「カカシおめぇ、案外子供いけるじゃねぇか」
 アスマが煙草を燻らしながら、ニヤニヤ笑っている。
「るさいな。しょうがないでしょ」
 器用に人混みをすり抜けながら、カカシが足早に前をゆく。
(ひょっとして…照れてやがんのか?)
 アスマは可笑しくてたまらない。ちったぁ可愛いとこあんじゃねぇかと、行く手で眩しく揺れている銀色を見て微苦笑していると。
 いきなりその男が立ち止まった。
「――おおっと、なんでぇ」
 急ブレーキでカカシのすぐ背後に立ったアスマは、男の視線が釘付けになっている方を見た。

 そこにはよく見知った者達の大きな顔写真が、巨大な掲示板にズラリと張り出され、全てに番号が振られていた。見れば自分やカカシの写真もある。見渡した感じでは、どうやらアカデミーに所属している、中忍以上の顔写真が全部張り出されているらしい。その数ざっと二百近く。改めて見渡してみると壮観である。
 その上には、この催しのタイトルと思しきものがデカデカと掲載されていて、アスマは思わず声を出して読み上げてしまう。
「――なになに…『木ノ葉の忍、人気ナンバーワンはだれだ!』だと〜? 何だこりゃ?」
 呆れと驚きの入り混じった声が、煙と共に自然と上がる。
「オレが知るか。――まっ、要するに「第一印象投票」ってやつでしょ」
 つい先程も、この風貌で子供の母親に引かれてしまった経緯を思い出して、カカシが鼻で嗤う。
「こういうしょうもねぇ事を思い付くのは、大抵ガイとかなんだぜぇ」
 と、そのガイの顔写真を探してみれば。
 案の定、この男だけどこかのスタジオで別撮りしたとしか思えない、やたらと白い歯が眩しい、親指おっ立てた、キメにキメまくった激濃ゆくも鮮明な顔写真が載っている。
「…ったく、しょうがねぇ野郎だな」
「ま、見なかったことに」
 とはいえ、これでまた「カカシに勝った!」とか言おうとしてるんだろうなと思うと、言われる当人も頭が痛く、脱力する。

 しかしその直後、目の端に何とも奇妙なルール説明の一文を見つけたカカシの心臓が、一瞬ドクンと跳ね上がった。
(――なっ…『人気投票の結果、男性票の一位と、女性票の一位は、広場のステージ上で……キス…ぅ?!』)
「ガイの野郎、どうあっても紅をモノにしてぇらしいな」
 アスマも同じ所に気付いたらしく、突拍子もないお調子者の魂胆を読み切って苦笑いしている。
 紅とアスマがどうやら同僚以上の関係らしいというのは、カカシやイビキなど、勘の鋭い者達は皆とうに気付いている。でも、そんな事をあれこれ追求する気にもならない事から、皆知っていてもそ知らぬフリをしているのだ。
 恐らくガイ以外は。
 そう、断言できる。こいつだけは何一つ知らないのだと。二人の関係にはこれっぽっちも、それこそ毛筋の先程も気付いていないのだ。両者の間に漂う微妙な空気が、いまだ何一つ読めていないのだ。
 しかも「間違いなく自分が男性部門で一位に選ばれる」と思い込んでいるところがまた泣かせる。
 とにかく、自分が思いついた「ナイスな」ことは、どれほど他人の目には強引としか映らなくても、その瞬間に猛然と実行せずにはおれない、まったくもってズレまくったとあるいち上忍の思考。
 それこそが、この珍妙な『人気投票イベント』なるものを作り上げたのだった。
 で、肝心の紅は…と見ると、くノ一の欄の方に、一際輝く妖艶な笑みでもって異常に目立ちまくっている、これはもう普通の男なら一も二もなく一票を投じたくなるであろう写真が掲げられている。
 だが、カカシはそのルールを読み進むにつれ、一抹の不安がよぎり始めた。
(投票は一人一票だが、例え男が男に投票しようが、女が女に投票しようが構わないんだな…)
 そうと分かると、一瞬、思い人の事が気になってその顔写真を探す。
 すると顔の真ん中に一文字の傷ある男の写真は、ちょっと小首を傾げ、こぼれるような優しい笑顔でこちらを向いている。
(ッ、まずい…!)
 カカシの中で、一抹だった不安が突然大きくなりだした。
 出来ればもっとずっとヘンに撮れていて欲しかった、その写真。
 そう、少なくとも完全防備で右目しか出ていない上、いかにもヤル気無さげに撮れているオレ並には。
 だがこの中忍の写真に関して言えば、万人を惑わす天使の笑顔だと思った。
 顔に走る傷ですら、この男の愛らしさを引き立たせるものでしかなくなっている。もう男も子供もない。この26番という番号を振られた男は、老若男女、全ての者を第一印象から惹き付ける不思議な力を秘めている。決して惚れた欲目のせいだけではない。現に周囲で写真を見上げている者達の会話に耳をすませてみると…。

「――ねぇ、この26番の人、何だかすごく可愛いよねぇ?」
「あ、笑顔がいいね。人なつっこい感じで。こういう人、お兄ちゃんに欲しいよね!」
「――おおぉ…26番なんていいんじゃないかの? ばぁさんや…」
「――なんだろ、ぜんぜんカッコイイって訳じゃないんだけどさぁ、なんか憎めない感じだよな、26番!」

(オイオイオイ、やっぱそうなの? やっぱみんなイルカ先生なわけ〜?)
 これじゃあ、下手したらイルカ先生と紅のキスなんていう、アスマとオレとの二人にとって至極有り難くもないものを見せつけられてしまう可能性がある。
(とはいえ…)
 15番の番号が振られた自分が1位に選ばれる可能性など、限りなくゼロに近かった。

「――やっだ〜。ちょっと見て、15番、なんか恐くない?」
「――あ、ホントだー。何かやる気無さそうな感じだしぃ? めちゃ感じ悪いよね〜」

(…………)

 幾ら「忍は見た目じゃない」などと言ってみたところで、このあからさますぎる顔写真の前では無意味だ。これでは妖艶美女への太刀打ちなど到底無理で、正直ちょっと悲しくなる。が、
(いや、でも!)とカカシの不埒な考えは、思い人のこの上もなく愛らしい写真を見、キスという言葉に刺激を受けて、どんどん暴走を始める。
(何とかお互いが一位に選ばれて、晴れてイルカ先生とキスをするためには…)
(お祭りのイベントでの事なら、流石のイルカ先生も断りきれないだろうし、一旦既成事実を作ってしまえば、あとはなし崩しで押していけるかもしれない…?!)
(こうしてオレのものだと周囲に宣言しておけば、もう誰もイルカ先生に手を付けようなんて思わなくなるだろうし!)
(これって案外、千載一遇のチャンスなのかも?!)
 この瞬間、今までどうしても自分の思いをイルカに打ち明けられなかったカカシにとって、ガイの不埒な計画は、即ちカカシの不埒な計画と相成った。

 こうなれば、後はイルカ先生か自分のどちらかが「男性投票の」1位に選ばれ、どちらかが「女性投票の」1位に選ばれるよう仕向ければいいだけの事である。
 やる気に満ち満ちたカカシの明晰な頭脳は、一瞬で答えをはじき出していた。
 勝算はあった。口布の下で不敵な笑みが浮かぶ。
 だが「ったくしょうがねぇ奴だなぁ、ガイは…」と隣で苦笑いするアスマが、そんなエリート上忍の策謀に気付くことはなかった。




「悪いアスマ、先行ってて。用事思い出した」
 カカシはすぐに追いつくからと言いながら、髭面の男を人混みに押しやる。
「ぁ、何でぇ、一体?」
 押されたアスマが振り返るが、軽く片手を上げて無視する。
 オレがこの作戦を計画・実行することを、アスマには心から感謝して貰いたいところだが、作戦内容を教えるわけにもいかないのだ。あくまでこれはオレ一人で進めないと意味がない。
 夕方、屋外ステージにて行われる人気投票の結果発表は、終日賑わったイベントの大トリということで、恐らく最高の盛り上がりを見せるだろう。
 その時までに、オレとイルカ先生が劇的な一位を飾ってていないといけないのだ。
 それには大胆かつ慎重に事を運ぶ必要がある。
 アスマが人混みにすっかり消え去るのを確認すると、カカシはもう一度投票イベントのルール説明を読んだ。


・投票権は忍者、一般共、一人一票。 年齢制限無し。

・選ばれし女性票の1位と男性票の1位は、めでたく発表会場のステージ上で熱い祝福のキスを交わします! 乞うご期待!


(なぁーにが「乞うご期待!」だ。ガイ、お前は『男は女に投票し、女は男に投票して、最終的には男女のカップルが成立する』もんだとばかり思い込んでいるようだけど、このルールじゃ、必ずしもそうなるとは限らないでしょうよ? お前の思い通りになんて絶対にさせないからな!)
 カカシはムッとしながらも、瞬時にシミュレーションを始める。
(ガイはどんなにこの写真が目立っても、濃すぎて恐らく無理だ。男女共にアピール度には限度がある)
(イルカ先生の票はこのまま放っておいても大丈夫だ。かなりムカつく事実だが、アカデミーの子供達から男どもにまで投票権が一票づつある以上、恐らく紅を抑えて男性票でも一位になれる)
 普段のイルカの人気ぶりを考えだだけでも、独占欲で何やら落ち着かなくなってくるが、今はそれに苛ついている場合ではない。
(あと気をつけなければいけない敵は、色仕掛けできている茶屋のアンコくらいだが…幸いなことに紅とぶつかって男性票が割れるはずだ。これはオレにもイルカ先生にとっても好都合だ。他は…今のところは無いはずだ)
(そうなると問題はオレ自身だ。オレが何とかイルカ先生を抑えて、女性票で一位を取るには…)

(ま、こうするしかないでしょ)
 心の中で呟いて、切り慣れた印を結んだ。
 薄い煙が立ち上って、もう一体の銀髪覆面男がその場に現れる。周囲の者達が白煙に驚いて影分身のカカシの方を一斉に見つめた時には、既に本体の方は僅かずつチャクラを練りながら、アスマの後を追って消えていた。

 煙の中から現れた銀髪の男は、額当てこそ付けているものの、顔の半分を覆っていた口布をすっかり下ろしていた。
 そして一番左下の隅に掲載されていた15番の顔写真のすぐ脇に立つ。ポケットに両手を突っ込み、背後の木にもたれた状態で、いかにも人待ち顔といった様子だ。
 木の葉の隙間から射し込む初夏の陽射しが長身の男の姿をまだらに照らし、透けるような色の銀髪をきらきらと輝かせている。
 瞳は涼しげな灰青色で、みっしりと揃った長い睫毛に優しく縁取られている。彫りの深い眼孔のすぐ上には、細い眉が形良くきりりと弧を描き、その先はいかにも知的そうな額へと続いている。通った鼻筋から薄い唇、そして頬から顎にかけては、よく締まって端正な曲線を描いている。
 それらの全ては白く薄く滑らかな肌に覆われ、伏せ目がちの目元により一層の憂いを落として見せていた。
 すらりと長く伸びた足を片方だけ軽く曲げ、木にもたれさせた背中を僅かに屈ませた気持ち気怠げなその姿は、さわさわとそよぐ薫風の中で、確かに誰かを待っているような様子だ。

「――ぁ、あの…っ…、すみません。もしかして、この15番の写真のかた…ですか?」
 完全防備だった時とはまた違った意味で、あまりにも人目を引くその容姿に、早速二人組の若い女性が声を掛けてきた。
「はい? …ええ、そうですが」
「ああ良かった、やっぱりそうだ。その斜めの額当てと綺麗な髪で、そうじゃないかなと思ったんです〜」
 女性達は恥ずかしそうにしながらも、どうにも胸の鼓動を抑えきれないといった様子で、一生懸命話しかけてくる。
「そうですか」
「お声も…とっても素敵なんですね」
「それはどうも」
 右の目元が柔らかな曲線を描きながらゆっくりと下がると、カカシから放たれる独特の雰囲気に、二人はすっかり絡め取られ、言葉を無くしてゆく。
 そうこうするうちに、その姿に目を留めた女性達がどんどんと周囲を取り囲みはじめた。ある者は遠巻きにその横顔を眺め、またある者は間近で目線がかち合って深い溜息を洩らす。こうなると、もはやある種の幻術だ。
 年頃の女性達は、カカシのかける「憂いの術」に次々と囚われていった。












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