買って来たものを敢えて声に出し、各所にしまいながら、最後に五代目から聞いた話を伝える。進捗状況は全く芳しいものではなかったけれど、会いに行くと言っておいて黙っているのも変だ。
「――そう」
 彼は報告の最後に、とても素っ気なく短い返事をした。途端、俺が別れ話を切り出した場面が否応なく思いだされて、(あの時と全く同じ返事なんだな…)などと思ってしまう。
(うあぁいかんいかん!)
 ついさっき、それとこれとを一緒にするなと念じたばかりなのに、俺は何をやっているのか。カカシさんに失礼だ。
(敵の賞金稼ぎも、何の考えもなく術を放ったわけじゃないはず、なんだけどな…)
 高名なコピー忍者はたけカカシを捕縛したとしても、代名詞である写輪眼をダメにしてしまっては元も子もない。目を傷めないようにしながら、同時に一番厄介な目を封じるには…と考えたとしても何ら不思議はない。とすればカカシさんの目が見えないのも期限付きか、或いは解術可能な術じゃないかと思うのだけれど。
 ただ、いつ解けるかもわからないものを何もしないで待ってもいられないから、五代目らが必死になって解術方法を探しているわけで、生半可な憶測を語れるような状況でもないのだが。
 上忍は、開いた瞳の奥の方で何かを考えているようではあるものの、それ以上何を言い出す様子もない。ひとまず話題を変えることにする。
「ぁ…と、大まかでも時間がわからないと不便かなと思って、時報付きの柱時計買って来ました。古道具屋で埃被ってましたけど、ちゃんと動くそうです」
「ん」
「えぇっと…あそうだ、パックン達に茄子が好きって聞きましたよ。あぁいや何が出来るってわけでもないですけど…そうだ、味噌汁に入れてみますね?」
「………」
(ぅ…なんというかこう…、やりにくいな…)
 付き合っていた時も、上忍は自分から話を引っ張っていくようなことはまず滅多になく、俺の話に短い相槌を打つことが殆どだった。それなら今と大して変わらない…はずなのに、格段に話が進めにくくなっているように思えてならない。
(ことさら何を意識しているわけでもない…はずなんだけどな?)
 近しかった頃の記憶が、かえってボタンを掛けにくくしている、なんてことがあるだろうか。
(あぁもうっ、考えすぎんなよ、俺!)
 そんな暇があったら、旨い茄子メニューの一つでも考えろ、と結論づけて流しに立った。


     * * *


 その日の夕食は、昼同様に気まずいものだった。俺の作った飯が致命的にマズかった、というわけではない。…ことを願うが、それにしてもどうにも話が進んでいかない。
「カカシさん、その後体調はどうですか?」
「――特には」
「…っと…あぁそうだ、そういえばパックン達にカカシさんは茄子と秋刀魚が好きって聞きましたよ。なんで茄子と秋刀魚なんです?」
「――ま、気付いた時には」
「ぁ…まぁ確かに好きなものって大抵そうですよね。…えと…あぁそうそう、今日肉屋に寄ったらパックン達が『ここの肉は最高だぞ、どれもすごくいい匂いがしてる!』って周りの人達にアピールしたお陰で、すごく沢山オマケしてもらったんですよ」
「――そう」
(…ぁうぅ…)
 や・り・に・く・い。
 やりとりを並べてみれば前とさして変わらないはずなのに、「付き合っている」という関係性がなくなったせいなのだろうか? 急に空気がギクシャクとして、噛み合わなさが何倍にも感じられだしている。
 その身に大きな変化があったのはカカシさんの方だ。
 なのに、俺の中も何かが変わってしまった?
 
 そうこうするうち、ちょっとした騒ぎが起こった。
「あっ、大丈夫ですか?」
 食事の後、またもや食べ残されていた皿を片づけていた時だった。ガタッという何とも不穏な音がしてそちらに頭を向ける。と、カカシさんが少し引いてあった椅子の背に、誤って手指をぶつけたところだった。今朝案内した時はきちんとしまわれていたが、忍犬を呼んだときに俺が動かして、そのままになってしまっていた。
「すみません、今の、かなり痛かったですよね」
 さっと手を引っ込めた、気持ち猫背の背中に声を掛ける。
「平気」
「でもあの、余計なお世話かもしれないですけど、やっぱり暫くは室内でも手袋は…」
「いい、いらない」
「でも、カカシさ」
「ねぇ」
「ぇっ? ぁはいっ」
 こちらに背を向けたまま急に声を掛けられることが、こんなにもドキリとすることとは思わなかった。何もわからないなりにも、何かしら予感でもしているのだろうか。
「ガキの頃にさ、今みたいな調子で何かに体をぶつけて、同じように痛かったと思う?」
「はっ?」
(なっ…なんなんだ…?)
 今の今まで聞き役…というか黙り役だったような男が、突然喋りだして焦る。ガキの頃、なんだって?
「子供の頃と今じゃ、同じ場所を同じようにぶつけても全然痛みの感じ方が違う。昔のほうが、遥かに痛かったと思うんだよね」
(…はぁ…?)
「見えなくなって初めて気付いたよ。オレは色んな痛みに鈍くなりながら忍になったんだなって」
(ぇ…)
「カカシさ…」
 折角彼が自分の思いを話してくれたのだ。何か返さねばと思うのに、咄嗟に言葉が浮かばない。
「ふっ、――だからなんだって、話だけどね」
「いいえ!」
 思いもかけず、急に大きな声が出て我ながら驚く。
(おいアンタ、ちょっと待てよ)
 一方的に話をしておいて、一方的に終わろうったってそうはいかない。俺はあんたの小話を聞きに来た客じゃないのだ。
「カカシさんにはっ、カカシさんにはまだちゃんと、子供の頃の感覚が残ってます!」
 でなきゃ、まだまだ幼いところのある下忍があそこまで瞳を輝かせながら彼との鈴取り対決の話をしたりしないし、呼び寄せた忍犬が手放しで親愛の情を見せることもなければ、火影岩から夕日を眺めて「きれいだ」と呟くこともないだろう。それに。
(…俺だって、半年も付き合ったりしなかった…)
「忍になったから、上忍になったから忘れちまったなんてことはないんです。そうじゃない! そのっ…なんていうか…っ」
(あぁくそ、なんだよ俺っ)
 こんな時に限って、適切な言葉が出てこない。何とかもう少し上手く説明したいのに、こんな言い方しか出来ない己が歯痒い。もどかしい。
「――ん、わかった」
 彼が呟くようにぽつりと答えたことで、自分がいよいよ大きな声を出していたことに気がついていた。俺の表情が見えないまま、耳だけに頼ってコミュニケーションをしている彼に、今の発言はどう伝わったのか。ひょっとして当たりが強すぎたのではないかとにわかに気になってくるが、言ってしまったものは仕方ない。
(わかったって…ほんとかよ…)
 そのまま何も言わずに自室に消えていく後ろ姿を、黙って見送った。


     * * *


「カカシさん?」
 ノックをして少し待ってから、そっと寝室のドアを開ける。
夜半はとうに過ぎているが、彼が洗面所に来たことで、まだ起きていることを知って様子を見にきていた。
 戦闘の後、昨日まで五日間も森を彷徨っていたとあれば、出来るだけ体を休める必要がある。夜は安心して眠って貰えるよう静かにしておくつもりだったが、眠れないのだろうか。少し気になって思い立っていた。
「なに」
 彼が部屋に戻ってまだ幾らも経っていないはずだ。なのにもうすでにベッドに入っていて、座った男がこちらに耳を傾けている。ベッドと各部屋との位置関係については覚えたらしい。
「いえあの、特に何ってわけじゃないんですけど。その…眠れないんですか?」
 暫くして男は、「まぁ」とだけ答えた。が、それも無理からぬことだと思う。こういう場合、目の前が真っ暗ならよく寝られるというものでもないだろう。むしろ見えないせいで一人であれこれ考えてしまう方にばかり神経がいってしまい、余計に昂ぶってしまいそうな気もする。
「何か俺に、出来ることはないですか?」
 さっきは少々強い口調になってしまい、反省していた。彼の考えを否定するつもりなど、毛頭なかったのに。
 警護については屋内外に施した結界の札と影分身とで、二重三重に守っている。でも彼のメンタルについてはいまだ一歩も近寄らせてもらえず、ひたすら遠巻きにしているばかりだ。もしも少し落ち着いてきたのなら、何か役に立てないかと思いたっていた。
「…ぃゃ、特には」
「何でもいいんです。何か不都合はないですか? 見えなくて困っていることとか」
 都合の良くないことなどそれこそ無数にあるだろうが、その中の一つでいいから解決できないかと思う。思えばまだここに来てから、彼の希望を一つも聞いていない。
「………」
「なにか、あるんですね?」
「…いや、いい」
「なんです? 本当に何でもいいですから言ってみて下さい」
「いいんだ。何もない」
「嘘だ、いま何か思い浮かべましたよね?」
 正直確信は持てなかったが、不都合が何もないわけがない。鎌をかけてみる。
 すると上忍は渋々といった様子で、「本が読めなくなったのが辛い」と言った。
(そうか本…そうだよな)
 彼が読書好きだということは、付き合った半年の間に知ることとなっていた。俺が昔読んだ本の話をすると、大抵既読だったからだ。また常に本を携帯しているらしく、待ち合わせの時は必ずといっていいほど読んでいた。それほど好きなものが急に読めなくなってしまったとなれば、確かに辛いだろう。火の国の都市部では、ラジオという音声のみの受信機が広く普及しだしているが、いかんせん忍里は障壁が高く、電波が届かない。
「わかりました。じゃあ俺が少し読み上げましょう」
「いや、いい」
「俺の任務のことなら心配しないで下さい」
 持ち帰った分はさっきあらかたやり終えたから、あとは見張りの分身を残して休むだけだ。
 本のありかなら予想は付いている。「失礼しますね」と断って、彼の支給服などが一式置かれているクローゼットにあった丸いポーチを開く。
「…あった、これですね。どこから…って、ああここですか」
 本の中ほどに、赤く色づいた小さな木の葉が一枚挟まっているのを見て、なかなか粋なことをする人だと思う。
「ええっと…じゃあ一行目から」
 小さく咳払いをする。音読など、それこそ教室で毎日やっている日常だ。雑作もない。
「――彼女は否定の意味を込めて首を振った。するとそれまでくびれた腰に回されていただけの手が、はっきりとした意志を持って動きはじめた。彼女の制止を振り切り、むっちりとした白いふっ…太腿の間へとするりと滑り込んだかと思うと、柔らかな草むらを通り過ぎ、ぴったりと閉じられた、ひっ…秘所へと…?!」
(って、ええぇ〜〜…?!)
 意味もなく何度も目を瞬かせながら、その先の活字を目だけで追ってみる。が、どこまで辿っていっても「喘ぐ」とか「濡れる」とかそんなピンク色のあからさまな単語ばっかりがずらずら並んでいて、とても読み進められそうにない。えええーー?!
「だからいいって、言ったでしょ」
 俯いたままどうにも出来なくて突っ立っていると、カカシさんが助け船を出してくれた。溜息混じりの呆れた様子だが、今にも沈没しそうな俺にとっては、荒海の中で行き会った大舟にも等しい。
「…ゃあの、すいませ…、そのっ、これって…?」
 本に挟まれて赤く色付いたのは、木の葉だけではなかった。顔が熱い。唯一の救いは、彼にこの姿を見られていないということか。
「ま、そういう話でしょ」
 このどこをめくっても色事しか書かれていないような本のことを話す際、ここまで一瞬も顔色を変えないでいられることに、同じ男としてある意味尊敬の念を抱く。が、そういう問題ではなく。
「いぇ、あのっ、そういうって、いうか…」
「なに」
 色違いの目元は、『まだ何か文句があるわけ?』とでも言いたげだ。いや木の葉の洒落た栞に感心して、勝手な純文学想像をしてしまっていた俺が悪いのはよくわかっているのだが。
「カカシさんは、なんで俺だったんですか?」
「? なんで?」
 彼の男にしては細い眉が、僅かに寄っている。
 付き合って欲しいと言われたあの時、もっとちゃんと理由を聞いておけば良かった。けどあの頃は漠然と「本当は女性避け、なんだろうな」と思っていたから。
「なんであの時、俺なんかに声掛けたんですか?」
 けれど一方では、本当にそうだったんだろうかとも思うのだ。今になってみると、女性避けが格下の中忍男である必要が本当にあったのか、と思わなくもない。
「なんでって?」
(そんなこと、なぜ今頃疑問に思うのか? ってか…)
 単調だけれど、それだけにはっきりとした返事。その響きには迷いというものが感じられない。かえってこっちが戸惑ってしまうくらいには。
「この話って…、そのっ…男女の、話ですよね?」
「知ってる」
(ゃそりゃそうだろうけど……えぇっと…)
「オレ、どっちがダメとか、ないから」
 その先どう尋ねようかと思いあぐねていたところ、思いもよらず先回りをされて、訳もなくどきんとした。
「――っそう、なんですか」
 それ以上、なんと返していいかわからない。出どころのわからない、何となく気まずい空気が流れる。
「ごめん、もう寝る」
 手探りで布団を肩まで引き寄せた上忍が、こちらに背を向ける形で布団に体を横たえて、はっと我に返った。
「ぁ、あぁはいっ」
 なにをそんなに慌てる必要があったのかわからない。何かの呪文のように口の中で「おやすみなさい」とだけ言うと、あたふたと扉を閉める。
 返事はなかった。




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