四代目に連れて行かれたのは、顔岩の裏側に造られた幾つものシェルターが連なる一室だった。先般の大戦の最中に突貫で作られたばかりとみえ、まだ掘削された岩肌が真新しい。
 もちろん俺も、この部屋の存在はよく知っている。大蛇丸が画策した木ノ葉崩しの際、数百という里の人々をここへと避難誘導した先導者の中に、自分もいた。
(久し振りに、来たな…)
 迷路のような複雑な作りが、真新しいのに酷く懐かしかった。

 背後から促されるまま踏み入った十畳ほどのがらんとした四角い部屋は、いまだ残暑の厳しい外気とは比べものにならないほど涼しかった。だが分厚く固い岩をくりぬいただけの空間には、椅子や机はおろかベッドの一つすらない。扉だけが分厚い鋼鉄製で、蝋燭を立てておく僅かな窪みが一ヶ所だけ壁面に伺えるだけのそこは、確かに一時的なシェルターとしての役割しか果たせないだろう。
 けれどそれは同時に、俺のような得体の知れない者を閉じこめておくには、うってつけの場所といえた。

「暫くここでゆっくり話を聞こう。君の話だと、あと三日は暇みたいだしね? 本当ならもっと厳しく尋問するところだけど、木ノ葉の長として、里の子供を助けて貰った礼は尽くさせてもらうよ。――でも借りは、これで返したからね」
 暗に「もしこれ以降おかしな行動を取ったなら、容赦しない」という警告を滲ませた言葉がかかる。
「…っ」
 思わず開きかけた口を、何も発しないまま、空気でも呑み込むようにして閉じた。四代目がここに長期間俺を監禁しておくことでじわじわと焦りを増幅させ、窓のない暗闇で判断力をも奪って真相を喋らせようとしているのは明らかだが、どうあってもそれに乗るわけにはいかない。
(どう、出るか…)
 ここに来るまでの間も、ずっと自問していた問いをまた繰り返す。今ここで「十月十日の夕刻、里の基盤を根底から揺るがす前代未聞の災禍が起こる」と言うのは容易い。
 だが一旦それを口にして己の正体を明かしたら最後、里は未曾有の大パニックに陥るだろう。それを防ぐ手だてが講じられないうちは、安易に口にすべきでない。

『――いい? もう一度言う。自分で九尾をどうにかしようなんて、思わないで――』
 この時代に飛ばされる直前、大杉の前で上忍から幾つものアドバイスが簡潔に、そして的確になされたが、念押しされた言葉はそう幾つもない。
『――九尾の出現に関する、何かしらの手掛かりさえ掴めれば、それで…いいんだから…――』
 だが、深い苦悩がくっきりと刻まれたその目元を見れば、聡い彼がそんなことで全てが解決するなどと思っていないことは明白だった。

(自身の正体を知られることなく、何とかして九尾の出現を水際で食い止めるための、確実な手掛かりを得る)
 果たしてそんな相反する事が成り立つかどうかは分からない。
 だが、試みないまま投げるつもりもない。


 蝋燭に明かりを灯した金髪の男が、特徴のある三つ叉のクナイを手にしたまま近付いてくる。
「後ろを向いて、両手を出して」
 力ずくでこの男から逃れようなどという選択肢は、出会ったと同時に早々に捨てていた。大人しく命令に従うと、背後でクナイを口に銜える気配がして、拘束用の細い鋼鉄線が、後ろ手にした両手指と手首を一つに縛りだした。
 さほど痛みはないが、どれほど時間をかけても自力では指一本解けないであろうことは、少し動かしただけではっきりと分かる。
「あぁ余り動かさないで。無茶すると、指がもげるよ?」
 だがそうやって相変わらず穏やかな口調で喋っていた男に、いきなり額の真ん中にクナイの刃先を真っ直ぐに突き付けられて、全身に緊張が走った。
(?!)
 刃の先端が皮膚を押している。避けるつもりでほんの僅か頭を動かしただけでも、研がれた刃先が皮膚を破りそうだ。
(…っ…!)
 その切っ先から、こちらに不都合な何かしらの恐怖をイメージさせようと、彼の背筋の寒くなるような強烈な殺気がビリビリと伝わってきた。幻術ではない。この男だからこそ成せる、気迫の刃だ。
「もう一度訊くよ。――君は誰?」
 冷たい刃先が、閉じた目と目の間をゆっくりと移動していくのが分かる。その刃は、やがて幾らもしないうちに乾いた肌に傷をつくるだろう。
(――ああ、そうだな)
 でも慌てることはない。
 大丈夫だ、俺は知っている。体の痛みなどさして恐いものではない。
 ――そうだ、本当に怖いのは…

 きっと己に成すべき事がある限りは、例えどのような形であれ、目に見えない何者かの意志によって生かされ続けるのだ。
 ならば、それ以上の安心はない。
 そうだろう?


「その様子からして、やっぱり君は忍だね。どこの里?」
 真っ向から三つ叉を突き付けている男が、何らかの確信でも得たかのような声で訊ねてくる。
「――――」
「草…いや岩かな?」
「ちがう」
 その問いには、とても黙っていられずに声が出る。
「それに君は、自分の意志だけで行動してる訳じゃなく、何らかの大きな任を負ってるよね?」
 ごく僅かだが皮膚を傷付け、今にもその奥の骨を砕かんとしていた切っ先が離れていくと、再び穏やかで柔らかな声が降りてくる。
(!)
「でなければ、ここまで頑ななはずがない」と言いながら離れていった四代目が、こちらを向いた途端。
(――ぁ…)
 彼から注ぐ千本のような殺気に、壁に留め置かれたようになっていた両足が見る間にぐらつきだし、後ろの壁に支えられながらずるずると尻餅をついた。
(っ…、くそっ…)
 今頃になって、左胸が痛いほど暴れ出している。火影の殺気に抵抗するのが、こんなにも消耗するものだとは思わなかった。
 その様子を見た男がくすりと笑う。
「まぁそれだけじゃなく、元々の性格からして結構頑固そうだし?」
「…よく……言われます…」
「? 誰に?」
(あなたの、弟子に)と少しやけくそ気味に内心でこそりと応えると、すぐに「何がそんなに可笑しいのかな?」と訊かれて焦った。
(なにっ、て…)
 自分は今、どんな顔をしていたというのだろう? 思わず顔を顰めながら俯く。
「ぃっ、……ぃぇ…っ」
「――ふっ、なぜかな、君と話してると飽きないよ」
 どこかからかうような柔らかな男の声が、岩壁に響いた。


「とりあえず、今夜はここで明かして貰うよ。明日は…そうだな、部下を寄越すからその子に続きを喋って貰おうか。さっきも言ったと思うけど、子供だからって甘くみない方がいいよ。多分彼は、僕なんかより数段手厳しいからね」
「ッ?! 待って! 待って下さい!」
 地面に座り込んだまま、すっかり脱力していた上半身が勢いよく跳ね上がった。
 まさか四代目が、こんなにも早く自分を放置するとは思っていなかった。しかも代わりに部下を…恐らくはあの「少年」を寄越すなど。
「どうか、したみたいね?」
 さっきまで大らかで無邪気な笑みを浮かべていた男の目が一転、澄んだ強さを帯びてこちらをじっと見つめている。
「こ…ここにはっ、誰も…その…っ、誰も寄越さないで下さい」
「どういうこと?」
「ぉっ――お願いします…」
「それって、もしかして僕の部下と面識があって、顔を見られたくないからかな? ――ということは、やっぱり神無毘橋辺りで戦った岩の忍の…」
「違うちがうッ! 違いますっ!!」
 それには何度も激しく頭を振った。今にも敵国の忍のレッテルを貼られそうなのに、上手い言葉が浮かんでこない事がとてつもなく恐ろしい。
「それだけは……お願いです…なにも、訊かないで…」
「そんな希望が、聞き入れられるとでも?」
「っ…どうか……おねがぃ、します…」
 やはり『どこの誰とも明かせない人間でも、話しているうちに少しでも信頼関係が得られれば…』などという考えは、酷く手前勝手で無謀な望みだったのかと唇を噛む。
 しかもそれが、人を欺くことが生業の忍同士のやりとりとあっては…。

 壁際で全く揺らぐことのなかった蝋燭の灯りが、突然巻き起こった強い風に一瞬で吹き消されると、辺りから耳が痛くなるような静寂が押し寄せてくる気配がして、慌てて立ち上がった。
「待って!! 待って、下さい…っ!」
 後ろ手の格好のまま、分厚い鋼鉄の扉に肩から体当たりをしながら訴えるが、もう周囲をどれだけ探ろうとも、生きるものの気配は微塵も感じられない。大戦が終わって人々が自身の生活で精一杯の最中、こんな所に出向く者も皆無だろう。

(……時間が……ないんだ…)
 荒掘りの岩壁に凭れながら、背中からずるずると落ちていく。
 銀髪の上忍が重ねて繰り返していた忠告、『絶対に誰とも接触してはならない』は、他の何を置いても遵守すべきだったのだと心底悔やむが、今頃気付いてはっきりと目が醒めたところで遅い。遅すぎる。














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