「どもっス。――兄ちゃんは、なんにするー?」
「ありがとう。俺は…そうだな、アイスコーヒーで」
「はい、お待ち下さい」
 その日は休日を利用して、初めてサクラちゃんの働く店に客として遊びに行った、記念すべき日だった。
 前々から一度座ってみたいと思っていたカフェのカウンターにいそいそと腰を下ろし、浮かれ気分でほろ苦甘いアイスココアを飲みながら、気になるあの子が元気に働いている姿を、時折見るともなく眺めて満足していた。春野サクラちゃんはこっちになど目もくれず、一生懸命接客しているけれど、そういう姿もまたいいなぁと思う。
 あ、言っとくけど、オレはストーカーなんかじゃねぇからな?


「――なぁなぁヤマトさーん、今日、みんなの仕事が終わったらよ、メシ食いに行かねぇ? ラーメンとかよ。オレ近所でうめぇとこ知ってんだ」
「どうでしょうね、カカシ先輩が戻ってきたら聞いてみますが、みんなの都合もありますからね。……ぁっ? ちょっと、待って下さい?」
 その時、店の外を歩き去ろうとしていた「彼」を、ヤマトのあんちゃんが目ざとく見つけて、店内へと連れてきていた。
 カフェ担当の彼は物腰が柔らかく、人当たりもいい。オレが昔っからよく言われている「人懐っこい」とかいうのとはまた違う感じとは思うけど、誘われたらその真面目さにちょっと断れないっつーか。よく考えもせずに断ったら、何となく後が恐そうっつーか?
 それよかカウンターの中で洗い物をしながら、他の客を案内しつつ注文を取り、更にオレとはラーメン話をしていたはずが、窓の外に知り合いまで見つけるとは。
 随分とよくまわりを見ているもんだなと感心する。三方を大きなガラスに囲われた店の外は、思い思いの格好をした人達がひっきりなしに行き交っているというのに。カフェってのはそこまで目端をきかせて、隅々まで見て対応してないといけない所なんだろうか。
(んまぁ…そうなんだろう、な?)
 カカシ店長もそうだ。配達に行くと、大抵どこを見て何を考えてるかわかんねぇ感じで、ちょっとぼやーっとしたような対応をしてくる。けど、いつの間にかちゃーんとチェックは入っていて、手はひっきりなしに動かしながらも、オレのミスや間違いそうな所はしっかり指摘してくるから不思議でならない。
 オレの職場にはそういうタイプの人はいないから(いやいるかもしんねーけど、そういうことあんま興味ねぇし)、そんな人達と互角に渡り合いながら、サクラちゃんは日々バリバリ働いているのかと思うと、ますます輝いて見えてくる。いよっ、カッコイイぜぇ、サクラちゃん! (いいか? オレは誰が何と言おうと、ストーカーなんていうつまんねぇヤツじゃねぇからな?)

 で、その真面目なヤマト氏が、長いカフェエプロンを取りながら急いで出ていって呼び止めた黒髪を高く括った人は、なぜかほんの一瞬、戸惑ったような、どこか浮かないような表情を片隅に見せていて、おや、と思ったのだった。今の顔、ヤマトさんは気付いただろうか。
(気のせいか? もしかして急いでた? それともあんま、気乗りしてねぇとか?)
 でも最終的には一つ頷いて、店内へと入ってきていた。彼はサクラちゃんとも面識があるらしく、「よっ」なんて気さくに声を掛けている。常連さんだろうか。サクラちゃんも満更でも無い様子で、「こんにちは〜、どうぞゆっくりしてらして下さいね〜」なんて笑顔で返している。ううぅーくそ〜! オレもいつかきっと、そんな風に優しく笑いかけて貰えるようになってやるってばよ! (しつこいようだけど、オレってばぜってぇ、ストーカーなんかじゃねぇからなっ!)

「カカシテンチョーなら、さっき裏にメシ食いに行ったからいねーぜ?」
 すぐ隣りに席を下ろした、パーカーとジーンズがよく似合っているその人に、挨拶がてら話しかけると。
「そうか…、…あぁぃゃ、別に、…いいんだ」
 気がきくヤマト氏に「海野イルカさんです」と紹介されても、その人はまだどことなく上の空といった様子で、はっきりしない返事をしている。
(ん? うーん…なんつーか…やっぱちょっと、ヘンじゃねぇ?)
 なんだよ、忙しいなら時間ないって口に出して言えばいいだけだろ。声そのものはすごくはっきりしていて聞き取りやすいから、迷ってんのが余計にわかっちまってるぜ?
 けどお茶係の方を見ると、そんな会話など全く意に介してない様子で、カウンター内で作業を再開している。
(ったく…)
 オトナってよォ、よくわかんねぇときあるよな?
 なんつーか、いつの間にか目に見えねぇ線みてぇなのこっそり引いて、知らん顔してるっていうかよ?
 そういう時、オレはいつも納得いかなくて、少しだけ落ち着かなくなる。「おいちょっと待てよ、そうじゃねぇだろ?」って言いたくなる。
「兄ちゃんは? テンチョーの知り合いかなんかかー?」
「ぁ? あぁ…、まぁ…そんなところだ」
「オレってば、この近所とかこの店とかにしょっちゅー配達に来てんだけどよ。あそこに居るサクラちゃんと、もっと仲良くなりたくて。へへ〜〜今日仕事休みだから、初めてお客として遊びに来たんだってば」
 そこいくと、サクラちゃんはいつもハッキリしている。好きなことは好きだと、本当に幸せそうな笑顔で言うし、嫌いなことは嫌いだと、遠慮の欠片もなく真正面からガツンと言ってくれる。タハハ〜…
「へぇ、そうか。確かにあの子は賢そうだし、魅力的だもんな?」
「ナルトは見る目があるよ」と言われると、なぜだか急に親しみが湧きだした。へへへ〜、だろ、だろぉー? やっぱ兄ちゃんわかってんなぁ〜!

「おっマジで?! イルカ兄ちゃんも、ラーメン屋巡りしてんのかぁ?!」
 だから、その話が出た時にはホント、スッゲー嬉しかった。兄ちゃんも「なんだ、じゃあどこかの店先ですれ違ってたかもな?」と言いながら嬉しそうだった。彼は眉毛も目も口もよく動く。それと一緒に括った髪も動いて、動きの少ないテンチョーとは真逆をいっているな、などと思う。
 ちなみに兄ちゃんは、二年ほど前からこの店に顔を出すようになったらしいけど、花のことは「いまだにからっきし」なんだそうだ。でも「例え詳しくなくても、緑は自然と二人の間を取り持ってくれたりするよ」と、オレを励ましてくれた。
(ふうーん)
 緑ってそういうもんなのか? オレってば植物のこととかぜんぜんわかんねーから、そう言われてもさっぱりだけど。
(うーん、うーーん…、それってば……植物が…喋らないからか?)
 わかんね。
 オレは同じ喋らないなら、旨いラーメンが間にあったほうが断然仲良くなれる気がするけどな?
「実はさっきよ、『ここの仕事が終わったら、みんなでラーメン食いに行こうぜ』って話してたんだ。だからイルカ兄ちゃんも、一緒に行かねぇ?」
 すると彼はその瞬間も、目の奥で一瞬判断に迷ったような様子が見て取れていた。けど、もう気にしないことにする。
(だってオレ、イルカ兄ちゃんともっとラーメン情報交換しながら話してたいし)
 イルカ兄ちゃんとは、いい友達になれそうだし!



    * * *



「ぷっはぁー! はー食った食ったぁー! スッゲーんまかったってばよ! んなっ、サクラちゃん!」
 みんなで店から出てくると、さっきまでとはまた違った満足感が夜空から降りてきたような気分に、大きくううんと伸びをする。みんなと食べた(テンチョー奢りの)ラーメンは、ことのほか格別だった。
「ええ、味は良かったわよ。これでサスケ君が一緒だったら、もーっと美味しく頂けたかもね?」
「でえぇーー、そりゃねぇってばよ〜!」
 するとみんなが一斉に笑って、オレもついつい一緒に笑ってしまう。
(へっ、まぁいいぜぇ)
 そのサスケってヤツとは、ラーメン一杯でこんなに盛り上がったりしねーだろうし?
(そのうち顔を合わせることも、あるだろうしな?)
 むしろサクラちゃんがそこまで言う男ってのがどんなヤツか、今から会うのが楽しみだってばよ。

「ははっ、今日は散々だなぁナルト〜」
「うへぇーほんとだってばよ〜」
 イルカ兄ちゃんがぽんぽんと気さくに肩を叩いてくる。売れない役者をやっていると笑う彼は、思ってた以上にめちゃくちゃイイ男だった。オレってばもういっぺんに大好きになって、チョーシに乗って色んなラーメン屋の話をしまくったけど、ぜんぜん話し足りなかった。おっかしーなぁ、最初はサクラちゃんと話をする気満々だったのに。
 でも気付くと、本当にいつの間にか、みんなイルカ兄ちゃんの方を向いてニコニコしているのだ。そして不思議なことに、いつもはぼーっとしてるカカシテンチョーも、ヤマトさんも、サクラちゃんも、今日一日、目一杯仕事をしてきたとは思えないほどいきいきと喋り、笑っていた。
 それを見ているうちに、ふとなんとなく(こんな人達が家族だったらいいのに)と、思ったりした。
「またラーメン会やろうぜ!」と提案すると、すぐにテンチョーが「いいねぇ」と返してくる。カカシテンチョーは、オレと一対一で話している時より、みんなと話している時の方がノリがよく、いつもとは違う一面を見た気がしていた。
(いや、みんなと…というよりは、イルカ兄ちゃんといる時、か?)
 なんでだろう。二人の間には、あの二人の間にだけは、そう感じさせる何かがあった…ような。でも具体的に言葉で説明しろと言われても、とてもできそうにない。
(なにも話さないでも、安心してられる時みたいな?)
(けど、それだけでもないっつーか?)
 あぁそういうのの説明、オレってばチョー苦手だ。

「イルカ兄ちゃんてばよー」
「? なんだい?」
 テンチョー達三人が、明日の仕事の話をしながら少し先をそぞろ歩いているのを見て、隣の男に呼びかけてみる。
「兄ちゃんとは、今日初めて会ったからよくわかんねーけどよ、カカシテンチョーと…なんか、あったのか?」
 少し声を小さくして訊ねたその瞬間、彼の奥にぴりっと電気がなにかが走ったように見えた…ものの、何事もなかったように歩き続けている。
「……いいや。…何もないよ?」
 急にどうしたんだ? と聞かれた途端、わざわざ言う必要もないかと奥にしまっていたことが、急に口元まで上ってきていた。
 だって、お互い通じ合ってるのに、無理に通信切ろうとしてるなんてヘンだ。
「確かにカカシテンチョーはよくわかんねーとこあっけどよ、オレはイルカ兄ちゃんも店長も好きだから、仲良くしろってばよ?」
「はははっ、してるよ、ちゃんとしてるってー」
 イルカ兄ちゃんは「まったく、何を言い出すのかと思ったら〜」と言いながら、ちょっと大袈裟なくらい勢いよく頭を混ぜてきた。
 ラーメン屋では、オレはすっかり末っ子の弟ポジションだった。しかもあっという間に「お調子者のバカ」が定着して、お陰で場は盛り上がっていた。
 その時はそれで良かったはずだ。でもなぜか今は、(子供扱いすんなよな!)と思ってしまう。しかももう一方では、腹の奥でじんわりと嬉しくて。なんだか体が捩れそうだ。
 海野の兄ちゃんはずるい。何を考えてるかよくわからないカカシ店長と、同じくらいずるい。
 なのに、「はははっ、ナルトには敵わないなぁ〜」などと言いながら、明るく笑っている。
(ったく…かなわないんなら、いいけどよ〜)
 ずるいよなぁ〜
(いいけどよ〜〜)


(なあなぁ、ところでサクラちゃんはー?)
 前を行く華奢な後ろ姿に向かって、心の中で声をかけてみる。
 大人はみんなけろっとしてて、なんも知らねぇような顔してるけど、サクラちゃんはどうなんだ?
 カカシテンチョーとイルカ兄ちゃんの間にだけある、このぎこちねぇもののことは、ホントにぜんぜん、これっぽっちも気付いてねぇのか?

 けれど、今にも声に出して訊ねてみたい気持ちは、駅で別れる最後の最後まで、ぐっと呑み込んだままにした。
 何となく、ラーメンの湯気ですっかり和んだこの場では、吐き出しちゃいけない気がしたから。
 言った途端、悲しい困り顔で殴られそうな、そんな気がしたから。



            「待つ間も花・番外 ナルト編 了」


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