「条件は破格じゃ。竹光家に縁付けば、今後お前を有事の際に最前線に出すのは控えると約束しよう。月のうち何日か里に出向いて、後進の指導にだけ専念してくれれば良い。もう必ず子を成せとも言わん。もし子を成したとしても、それは忍の子ではなく、竹光家の嫡子として認めよう。お前は里のためによう働いてくれた。これからは何不自由ない暮らしを存分に楽しんで、静かな余生を送ればよい」
「――――」
「どうじゃ、これほどまでに良い話はもう二度とないだろう。実に勿体ないくらいのええ話じゃ。お主も待った甲斐があったの」
「お断りします」
「カカシッ!!」
 コハルが突然語気鋭く叫んだ。現役時代は三代目やホムラと組んで、あまたの修羅場を切り抜けてきた女丈夫だ。その身の丈こそ縮んだとはいえ、まだ気迫は衰えていない。
「お話を下さったお二人と関係者の方々には申し訳ありませんが、お断りします」
 もう一度静かに言い切る。遠回しに断ったところで貴重な時間を浪費するだけだ。
「なぜじゃ! 理由を、納得のいく理由を申せ!」
「私の口からは申し上げられません。理由なら小夜殿がよくご存知かと」
 いや、言おうと思えば幾らでも言えるが、例え的を射ていても射ていなくとも、結果としては火に油だ。ここは相手にしないに限る。
「ふざけるな! わしらは真面目に話しておるのだぞ、そんな身勝手な理由が通ると本気で思っておるのか!」
「――――」
「黙っとらんと何とか申せ! カカシ、貴様は私の顔に何度泥を塗れば気が済むのじゃ! 下手に出ておればいい気になりおって、わしらが何も知ら…」
「やめんか、コハル」
 それまでじっと押し黙っていたホムラが、初めて口を開いて制した。
「やめんか」
 もう一度諭すように呟くと、逆立った不快な空気が部屋を満たす中、壁の灯りを映し込んだ暗橙色の窓ガラスがカタカタと嗤う。
(そりゃあまぁ、オレだって何もかも隠し通せてるなんて、これっぽっちも思っちゃいないけどね…)
 他でもない、ここは忍の里なのだ。誰一人として自分のことなど関知していないようでも、恐らくは皆勘付いてはいるのだろう。ただ、与えられた任務さえきちんとこなしていれば、互いが非番の時に会って何をしようがしまいが、それが定められた掟の範囲内である限り、咎められた例はなかったはずだ。
 少なくとも、周囲の似たような状況の者達を見る限りは。
(そうまでして、盤石の後ろ盾が欲しいかね…)
 人は歳を経るにつれ、色んな事がいちどきに不安になってくるというが、まさかその捌け口に自分自身がなるなどとは思ってもみなかった。
 今までは発言力も地位も表向きは火影とほぼ同等の扱いである二人を立て、時には(年寄りのお節介だから仕方ない)と言い聞かせつつ、渋々ながら付き合ってきたが、ここまでくるともう限界だ。迷惑も甚だしい。
 今まではあれこれ詮索されて、万が一にもイルカに火の粉が飛ぶのを恐れてひたすら黙っていたが、いよいよ長に助けを求める時が来たかと覚悟を決めた。ただ生憎と肝心の火影が、五影が一堂に会する年に一度の総会に出払っていていて暫く不在のため、戻り次第早々に直訴しに行かねばならない。
 恐らくこの二人も、オレがこうして呼び出しに従って大人しく出向いてきてはいるものの、内心では『火影でない以上、命令の全てに従うつもりはない』と考えていることは分かってはいるのだろう。重々分かっているのに、こうして何度も何度も呼び付けては似たような話を持ちかけ、その度に断るオレに毎回同じ詰問を繰り返している。もちろん二人が呆けている訳では決してないのだが。
 そうやって何の益もないまま同じ所を周っているだけの自分達を、一瞬たりとも省みないでいられるその事こそが、自分には『老いの証し』のように思えた。


「話は変わるが、カカシよ。お前は最近時守(ときもり)の術を身に付けたと聞いておるが?」
 ホムラに新たな話題を振られて、やれやれ今回も何とか切り抜けたかとひとまず安堵する。
 時守とはまた古い言い回しだが、それが最近になってようやく原理を掴んだ事でモノになりそうな所まで漕ぎ着けている『時空間移動忍術』のことを言わんとしているのは明らかだった。その手の話ならこちらも相手にならぬこともない。
「ええ、この左目が最も得意とするのは、実はコピーではありませんからね。まぁ実戦において一番必要になってくるのが術写しなんで、結果的には多用してしまってますけど。それよりも時間や空間を司ることに向いているということは以前から気付いてましたんで、何とか会得できないかと数年前から取り組んではいました。ただ元々の血が違いますから少し手間取りまして、ようやくここ三月ほどで、なんとか」
「聞くところによると、時を遡れるとか?」
「まぁ条件さえ整えば、の話ですが。ご存知の通り、二年ほど前から空間を部分的に切り取って他の場所に移動させる術自体は会得してましたから、大まかな成り立ちとしては、そこに師匠だった四代目の瞬身術を加えたものとお考え頂ければ」
「ほう、四代目というと、あの黄色い閃光か?」
 見ればコハルもすっかり身を乗り出して聴き入っている。
「ええ。実はその昔、自分が上忍に昇格した際に、四代目から瞬身用の標(しるべ)(しるべ)を施した三つ叉クナイをお守りにと貰ったんですが、あれを眺めていた時ふと『この原理を上手く融合させれば、場所から場所だけではなく、時間から時間へも渡れるのではないか?』と思いつきまして」
「ううむ…なるほどの。陰陽の理に基づいて、風と雷と写輪眼を駆使すれば、そんなことまで可能になるか…。いや流石じゃ、よくぞ会得した」
「して時間はどの辺まで遡れる? 昨日か、一昨日か、それとももっと以前か?」
 もう先程の一件はすっかりどこかに追いやられているらしく、コハルが勢い込んで訊ねる。
「今のところ人に対して発動するにはリスクが大きすぎますので、口寄せした忍犬に確かめて貰っているだけですが、三月ほど前に標を施しておいたクナイの日時までは無事遡れたことが確認出来ています。恐らく理論的にはその日その時間に標さえ残してあれば、どれだけ長い時が経っていようと遡れるとは思います」
「――逆を返せば、幾ら行きとうてもその当時に標が施されてない限り、飛べんのじゃな? 例えば標を残しようのない未来には飛べぬじゃろうし?」
 老婆の返事に、やはり彼女が呆けてなどいないことを今一度確信する。
「そういうことです。ですから私が残した一番古い標が最初に試した三月前のものですので、現実にはそれ以上昔には遡れないことになりますね。目印が何もない日時には行きようがないと。ま、そういうことです」
 二人がほぼ同時にゆっくりと頷いた。
「あと、最近になって分かったことですが、繰り返し移動実験を繰り返しているうち、同じ日時の過去でも少しずつ到着時間がずれていることに気が付きました」
「なんと、いつでも全く同じように行けるのではないのか?」
「ええ。この『時差』は、標を付けた翌年の同日には再び一番短くなり、ゼロに戻るようです。逆に半年が過ぎた頃に飛ぼうとするとかなりのずれが生じて、その分危険も大きくなると考えられます。時の流れにも、天道の傾きや暮れ時の変化と同じような揺らぎがあると考えれば分かりやすいかと。ですから同じ飛ぶなら同日の同時間に飛ぶのが最も安全という事になります」
「なるほどの…過去に遡るにしても、最適な時期があるということか…」
 ホムラが陽に焼けた細った手指で、白い顎髭をひとしきり撫でる。
「ではお主によって過去に飛ばされた者はその後どうなる? 自分では戻れまいて。元の現世に戻るにはどうするのじゃ」
「それは簡単ですよ。最初に口寄せの契約を済ませておいてから飛ばせばいいんです。後は予め打ち合わせしておいた時間に、現世にいる私が口寄せすればいいだけです。――ただ…」
 そこにきて初めて、カカシはわざと一呼吸置いた。実はここからが最も重要なところだと考えているからだ。
「ただ、術が完全に確立する、しないに関わらず、私は早めにこの術を禁術に指定すべきだと、火影様に進言するつもりでいます」
「なぜじゃ? 禁術になどしたら、折角の苦労の末に編み出した有益な術が、お前一代で潰えるではないか」
「それでいいのです。この術が他人に知られるようになればなるほど、過去に遡って自分に不都合な事実を変えようとしたり、金儲けに使おうとする不届きな輩が現れるでしょう。そうなった場合、この現世にどんな悪影響が現れるかは、私ですら全く分かりません。これは全くの予想でしかありませんが、十中八九何かしらの影響が……恐らくは悪影響が及ぶと考えるのが妥当かと」
 場が、水を打ったように静まりかえった。

「カカシよ」
「はい」
「お主も治水工事の大切さは、よく心得ておろう?」
「――は…?」
 静寂を破ったホムラの唐突な言葉に、薄い色の眉が微かに寄る。
「下流で氾濫する川は、上流に遡って付け替えるのが道理じゃ。幾ら氾濫する箇所だけ修復しても、限度がある」
「なッ…?!」
 瞬間、背筋がぞくりとするのが分かった。過去を変えることと、治水工事を一緒くたにして簡単だと考えるなど、見当違いも甚だしい。
(まずいな…)
 嫌な話題からやっと逃れ、ついホッとしてしまってあれこれ喋りすぎたかと後悔するが、もう後の祭りだ。もし本気で言っているのなら、説明した者の責任において何としてもその曲解を是正せねばなるまい。
(それに…)
 染みと皺がくっきりと浮いた長老らの、まるで全てを悟っているかのような落ち着き払った静かな表情も、何となくだが引っかかる。
(おかしい)
 さっきまでの話では、あれほど興奮して取り乱していたというのに、いやに穏やかすぎはしないか?
(この二人、何か企んでるな、気を付けろ)と、盛んに第六感が囁く。
「川と時間は全く別のものです。同じように「流れる」と表現するとはいえ、間違っても絶対に混同しないで下さい。もし過去に遡って自分に不都合な事実を無理矢理にねじ曲げることが出来たとしても、今の世界で必ずしもそれが無かったことに出来るとは限らないんです。この世はそんな単純なものではありません。偶然や必然が常に縦横無尽に絡み合いながら成り立っている、もっとずっと複雑なものなんです。私はそんな危険を冒して、この世を混乱に陥れるために術を開発したのではありません」
「では聞くがカカシ。お主は一体何のためにこの術を完成させようとしているのだ?」
 静かに問われて、胸の内側で一つ深呼吸をする。
「まだ実戦で試したことはないわけですから、何に使えるかはっきりとはしていません。個人的には『死闘を極めるような戦闘中に、仲間が致命的な打撃を受けた場合、予めマークしておいた数分前の過去に戻って、何らかのやり直しが出来ないか…』と考えたことはありますが、そんな短時間ですら一歩間違えば予想だにしない方向に未来が動く可能性があります。ですから発動には極めて冷静で慎重な判断が必要になってくるでしょうね。誰でもが使いこなせる術ではないんです。現に私自身も、上忍になった時にミナト先生から貰ったお守りのクナイで当時に飛べるだろうとは思っても、それは決してやってはいけない禁忌として固く封印しています。そこまで過去に遡ってしまった場合、どこで何が起きていたかを完全に把握出来ている数分前などとは訳が違って、非常に危険ですから」
 直後、老人の小さな瞳が素早く目配せをしたのを見てとると、ますます不信感が募っていく。
(何を、考えてる…)
 内側で微かに身構えた時だった。
「ならば我々上層部の意向と、カカシ、お前の目指すところは全く同じじゃな」
 コハルが突然きっぱりと、そしてどことなく勝ち誇ったような響きさえ滲ませつつ、声高に喋りだした。
「…どういう、意味ですか」
「カカシよ、やはり我々木ノ葉は、九尾なんぞに里を潰させる訳にはいかんのじゃ」
「な…ッ?!」
 直後、肌が粟立っていく感覚と共に(これは大変なことになった)と直感した。こういう考えの者が出てこないために、早々に禁術の決定を下すべき立場の者が、火影の不在を利用して自らその禁忌に踏み込もうとするなど、絶対にあってはならないことだ。












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