「は? 見えて、ないうち??」
 イルカの声が、明らかに戸惑っている。このひと月の間に彼が何を考え、いまどんな表情をしているのか、少しずつだがわかるようになってきていた。もちろんそれらは想像の範囲でしかなく、確かめようもないのだが、次第に、だんだんと思い浮かぶようになってきていた。何も見えない真っ暗闇のなか、自分はそれを糧にすることでここまでやってこれたのだと思う。
「その…っ、……ありがとう」
 もしも世話人役がイルカでなく、他の者だったなら。
 オレは見えないラインを周囲に引いて、見えないことを口実に、その固いガードから一歩も外には出なかったろう。
「イルカがいてくれたから、最初の一歩が踏み出せた」
 一歩後ろに下がってしまいそうな時でも、ずっと前を向いていられた。
 もしもイルカという人を知らなければ、どこを向いても真っ暗な深い森の中、五日間も里を目指して歩くこともなかった。どこかの地点では得意の諦めぐせが出てきて、その先に今日という日があったかどうか。たぶんない。
「ありがとう」
 好きになって、良かった。
「………」
(? イルカ…?)
 だが、全てを言い終わっても一向に返事がない。
 付き合っていた時は、真っ直ぐ彼の目を見て話をすることなどまずなかった。今ではそれをとても後悔している。
(これは…ちゃんと目の方を向いて言えてなかったか…?)と心配になってきた時だった。
(?!)
 突然自分の体に両の手が回されてきた気配に、内側ではっと身をすくめる。
(イルカ…?!)
 そのままぴったりと胸を合わせてきて、すぐ耳元に感じだした男の呼吸の近さと温かさに息を呑む。イルカはなにをしようとしている? 意図が読めない。動けない。
 いままでは皿の配置を教える際も、物を手渡すときも、髭を剃る時も、彼は決して不用意には触れてこなかった。そんな男の思わぬ行動に、どうしていいかわからない。
「……お礼、だけですか?」
「え…っ」
 怖ろしく近くなった男の声に、我ながら情けなくなるような気の抜けた声が出る。
「見えなくなる直前に必死で書いたメモにも、そして今も、あなたはお礼しか書いてないし、言ってない」
「ゃ、ぇ?」
(お礼、しか、って…)
「他には何もないんですか? 半年付き合っても、そのあと一ヶ月間、一つ屋根の下で寝食を共にしても、俺って男はそんな短い一言で片づけられる程度のものでしたか?」
「イルカ!」
 男が全て言い終わらないうちに、余りのもどかしさから被せてしまったが許して欲しい。
「好きだよ。今も、どうしていいかわからないくらい…好き…」
 付き合って欲しいと告白する、ずっと前から好きだった。
「でも…フラれたから…、もう…ダメなんだと…」
 お礼の言葉に代えるしか、気持ちを伝える術はないと思っていたから。
 要するに、諦めていた。
(でももう諦めなくても、遠慮しなくても、隠さなくてもいいってこと?)
 今まで毎日がその連続だったけど、逆を試してみてもいい?


     * * *


「…んっ、…ふっ、――んんっ…」
 キスの合間に鼻からおかしな声が出る。立ったまま服の上からやわやわと股間を触られて、最初のうちこそさり気なくガードしていたものの、とても拒否しきれなくなっていた。いつまでも逃げ回ってるくらいなら、してもらったほうが気持ちいいのはわかっている。でも、だからこそ困っているわけで。
 もう一度付き合うことを了承したところ、以前、一歩も二歩も引いていたのは一体なんだったんだという積極さで、上忍はどんどん押してきだした。もちろん「嫌だ、やめてくれ」と言えばすぐに止めるのだろうが、自分はいつの間にこんなに断り下手になってしまったのか、というほど言葉が出てこない。昨日まで、「彼の希望はどんなことでも一旦は全て受け入れる」ということにしてしまっていたせいなのか? 自分はそんなに自己暗示に弱かったのか?
「ね、ベッドで脱いで、しよう?」
「ええっ?! やっ、それはっ…」
 ベルトのバックルに手を掛けられて、慌てて上から押さえた。そこは結構砦かもしれない。いやかなり砦。
「大丈夫、恥ずかしくないよ。だってオレ、何も見えてないし」
「っ、そういう…」
 ことじゃないだろう、と言いかけてみたものの、彼のこの人が変わったような積極さを見ていると、見えないことが彼にとって有利に働いている気がしてならない。実際今はまだ夕方で、カーテンからはオレンジ色の光が射し込んできている。すると自然と(こんな明るい時間から…)と思ってしまうのだが、見えない彼はそんなことには囚われていないのだ。いま彼が感じているのは、自分自身と俺の存在のみ。
(…っ)
 からからに乾いた喉で、何とか唾を飲み込む。怖いけれど、今の彼の状況はちょっと羨ましい気もする。もしもそんな風に相手と向き合えたなら、幸せなことではあるのだろう。
(う…)
 そこまで思った所で気がついてた。
(なんだよ俺…)
 なんだかんだ言ってて、実はしたいんじゃないのか?
 警護をしていたこの半月の間、彼に向かって勝手に動きだそうとする心を無視し、自制していた。そんな自分にもう嘘はつけない。
「ね、ベッド行こ?」
 キスの合間に耳元で囁かれて、背骨からぶるりと震える。
 けれどそっと背中に添えられていただけの手が、次第に強さを増してくるのを感じると、反射的に足がブレーキを掛けてしまう。ふとその一連のやりとりに、妙な既視感のようなものがあって、なんだったかと思う。
(ぁ、そうだ…)
 俺がこの隠れ家に来たばかりの日だった。見えない不安から疑心暗鬼になっていたカカシさんを何とかしてベッドから下ろそうと、こんな風に背中を押したのだった。まさに立場逆転。
 その時は彼が頑なだったため、ついつい強めに触れてしまっていたが、こうして自分に置き換えてみると良くなかったな、と思う。
(そうか…カカシさんも、不安だったんだよな…)
 どこの誰かもわからない者に、何をされるのかと思っていたに違いない。実際殺される可能性だってあったのだ。なのに黙ってその何者かの案内に従って各部屋を触って回り、何も言わずにその者の作った料理を食べていた。思えば凄いことだ。勇気というよりは、自棄に近いかもしれないが。
(うーん…、「お前は人にやらせておいて、おなじ事が出来ないのか」って、思われるのもな…)
 なんか癪だな、と思ってしまうともう選択肢はない。そっと手を引かれるがまま、寝室へと足を向けた。


「? なにイルカ、目閉じてるの?」
(う…)
 気付いても黙っていてくれればいいのに、このひと月で怖ろしく鋭敏なセンサを身に付けた男は、その心情までは察してくれない。
 この死にそうなほどの恥ずかしさは、やはり見えているからではないのかと、全ての服を脱ぎ去ったところで閉じてみているところだ。でも自主的に閉じていてもちょっとしたことですぐに開いてしまい、また恥ずかしさから固まる、を繰り返してしまっている。さっきよりノロマが三倍増しになっているだけかもしれない。
「じゃあ、これもう一度付けてみる?」
 けれど上忍の判断は光より早い。
「え? わっ、うぷっ?!」
 首元から鼻を通り、黒い布地が半ば無理やり上がってきて、何事かと慌てる間もなく目の前が真っ暗になった。
「ちょと、カカ…なんっ?!」
「それ、イルカがさっきの連中に連れてこられた時にされてた目隠し」
「ぇ?」
 気がついてなかったの? と言われたが、ずっと首元にあったらしく、灯台下暗しになっていたらしい。
「これ、取ったらダメだよ。オレ、すぐ気がついちゃうからね」
「えぇっ?! ゃあのっ、えっと…」
 気付いたらなんだってんだよと、何も考えずに言えればどんなに楽だろうと思う。
「轡もされてたけど、それはしないほうがお互い気持ちいいよね」
「くっ、くつわ…?」
 真っ暗な中、黒い布の下でぐっと眉を寄せ、小さく息を呑む。確かにこの上に轡なんてごめんだ。
(でも、お互いって…)
 あんたは俺に、どんな声を出させるつもりでいるんだ?


「ぁんっ…んっ、うんっ…、あぁ…っ…!」
 ベッドに横になり、互いのものを扱きだしたものの、早々に手が止まってしまっていた。体が熱くてたまらなくて、彼が掛けたばかりの毛布を勢いよく振り払う。行き場のないほうの手が彼の体…恐らくは首の辺り…に触れると、自分を凌ぐ熱さとしっとりと汗ばんだリアルな肌の感触にますます鼓動が早くなる。
(この…固くて真っ直ぐなラインは…鎖骨…)
 そこから少し下りた胸の真ん中あたりにある、二つのほんの小さな引っかかり。男も羨む腹筋の凹凸、へその窪み…。自分と同じ固い体のはずなのに、それだけでないものが指先からどんどん伝わってくる。
「うぅっ…くっ…」
 再び動きだした上忍の利き手は、俺のあそこと神経が繋がっているんじゃないかと思うくらい絶妙だ。何度奧歯を食いしばろうとしてもすぐにだらしなく浮き上がって、忙しない吐息を漏らすばかりになる。見えないせいで、意識の全てがそこに集中していくのを最早どうしようもない。見えなくするというのは、恥ずかしさを和らげることなどではなかった。気を散らす一切の余計なものを排除し、ただひたすらその行為にのみ没入することで、何倍にも感度を上げることだったのだと今頃気付いていた。
「ね…気持ちいい?」
 こんな状況で、他人の気遣いまで出来る上忍を、同じ男として尊敬する。いや、彼が冷静でいられるのは、俺がやるべきことを放棄してしまっているからかもしれないが、もはや返事をするのもいっぱいいっぱいで、うんうんと小さく頷くことくらいしかできない。彼のものは、俺が最初に触れた時から思わず目隠しを取って確認したくなったほど、大きく固く、熱くなって脈打っている。
 以前俺がうっかりエロ本を読み上げてしまった時、彼が「どっちがダメとかいうことはない」と言っていたのは本当だった。
(…ということは……女性とも、経験あるって…こと、か…)
「ねぇちょっと、まだ何か考えてんの?」
「えっ?!」
 言われた意味もよく分からないのに、どきりとする。
「まだ何か、余計なこと考えてるでしょ」
「余計なって…」
「目隠しまでして扱かれながら、まだ他のことを考えていられるなんてある意味すごいよ」
 いやこっちからしてみれば、俺が他のことを考えてることに気付くあんたの方がよほど凄いと思うのだが、
「わかった。もうここから先は、ココでしかものを考えられなくしてあげる」と言った上忍は、熱い口で俺のそこをぱっくりと銜えるや、じゅぶじゅぶと耳から腰の奧まで響くようないやらしい音をたてはじめた。

 彼の「わかった」が何にかかっていたのかはわからないが、他のことが何も考えられなくなったのは本当だった。
「はっ?! んんッ…?! ァ、ァ、カカシさ…っ、イク…っ!」
 真っ暗闇のなか執拗に舐められ、しゃぶられ、吸い上げられて、その瞬間は殆ど一直線に駆け上がってしまっていた。どこにも気を散らすことができず、情けないくらい全く我慢が効かなかった。予告らしい予告もなく彼の口の中にぶちまけてしまったショックも冷めやらぬ中、余りの申し訳なさに慌てて目隠しを外して何度もすみませんと謝る。
 その目の前で、俺の声など全く聞こえていないといった様子の男が何かしている。
(ぁ…)
 男の口からは、溢れ出た白いものが胸の方まで長く垂れていた。それを指の先で弄ぶようにしながらぬるぬると辿っていたかと思うと人差し指でついと拭い、何の躊躇もなく舐めている男の姿に絶句する。その姿はまるで赤子のようでもあり、獣のようでもあり。カーテンの隙間から差し込んだ残照に照らされ、匂い立つような姿から目が離せない。
「ねえ、イルカ」
「あっ?! はっ、はいっ!」
 その男が急に色の違う瞳を向けてきて、慌てて目隠しを付けた。何だか見てはいけないものを見てしまったような感覚に、胸がドキドキする。もう目隠しは取るまいと思う。いま彼と目が合ったら、わけのわからない感情で爆死するかもしれない。もう彼の目が見える見えないは関係ない。
「『すみません』はさ、ここでは禁止用語にしない?」
「へっ」
「見えてないとさ、言葉のひとつひとつが大事で、見えてる時より強く感じられるでしょ。だからすみませんとかごめんなさいはさ、やめにしない?」
「…あ…、あぁ…、はい…」
 すっかり熱くなった頭で、はい、はいと頷いていると、「ちょっと、待ってて」と言った彼が裸のまま出ていき、すぐに戻ってきた。目隠しをしているせいで、その足取りの早さ軽さがいつも以上に驚きをもって感じられる。俺は今、ベッドから下りるのも心許無い。
 と、すぐそばで小さいけれど固い、何かのフタを開けるような音がしだした。(何か手に持っている…?)と思った時、覚えのある匂いが漂ってくる。
「ぇ、それって…」
「うん、髭剃り用のオイル」
(っ…?!)
「大丈夫、剃らないよ。ははっ、オレにその趣味はないよ」
 男は「興味はあるけどね」とさらりと怖いことを付け加えたかと思うと、あっという間に俺の竿を探し当て、絞るように撫で上げてきた。
「ふあぁぁっ?!」
 その独特の手触りに、言葉にならない声を上げる。さっきも十分気持ち良かったはずが、それと今とでは肌を滑っていく感じがまるで違う。
「あ、わかった? ふふ、気持ちいいでしょ。オイルってなんでこんなに気持ちいいんだろうね」
「ゃっ…はっ、…でもっ、…おれはっ、もう…っ」
 早々に離脱してしまって申し訳ないが、一度イッたらこっちはもう十分なのだ。
「ダーメ。オレがイクまではずっと気持ちよくなってて貰わなくちゃね」
 そういって男は全く取り合わない。触感だけを頼りに竿とと玉をマッサージしているその手付きは、最初のうちこそ子供が無邪気に泥遊びをしているみたいだったが、やがてじっくり五指を絡め、俺の深いところまで探ろうとしているようなものになり…。まるで人の手指でないかのようなしなやかな動きに、自分のものがみるみる反応していくのがわかる。さっきから反り返り続けている喉と腰が痛い。
「ふふ、イルカのココ、ぱつんぱつんになった」
 男は「針でつついたら、パンて弾けそう」などと他人事のように言いながら更に袋を揉み、竿を扱く。俺の声はもう悲鳴に近い。
 と、その股間マッサージの一環というような動きのまま、戸渡りを伝って尻の間にするりと入ってきた指先に、文字通り体が跳ねた。
「はっ? なっ、なに…?!」
「ね、ここ、使わせて貰っていい?」
 さっきから少しずつ包囲網が狭まってきているように感じていた、まさにその場所にぴたりと指先が止まり、(あぁ、やっぱり…)と遠くで思う。
 でもさっきから何とかして彼のものを扱こうとしてもすぐに手が止まってしまい、何も出来ていない。となれば、そこを使ってもらうしか。
「はっ…、ぇと…、あぅ…っ、…はっ、……はぃ…」
 すると今の今まで子供のように人のものを転がしていた男が一転、急に伸び上がってきて唇を合わせてきた。そして顎が反り返るほどのキスをすると、「ありがとう。あいしてる」と言い残して下へと戻っていく。
(へ…)
 けれど、そんな言葉が頭の中を駆け巡って呆然としていられたのは、ものの数秒間だけだった。
「わあっ?! やっ…、ちょっと、まっ…うあ…ぁ…ぁ…!」
(えなに、…ゆっ、指…?!)
 ぬるりとしたものが自分の中に押し入ってくる感触に、とても足など広げていられず体を固くする。しかも勝手に閉じようとする強張った下半身を、カカシさんは持ち上げるようにしながらぐっと折り曲げてくる。
 「そこを使って貰う」ということがどういうことなのか、ようやく、本当の意味でわかりはじめていた。





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