「――ふふ、…ナイショ」
「えぇぇーーー?!」
(ううん…、なんでここまでガードを固くする必要があるんだか…)
 何か口を重くしている理由でもあるんだろうか。ひょっとして…産業スパイ!? いや政府の秘密工作員か何かか?? ってまさかな。俺もまださっきの興奮の余韻を引きずっているのか、考えることが飛躍しすぎだ。
 暗闇から出ても、彼の姿だけはなかなか見えてこない。
 ただカカシさんが答える直前、チラと俺の後ろを見た気がして、何の気なしに振り返った。と、今の今まで暗闇ラーメンで騒いでいたはずの三人が、揃いも揃ってこちらを注視している。
「なんだお前ら、もう食べ終わったのか?」
「ぁ? まだだってばよ?」
(は〜〜…まったく…)
 そそくさと丼に向き直って箸を動かしだしている三人に苦笑いするが、自分とて彼らと何ら変わりない。いやむしろ。
(いつの間にかこいつらより俺のほうが、よっぽど知りたがってる、かもな?)
「ん〜〜じゃオレのこと話す前に、イルカ先生のことから教えて貰っちゃおうかな〜」
 この男、最初に俺のウエストポーチに財布を突っ込んできた時にも思ったが、絶妙に調子がいいところがあると思う。それが決して図々しいまでいかないのは、それ以上に俺が要所要所で助けて貰ったり(五円)、ちょこちょこと味見をさせて貰ったりしているからだろう。餌付けで誤魔化されるというのも、教師としてどうかと思うが。
「俺は最初に言った通り、高校の教師ですよ」
 何となくちょっと負けた気がして、自然と尖ってしまった口で切り出す。
「公立の?」
「ええ。実は自分の所の学校で、ここの体験を授業の一つに出来ないかと思って個人的に偵察に来てたんですが、思ってた以上に面白かったんで、正式に提案してみようと思ってます」
「そ」
「いけませんか?」
 ごく軽い感じで相槌を打ったかと思うと、俯いてふっと小さく笑っていて、内心ムッとしながら言い返す。
「アンタさ、日頃から学校側に煙たがられてない?」
「っ、それでも体験させてやりたいって思ったんです。きっと同じ一時間教室でやる授業より、将来役に立つと思うんで」
 知識だけあってもダメなのだ。多様性を理解して、周囲と協力しあえなくては、折角身につけたものも持ち腐れになってしまう。
 その必要性を理解してもらうのは至難の業だし、そんなゆとりがどこにある、と一笑に付されるのもわかってはいるけれど。
「…まっ、そうね。時間は何とか捻出するにしても、問題は入場料でしょ」
「ぁ…? はいっ」
 と、それまで単なる興味本位で人を酒の肴にして楽しんでいるとばかり思っていたお調子男が急に具体的な所に切り込んできて、それまで斜めに構えていた体を少し向き直らせる。あくまで少しだけだが。
「残念だけど、今の料金では実現は不可能だね。団体で貸し切る料金の方が高く設定されてて一人頭六千円になっちゃってるけど、往復の交通費のことも考えたらせめて五分の一にはしないとどこにも話を持っていけない」
「そう! それです、それ!」
 思わずスツールを回して向き直る。なんだこの人、わかってるじゃないか。
「海外の暗闇体験は国がかなり支援してるから、料金はどこも日本の半分以下だそうだけど、ここはそういう支援もなくて収入の全てを参加費で賄ってるみたいだからね」
 加えて家賃の高い都心の広いフロアを賃借しているうえ、三〇分ごとにスタートするシステムのため、多くの視覚障がい者を含むスタッフを必要とする構造になっている。
「なのに開催は土日を中心とした週三日だけにとどまっていて、収益性は低い」
「カカシさん」
「ん?」
「あなた、本当に何者なんですか?」
「ん〜〜? 明るい所に出てきたら、急に気になってきちゃった?」
「…ゃっ? …そういう、わけでは…」
 おかしなところで体験ネタを持ち出されて言葉に詰まる。けれど明るくても暗くても、知りたいことは知りたいのだ。
「でもっ、カカシさんの話を聞いてるとすごくよく整理されてるし、なんというか…人前で話慣れてる感じで、やたらと自信ありげに感じるんですけど?」
 男はあっさり「ま、そうかもね?」と肯定すると、にゅんと目尻を下げている。
「オレのお仕事、ハッタリ君だから」
 おいおい、忍者がここにもいたぞ?

 背後でこっそり聞き耳を立てていたらしい子供達には「ハッタリ君て???」とハテナ印の付いた渋面を作らせたカカシさんだが、俺が振り返ると慌てた様子で三人で顔を寄せ合い、何やらヒソヒソと意見交換のようなことをしている。
 ナルトとサクラにはデザート、甘い物が嫌いだというサスケのためにトマトサラダ、そして五人分の飲み物を追加で注文する。
 彼に聞きたいことは山のようにある。だが残り時間が限られているのなら、何者であるかはひとまず後回しだ。
 グラスに少しだけ残っていたビールを勢いよく流し込むと、具体的な対策を話し合うべく、今度こそ真っ直ぐ向き直った。


     * * *


「――オイ後ろの外野、さっきからコソコソ何話してるのか知らないがな。いま何時だと思ってる。お子様はそろそろ寝る時間だぞ」
「「「ええぇーーー!!」」」
「寝るってまだ八時半じゃねぇかよー!」とか、「ラーメン代自分で払うから、もう少し居てもいいでしょう?」という言葉を軽くいなすかのように、「ハイご馳走様」と言ったカカシさんが懐から財布を出しながらスツールから立ち上がっている。
「あ、俺出します」
 慌てて尻ポケットから財布を取り出す。ここは出させるわけにはいかない。
「あぁいいよ、しまって。あれだけオレのカードネタで盛り上がったんだから、ここは本当かどうか確認するところでしょ」
 開いた長財布には、確かにキラキラとした魔法のカードらしきものがずらりと並んでいる。とそれを見ていた店主が申し訳なさそうに、「生憎うちはカードがご利用頂けませんで…」と頭を下げた。
(ほらな?)
 自分でもよく意味が分かんないけどほらな? この店に入ろうと言ったのも、追加で注文したのもオレなのだ。俺が払えば全て丸く収まる。だが「あそ、じゃまとめてこれでお願いね」といった彼があっさり大きな札を出そうとしていて焦る。負けるか!
「いいえ! こっちでお願いします!」
「ゃあのさ、もしもさっきの五円如きで恩に着てるんなら忘れて貰える〜?」
 わざとらしく耳の穴に指を突っ込んで、片頬を顰めるリアクションありがとう。それはニューヨーク仕込みか何かか?
「そんなつもりで言ってません。公務員の教師が接待されるわけにもいきませんので」
「公務員も接待もいま関係ないでしょ。オレがどこで何やってるかも知らないのに、アンタに何の利害関係があるってのよ」
(ふん、今の話で薄々見当ついたわ!)
 そして恐らくは一生平行線のまま、決して交わることなどない職種であろう事も。
 でも二度と会うことがないからこそ、ここはきっちりけじめをつけておく必要があると思うのだ。
「「さぁ!!」」
 二人から同時に万札を突き付けられた店主は、ほとほと困ったことだろう。
 結局気を利かせた店主が、折半した額の釣りをそれぞれに渡したことで事態は一応の決着をみていたが、教育という観点からはあまり宜しくなかったらしい。
 遠巻きにしていた子供達に、「あのさ、奢って貰っといてあれだけどよ。二人ともこんな所で子供みてぇなことすんなよな?」とか、「大人の男の人って支払いの時にしょっちゅうこんなことしてるの? 思わず他人のふりしちゃったわ」とか、「…ウスラトンカチ」などと口々に言われ、苦笑いをしながら店を出ていた。


 くちくなった腹を抱え、再びあぁだこうだと様々な話をしながら駅へと向かう。ナルト達はカカシさんから三種類のお札に付いた凹凸を代わる代わる触らせて貰い、そのごく微妙な触感の違いに感心したり、難しい顔をしたりしている。来る時は一体どこまで続くのかと思っていた長い長い一本道だったが、皆と歩けばそれこそあっという間だ。

「連絡先、交換しあったのか?」
 地下鉄の改札の前で立ち止まり、その先へと進む三人を見送る。自分も同じ路線だが、カカシさんが違うらしいことから、彼らとはひとまずここで別れることにする。
「とっくだってばよ!」
「先生も元気でね!」
「おうっ、ありがとな。みんな気をつけて帰れよ!」

「――あいつら、家に帰ったら家族とどんな話をするんでしょうね」
 ナルトとサクラが上りのホーム、サスケが下りのホームへと別れて降りていき、その姿がすっかり見えなくなったところでずっと上げていた手を下ろす。
「さぁてねぇ。『体験で一緒になったヘンな大人の男二人に、旨いラーメン奢って貰った!』で終わってたりして?」
「はははは! それは困るなぁ〜」
 食事の途中から、俺とカカシさんは「いかにして多くの子供達に貴重な体験をさせるか」という話に熱中してしまっていたのだが、その間蚊帳の外になっていたナルト達は、「カカシさんが何をやっている人物なのか?」というプロファイリングなんてものをやっていたらしい。
「へえそれでっ? どんな結果が出たんだ?」
 駅への道すがら、興味津々で尋ねていた。子供達の目は時としてとても正確に物事を捉えている。
「んぁ? えーと…なんだっけ? あそうそう、…ニューヨークのマフィアのボスだろ、カジノでルーレット回してるディーラー?に、サーカスのピエロに、ケッコン詐欺師に…あと忍者!」
「やぁ〜どれも面白そうだーねぇ」
 これにはカカシさんも大ウケだったが、彼らは「忍者ってセンは、ハッタリ君で検索したら出てきたけど初めて見た!」と屈託がない。そうか、そういう世代だったな。
「――ほんと、可愛いやつらでしたね」
「ん、そうね」
 みなそれぞれ個性的で素直で賢い、愛すべき子達だった。叶わぬことと知ってはいるけれど、出来ることならあの暗闇体験が将来どんな風に彼らの糧になっていくのかを見届けたいと思ってしまう。
「親御さん達も、理解のある方なんだろうねぇ」
「ええ、ほんとうに」
 海外では入場者の半分は子供だそうだが、日本では僅か3%程度の利用にとどまっているとかで、そんな中、彼らと出会えたのは奇跡といっていいのかもしれない。
 同じく、この人とも。
「今日は、ありがとうございました」
 最後にきちんと頭を下げた。あの暗闇では、一緒にいた五人の中の誰が欠けてもあの楽しさではなかった。本当に楽しかった。これまでにない、良い経験をさせて貰った。
「…ん」
 頷いたその口元が何か言いたげだったようにも見えたが、何も切り出さない。どうやら気のせいだったみたいだ。なら潮時だろう。
 ポケットの中にある財布の感触を確かめる。あるな。中の交通系のカードにも、さっきチャージした。
「…ぇっと、じゃあこれで」
「ん」
 そして今一度周囲を見渡す。改札とその周辺は、どこかを目指してひっきりなしに人が行き来している。
(えぇっと…)
 あぁ迷うな俺、誰がこちらを見ているわけでもないのだ。今こそこの場所に、あの真っ暗な空間を再現する時なんだろう。
(要は、気にしない!)
 一つ息を吸い、勢いよく肩を下ろしながら吐く。
(よしっ)
「カカシさん、目、つむって」
「ぇ、なんで?」
「いいから、目閉じて下さい」
 訝っている男に、「いいからさっさと言うとおりにしろ」という意味あいの視線を送る。と、男は慌てたように背筋を伸ばし、銀色の睫毛が密に生え揃った瞼をぱっと閉じた。はい、よくできました。
 意識してまわりを見ないようにしながら、白い手を取る。その真ん中に、ラーメン屋を出たときからずっと握り締めていたものを乗せた。そして男にしてはややほっそりめの指を、一本ずつ内側へと折り込んでいく。
(いいか、ちゃんと返したぞ?)
 暗闇でそんな風にされたほうは、どう感じるのかも含めて。
 五本の指を全て折り込んだところで手を離すと、男が目を開き、開いた手の中のものを見下ろしている。
「それ、借りてたぶんです」
 穴の開いた、ギザのない硬貨。例え彼が毎日億単位の金を動かし、その報酬が俺の想像を遙かに超える人だったとしても、これだけは譲れない。
「――はぁ〜…まったく頑固な人だねぇ」
 カカシさんはやれやれといった顔で、細い眉尻をちょんと下げている。
「…ん、でもありがと」
 男は明るい所で初めて、意識して作っていないであろう穏やかな笑顔を見せた。




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