。5、4、3…」とカウントしたり、サクラが「じゃあサスケ君、そこで右に90度!」などとナビしているのを、一緒に声を掛けながら見つめる。不思議だ、ナルト達と年はだいぶ離れているはずだし、さっき会ったばかりだというのに、まるで兄弟かなにかのようにおなじラインで繋がっている気がしてならない。
 俺達五人は、あの暗闇で何を見たんだろう?

「…んっ? なんかすっげぇいい匂いしねぇ?」
「ぁ? なんの匂いだ?」
 駅に向かう坂道を、サスケを一歩リードする格好で歩いていたナルトが、急に立ち止まったかと思うと天を仰ぐような仕草をしだした。目を閉じたまま、盛んにくんくんと鼻を鳴らしている。
「いい匂い? 別にしないけど。ちゃんと前向いて歩きなさいよ、五メートル左、看板あるわよ」
「……ラーメン、だな」
(ラーメン〜??)
 サスケが目を閉じたままぼそりと呟いて、再び辺りを見回す。
「うーん? それらしき店は見当たらないけどなぁ?」
 カカシさんも首をすくめて見せている。そもそもこの一帯は地価の高い住宅街で、駅まで続くこの一本道の両脇にも洒落たインテリアショップやフレンチなどの飲食店はちらほらあったものの、ラーメン屋はなかったと記憶している。
「いんや、したってばよ、なぁサスケ」
「あぁ」
 それでもナルトは確信を持っているらしい。
「…わかった、じゃあそのままゆっくり歩いてろ、な」
 ナルト達に言い残し、一番近くにあった細い路地に入った。


     * * *


「――ははっ、まさか本当にあったとはなぁ」
「ほんと信じらんない。目を閉じてるからって、そこまで嗅覚が敏感になるってあるかしら」
「まっ、好きなんでしょ」
「おうっ!」
 ナルトが暗闇で感じたことを何とか証明してやりたくて、たまたま目についた路地に入ったのだが、奥まったそこに小さなラーメン屋を見つけて驚いていた。
 すぐに取って返し、「折角だからみんなで食べていかないか?」と提案すると、子供達は大喜び。「ぃよっしゃあ! んじゃみんなでカカシさんのゴールドカードをうならせてやろうぜッ!」などと調子のいいことを言いながらどやどやと席についていた。カウンターだけの店ではあるものの、場所柄か内装もメニューも洒落ていて、これでお替わりを連発されたら、俺の財布も唸りだすかもしれないが構いはしない。
 子供達に「お前ら、家に晩飯いらないってちゃんと連絡しとけ? 今頃きっと心配してるぞ」というや、めいめいに携帯を取りだして連絡をはじめている姿を見守った。
 
 店主に「この子が匂いを嗅ぎつけたことで見つけた」というと、「ワークショップに勤めているアテンドのスタッフ達も、同じようにしてここを見つけて通っている」という。スタッフ達と付き合いが長いらしい店主によると、彼ら視覚障がい者の人達は、この店内に座ったまま遠くから流れてくる野球場の音を聞いて、どことどこが試合をしているかを正確に言い当てたり、コンビニの前を一瞬通るだけで、そこから流れてくる音と匂いで店名がわかったりするらしい。元の職業もプログラマーだったり音楽家だったり幼子の母親だったりと幅広く、陽気かつ気さくで俺達と何ら変わりないという。
「目ぇ閉じたままでもギョーザは食えるけど、ラーメンは難しいってばよ?!」
「いや、箸先に集中すれば問題ない」
「わ、サスケ君上手〜〜」
 脇でナルト達が相変わらずチャレンジャーなところを見せている中、カカシさんと酒を呑みつつラーメンを啜る。旨い。この店はアタリだ。
 俺はいつも通り味噌ラーメンとビールだが、カカシさんは豚骨と赤ワインを注文していて、そんな組み合わせを注文したことにも、またそんなものを用意してある店にも驚いていた。しかも一口ずつ味見させて貰ったが(今日は貰ってばっかりだ)、めちゃくちゃ合う!
 すっかり感動しながら「なんでこんなこと知ってるんですか?」と聞くと、滞在していたニューヨークのラーメン屋で知ったという。
「へええぇ〜、にゅーよーく〜〜?」
 てっきり国内のグルメ雑誌の名前でも出てくるのかと思いきや、海外で流行っていると聞いて目をぱちくりさせる。今日という日は色んな価値観を端からぶっ壊して楽しく作り直す記念日らしい。
「あの、カカシさんて何やってる方なんですか?」
 明るいところに来てもなお、話を聞けば聞くほど謎めいてくるようで、思わず聞いてしまう。
「ん? 知りたい?」
「ぁ、はい!」
 気がつけば彼に向かって身を乗り出している。




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