「――カカシの状況はわかった。すまんが引き続きお前達だけでカカシの警護と世話を頼む」
「はい。失礼します」
 ぴんと張りのある声を掛けられ、パックンを肩に乗せたまま執務室の扉を閉める。
「なんだお前、交替じゃないのか?」
 執務室から出るや、肩の犬がさっさと懐に降りてきて、早速腕の中で喋りだした。ちゃっかりしたものだ。以前カカシさんと一緒に居たときには、そんな座敷猫みたいなことはしてなかったはずだが、俺はひょっとして忍犬との付き合い方を間違えているだろうか?
「ああ、どうやらそうみたいだな」
「残念じゃな。一応別の者に対する反応も見ときたかったんじゃが」
「は? 別の者って?」
「いやぁこっちのことだ」
「気にすんな気にすんな」
 執務室についてきた大小三匹の忍犬は、カカシさんの下で任務をこなしてきているだけあって、流石にチームワークがよかった。呼び寄せられた時から、何やら無言の了解というか、一定の共通認識らしきものがあるようなのだが、それについては俺だけがいまだに蚊帳の外だ。
「それよか早く肉屋行こうぜ!」
「イェー肉屋肉屋〜!」
 股の間からずぼっと頭を出してきたスレンダーな大型犬に仰け反ったものの、赤い毛並みを掻いてやる。その周囲では、長い耳を翼のようになびかせながら、グルコという犬が跳ね回っている。
「わかったわかった。じゃあこれから買い物に回るから、カカシさんの好きなものも教えてくれよ?」
「あいつはナスとサンマをやっときゃいい」
「そうか、わかった」
「ただし天ぷらにはするな。腹の中で雷切構えかねんぞ」
「うはぁ、それは勘弁だなぁ〜」
 あまりの賑やかさに、すれ違う同僚達すら遠巻きにして見守る中、アカデミーを後にした。


     * * *


「なぁ、ひとつ聞いていいか?」
「なんじゃ、肉の請求書ならカカシに回せ」
「はははっ、そういう話じゃないよ」
 肉や骨の入った大きな袋を嬉しそうに銜えた忍犬達と帰路についた道すがら、ずっと気になっていたことを切り出してみる。
「その…カカシさんがみんなを呼び寄せた時、どういう状況だったのか知りたいんだ。みんなが覚えてる…いや話せる範囲でいいから教えてくれないか? 何でもいいんだ」
 当時の状況は五代目も何も語らず、ただ「見えなくなって戻ってきた」としか聞かされていない。詳細はカカシさんが話したのだろうが、一番側にいたはずの忍犬達から何か解決の手掛かりになる話が聞けないだろうか…と思ったのだった。
 だが返ってきたパックンの言葉にはっとしていた。
「それはお前がカカシから直接聞け。我々が話すことは何もない」
(ぁ…)
「…あぁ確かにそうだな、わかった」
 きっぱり断られたことで、自分は越えてはいけない主従のラインに向かって、不用意に足を踏み出そうとしたのだと気付いていた。彼らはカカシさんと契約しているのであって、俺とは無関係なのだ。そこに他の忍犬も入ってくる。
「パックン、まぁそう言うなって。イルカだってカカシに見えるようになって貰いたくて聞いてるんだぜ。なっ、そうだろ?」
「そうだそうだ、固いこと言うなよな。オレらも肉代くらいは話してやってもバチは当たらないと思うぜ」
 前を行く二匹にそんなフォローまでされて、これは余計な気を使わせてしまったかと少々申し訳なく思う。
「いいんだ。気にするな。後でみんなが叱られるようなことはしたくないしな」
 彼らの言うことももっともで、そんなに聞きたければ帰って当人に聞けば良いのだ。今はまだ多くを話したがらないようだが、この先落ち着いてきて新しい関係が出来上がってくれば、心境も変わるだろう。
(…新しい関係、か…)
 もう一度己の言葉をなぞってみたところで、黙したまま少し俯く。
(――いや、もう過ぎたことだ。考えまい)
 溜息のかわりに半ば無理やり大きく息を吸い込んで、両手一杯の大荷物を抱え直した時だった。
「いいじゃろう。なら一つだけ教えてやる」
(ぇ?)
 さっきあれほどまでに頑なだった老犬があっさり折れてきて、さてどうしたものかと思う。
「いいのか? 後で叱られるなら無理しなくてもいいんだぞ?」
 忍犬と契約主との関係は、ともすれば人間同士のそれよりも強いと聞く。やはり余計なことを聞いてしまった気がしてならない。
「儂らが後で叱られるかどうかは、お前が誰かに喋るか否かじゃ」
 でもそこまで言われて、「じゃあ止めておくよ」と言える者がいたら、お目にかかりたいものだ。え、結構いる?
「よし、わかった。じゃあこれから聞くことは、一生誰にも喋らない。俺が墓まで持って行くよ。約束だ」
 周囲に人気がないことを確認し、下腹に力を入れてその言葉を待つ。が、「まぁでもなんじゃ、全く大した話じゃないんじゃがな?」と言われて、ガクッときていた。
「いやあの…お願いしますよ〜」
 思いのほか自分の気持ちが前のめりになっていたことに気付いて、半分笑いながら懇願する。もちろん語られた内容が任務に何ら関係無いことだったとしても、それはそれで全く構わない。全員に腹撫で300回付きで、喜んで気持ちに応えようと思う。
「カカシが儂らを呼んだとき、もう里に持って行く伝書は書き終わっておった」
 地面からひとっ飛びで肩に乗ってきたパックンが、随分と抑えた声で話しだした。
「じゃが、我々に手短に事情を説明しているうちに、何やら書き足りない項目を思いついたんじゃろうな。慌てて紙切れを取りだして、何度も頭を振りながらようよう書き付けておったわ」
「そう…ですか…」
「その短い文を書き終わる頃には、すっかり見えんようになっていて、伝書の束を儂らの体のどこに携帯させるかで、随分難儀しておった。結果的には上手いことウーヘイの首に巻かれた包帯の中に収まったんじゃがな」
(ぇ…その最後の文って…)
 俺に宛てられた文章の後半は、急に文字全体が崩れて読みにくくなっていた。
(そういう、経緯だったのか…)
 にしても、まさかそんな切羽詰まったギリギリの状況だったとは…。
 出掛ける前に見た、カーテンの隙間から僅かに射し込む光を肌で探しているような男の姿が、ふと脳裏に浮かぶ。
「………」
 そして伝書を携帯させ終えた彼は、長距離を走るのが苦手な小型犬のパックンともう一頭だけを道案内役として自分の元に残し、他の六頭全てを伝達任務に充てたのだという。
「…よく、話してくれて…。本当に、ありがとう」
 ほんの少しだけという約束が、ふたを開けば随分仔細な内容になってしまっていたが、聞けて良かった。
(カカシさん…)
 あなたには、何としても治ってもらいますよ?
 両手一杯の荷物をもう一度抱え直し、新たな家路を急いだ。


     * * *


(…掛けてない、か…)
 上忍を警護している屋敷に戻ってきて、ドアノブを回す。と、それが当たり前のようにすっと動いて、少し落胆した。何だか彼が、「どうでもいい。オレに構うな」と言っているような気がした。
 そんなこともあるかもしれぬと、出掛けに入念に仕掛けておいたトラップを解除すると、開いた隙間から肉の入った袋を銜えた忍犬が次々中へと入っていく。中は早くも大騒ぎだ。
(まったく…)
 その賑やかさとは対照的に、内側で小さく溜息を吐く。もちろん見えていた時なら、鍵などかけていようがいまいが関係なかったろう。当人も戸締まりなど気にしていなかったはずで、せいぜい外出の際に掛けるくらいだったのではないだろうか。
(いや、それとて掛けていたかどうか…)
 俺が知っている忍の中でも、はたけカカシという人物は特に「物に対する執着がない」タイプの忍だった。一度だけ彼の部屋に足を運んだ時に感じたが、もしも留守中に不届き者が侵入して借り上げの自室を荒らしたところで、身の回りのものは殆どが支給品か、幾らでも買い直しのきくものばかり。失礼ながら大きな実害があるとは思えない室内だった。実際ちょっとした言動の端々にも、「いつその時が来ても構わない」というような空気を纏っていたと思う。付き合いだした当初は、そんな彼の潔すぎる姿勢に引き寄せられていたのも事実だが、今はそんな呑気なことを言っている場合ではないのだ。俺が不在の間、誰が訪ねてこないとも限らない。取られて困るものの中に自身の命が入っている状況を、もっと自覚して貰わないと。
 そのため例え見えなくても鍵だけはかけられるようになって欲しいと考えて、「開けていきますから、掛けてみて下さいね?」と宿題を出して出ていったつもりだったが、すっかりスルーされた格好になっていた。よもや里一番の忍が「試みたけれど出来なかった」ではないだろう。
(ったく…忍犬が家の内外を守っているからって…)
 油断してるのだとしたら、別の手段に訴えるのもありかもしれない。例えば「アカデミーの方が忙しくなりそうなんで、少しでも協力して頂けると有り難いんですが?」と言ってみるのはどうだろう。警護担当者としてあまり褒められたやり方でないことはわかっているが、そういう言い方なら少しは考えてくれるだろうか。
(…って、それ以前に問題山積か…)
 思うに彼は、俺が本当にうみのイルカ本人なのか疑っていないだろうか? さっき聞いた時はノーと言っていたが、当人の信頼を得ていない状況では、こちらが何を言おうがやろうが届かない。
(もしかして、チャクラの認識も、出来てない…?)
 だとしたら、ますます厄介なことになるが、まずは本人をこれ以上不安にさせないようにしなくてはいけない。
「カカシさんただいま!」
 茄子買ってきましたよ! とことさら明るい声を張りながら中へ入った。


「? あれ? もう帰しちゃったんですかあいつら?」
「うん」
(うんて…)
 リビングに行くと、今のいままであれほど賑やかだったはずの部屋がしんとしている。
「肉は?」
「ちゃんと分けてたみたいよ」
 確かに口から提げていた外袋以外は影も形もない。とりあえず買い与えた分は、全て持って行ったようなのだが。
「もうちょっとゆっくりしていけば良かったのに」
 もっと色んな話がしたかった。全プレにするつもりでいた腹掻きサービスもまだしてなかったし。
「向こうの方がゆっくりできるでしょ」
「はぁ…」
(――そういう、もんですか…)
 今夜は賑やかになっていいと思っていたのに、カカシさんはやれ静かになったと言わんばかりだ。キバの所のように年中引っ付いているのを見ていたせいか、随分あっさりしているようにも思える。長年付き合っていれば、自然とそうなっていくもんなのか?
(まぁ…べたべたした付き合いは、元々好きじゃなさそうだけどな)
 この半日で少しずつ色んなことがわかってきたが、わからないこともそのぶん増えた。
(まさかとは思うけど…)
 人との距離というのは、一度隔たってしまうと縮められなくなってしまったりするものなんだろうか?
 なぜだかふと、そんな疑問がよぎって消えた。




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