内側で激しく渦巻く様々なものと必死に闘いながら、辛うじてその場に座っているらしい銀髪男曰く。
「オレは、誓ってイルカの嫌がることはしていない。最初にしないって約束したんだ。本当だ」ということだが。
 男同士のセックスにおいて、受けとめる側に全く何の負担もかかっていないとは、彼自身も思っていないのだろう。少し落ち着いてくると、次第に言葉の端々に戸惑いが滲みだした。
「…あぁでも、いや…やっぱり…、……違うのか…?」
「――違うとは?」
 恐らく恋人の前ではまず見せたことなどないであろう狼狽える姿を、わざと突き放すような物言い一つでもって静かに眺める。ちなみにこういった情けない様を他人に見られることを、Sはことのほか嫌う。恐らくそんなSだからこそ、Mに対して『無理強いという形をとりながら』様々な酷い言葉を言わせたがるのだろう。SにとってMのパートナーとは、『自身の奥底に流れているものの延長線上にある存在』といえる。
「違うとは?」
 暫くしてもう一度、全く同じ調子で訊ねる。この回答において、俺はそれ以上の援助も撤回も一切しないぞ、と暗に匂わせながら。
「その…――例えばイルカは、オレとの…っ」
 言ったきり、男は下唇を噛み締めて言い淀んでしまった。まるで口に出して言ってしまったら最後、それが真実になるとでも思っているかのように。
「――もしかしてイルカは…、オレとの…セックスに、……満足、してないんじゃ…?」
 何とか言い終わった男に、やれやれやっと本題の麓まで辿り着いたかと思う。S性には体面を気にする者が多い。
「ふ、どうだろうな」
 その質問に、「大丈夫だろう」なんていう気休めのご褒美をやる気は毛頭ない。それこそ俺に翻弄される中で、恥と屈辱にまみれながら考えればいい。
「満足してないと思うなら、具体的に聞いてやればいいだけだろう」
(お前が喉から手が出るほど欲しがっている答えなら、大体わかってる)
 だから、決して与えてやらない。

「あと、それと…もう一つ、聞きたいことが、あるんだが…」
 もう今日一日の気力は使い果たしてしまったとでも言いたげな表情の男が、意を決したように切り出してきた。いつも筋金入りのMばかり見ているせいか、たまに無自覚なSを見ると、随分とヤワに見えてしまうなと思う。
「…イルカは、あの人は…本当のところは…」
 そこまで言って、また続きを言おうか言うまいかと逡巡しているらしい銀髪男の目の前に、いよいよ本日のメインメニューを広げてみせてやる。
「――Sなのか、Mなのか。――それとも、ノーマルなのか?」
「…あぁうん、……そう…」
 どこかホッとした様子で何度も小さく頷いているが、これまで肝心なことは殆ど何も喋っていないことを、当人は気付いているんだろうか。もしこれがプレイ中ならば、どんな手を使ってでも当人の口から洗いざらい全部吐かせているところだ。有難く思って貰いたい。
(それすら見越したうえで、俺を指名してきたわけではあるまいが…)
 男の白い右腕に巻きついている時計の針の傾きを、目だけで見やる。
 大丈夫だ、地下室の時間は止まっているも同然だ。


(――恋人は、何なのか…か)
 だが彼がそれを他人の口から聞いたところで、本当の意味で解決になるかは甚だ怪しい。「S」・「M」・「ノーマル」という、3つのうちのいずれかを言われただけで納得出来てしまうとも思えない。とはいえ、「当人抜きでここで何を話したところで意味などない、やめておけ」と言ったところで、はいそうですかと大人しく引き下がる男とも思えない。
 夕食の席で、たまたま隣り合わせただけ。
 そんな偶然を手繰って、ここまできている者達だ。
 そう考えれば、これら一連の会話も何かしらの意味はあるのかもしれない。

「お前、ギャンブルは好きか」
「? ギャンブル…? いいや、特には」
 唐突な質問に一瞬怪訝そうな表情を見せた男が、首を横に振っている。
「だろうと思った。『負けて金をするなんてのはとにかく無駄なこと』だし、負けただけでも苛立って不快な気分になるから、自然と手を出さなくなるのが現実主義者のSだからな。で、相方はどうだ?」
「ちょっと待て。この間からずっと気になってたが、なぜアンタはオレをSだと決めつけてる? 確かにオレは賭け事は好きじゃないが、ギャンブルで金をするのが無駄だなんて、誰だって思うことだろう?」
「誰だって思う? 果たしてそうかな。それは『お前の中にある、お前基準の物差し』で測った場合だろう?」
「なっ…」
「今の話が自分とは違うと思うなら、俺が何と言おうと構うな。当てはまらないなら無視していればいいだけのことだ。指摘されて苛立つということは、当たっていると暗に言ってしまっているようなものだぞ。それよりお前は自分から訊ねておいて、自ら遮るつもりか? 俺の質問に対する答えは? どうなった?」
「―――…」
「答えろ。お前の相方は、賭け事が好きかと聞いている」
「―――…」
 男は白い額を俯かせると、眉間に寄せた皺の奥で何事かをじっと巡らしている。薄い下唇を内側から噛んだまま。
「ギャンブルというと、どうしても特定のものを思い浮かべがちだが、それに類するものもあるぞ。パチンコやアーケードゲーム、ロトの類を好んでやっていたりな」
「……いいや、そんなことは…少なくともオレの前では…ない。ただ…」
「ただ?」
「学生時代、徹夜で賭け麻雀をよくやったと聞いたことはある。相当はまって、一睡もしないままよく講義やアルバイトに出たりもしてたと…。でも元々の稼ぎが稼ぎだったから、賭けた額は大したことなかったと言っていた。その程度なら誰だってあるだろう」
「なるほど、賭け麻雀か。なら旅行や食事に出かけた時はどうだ」
「どうとは?」
 そんなことと性癖に一体何の関係があるんだ? こちらが何も知らないと思って、必要ないことまで聞いてるんじゃないだろうな? と言いたげな目がこちらを伺っている。どうやらようやく立ち直ってきたらしい。遅いぞ。
「わからんか、金の使い方だ。お前は、恋人とは根本的な部分で金銭感覚が違うと感じたことはないか?」
 途端、男の中で、何かに思い当たったような素振りが垣間見えた。こちらが何を言わんとしていたかが、ようやく朧気ながらも見えてきたのかもしれない。
「お前は、自分が興味のあることや恋人に関することなら、金や手間暇を惜しまず使う。だがそれ以外の者やことに対しては至極ドライだ。けれど向こうはお前と同じではないだろう。――『人生を楽しく生きることとは、基本相手がどこの誰であれ、金や手間ひまを惜しまないことだ』と思っている節があるか、と聞いている」
「ぁっ、……あぁ…」
 一つ、二つと小さく頷いた男が言うには。
「恋人は、自分以外の仲間や後輩達にも気やすく奢ったり、しょっちゅう誰それへのお礼だといっては安くないものを沢山買っていたり、旅先で気前よく土産やチップをはずんだりといった、ともすれば収入に見合ってない使い方をする時がよくある」という。
 だがこの男の目には、そのことに内心苛立ちや嫉妬を感じながらも、同時に自分にはない、得がたく離れがたい魅力の一つとして映ってもいるのであろうことは、想像に難くない。
 
「なら、ちょっとしたゲームや競争をして負けた時のリアクションにも、お前とは明らかな違いがないか? 思い出してみろ」
「おい、アンタのその質問のしかた、結論誘導と言われても仕方ないぞ。そもそも違いなんて、あって当然だろう」
「ふ、またそれか。ここでどんな結論が出ようが、はなから俺の言うことなど信じる気のないヤツが何を言ってる。――いいか、お前は競争や勝負になると意地になったり、負けると内心では本気で悔しがったり、負ける可能性があるならそもそも勝負自体をしないと考える、いわゆる気の小さな凡人だ」
「…っ」
 我慢強いMならまだまだ序の口といったこうした責め言葉も、Sにはよく効く。もちろん効き過ぎて手が出たりすることのないよう、ギリギリのところを注意深く見極めながら責めるのもテクニックのうちだ。
(確か、畑といったか)
 こんなに見目のいい、社会的にも成功していそうな男がコンプレックスなんて、と人は思うのだろう。
 だがS性を多く持つ者は、心の奥底に強い劣等感を抱いていることが多い。それが悪い方に働くと、いわゆるサイコと呼ばれるような犯罪者になったりもする。が、その劣等感をバネにして、常に上に前にと進む強い力に変えていける者は、社会的にも成功を果たしている。
 世の中よくしたもので、M型の中には、そういった強い劣等感を抱いている者の存在にいち早く気付いて、気に掛かける者が少なからずいる。彼らMは、相手の肩書きや見目の善し悪しなどといったものには頓着しない。一度力になってやりたいと思ったなら、相手が誰であろうと根気よく励ましたり手助けしてやったりと、実行する手間や金銭の類を惜しまない。

「――対して、M性の者達のギャンブルに負けた際の行動パターンだが。彼らの多くは、Sのように負けが込んできたり、実際負けてしまったときにも苛立つようなことはない。もちろん負ければ落胆はするが、それも時の運だとどこかあっけらかんとした一面があったりする」
 M型の人間は、負けたこと、失敗したことを引きずらない。負けが込んでくると、強い切迫感から興奮状態に陥るが、その追い連れられた状況は、彼らにとって「とても気持ちのいいこと」なのだ。賭け事で負ける楽しさを知っていて、大勝負で負けて一瞬で大金をすったとしても、皆「楽しかった」と一様にいう。楽しくて気持ちがいいのだから、懲りるということはない。
 ノーマルやSから見れば、その光景は怖ろしく軽率で学習能力のない、馬鹿げた行為とも映るが、その半面、底の知れない懐の深さやしなやかな強靱さも感じられ、腹の据わったロマンチストと映ったりもする。

「どうだ、心当たりがあるか」
「…………」
 俯き加減の目の奥で、盛んに過去の記憶と照らし合わせているらしい男からの返事をじっと待つ。
「――心当たりが……ある、――と言ったら?」
「良かったな、まだ俺の言葉責めを受ける資格があるぞ」

 ちなみに、M性を持つ者が時間や借金に追われるようになった場合、追い詰められるほどに興奮し、同時に強い快感を覚えることになる。
 その絶体絶命の窮地を認識すればするほど更なる誇大妄想が膨らんでいき、「こんな風になったらどうしよう」と果てしなく展開していった結果、大きな仕事の締め切りに間に合わないといっては密かに勃起したり、どれほど脅されても借金取りから嬉々として逃げ回り続けたりと、Sやノーマルには理解出来ない行動に至ることもある。





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