急ぎ同僚の後を追った本体の方のカカシは、一般開放されているアカデミーの建物内で、周囲より頭一つ分抜けている髭面男の姿を見つけて歩みを緩めた。
 こちらも屋外の催事同様、各教室内で様々な催し物を行っているが、外ほどの騒がしさはない。廊下を行き交う人々も屋外の半分程度だ。それでも建物内は足音やざわめきが絶えず、いつもよりは遥かに賑やかしい。
 皆、物珍しそうに教室の中を出たり入ったりして、展示物を眺めたりイベントに参加したりして、とても楽しそうに、そして興味深そうに会話を交わしたり笑ったりしている。どの教室も、普段は小さな生徒が座っているところを、大勢の一般客が埋めていた。


「お待たせ」
「おう」
 アスマが教室一つ一つを覗いている所に、追いついたカカシが声を掛ける。
「何か面白いの、あった?」
「まぁ言うほど目新しいものは無かったな。流石にネタも尽きてきたんだろうよ。毎年となるとやはりな」
「そこそこ盛況に見えるけどね」
「それが新規アカデミー生の獲得に繋がるかどうかは甚だ怪しいがな」
「どうだろうねぇ? ――まっ、イメージアップくらいにはなってるんじゃないの〜?」
「あぁ、まぁな。最低限そこさえ押さえてりゃ、目的の八割がたは達したようなもんだろ」
 里を背負って立つエリート上忍にしては随分と無責任にも聞こえる会話を交わしながら、催し物で賑わう教室を一つずつ覗いて回る。
 と前方に、全く人の気配のしない教室があることに気付いた。
 一瞬何の企画もやっていないのか? と思ったが、記憶では空き教室は無いはずだ。
「…………」
 不審に思った二人が素早く目配せをし、気配を消して中を覗いてみると。
 そこにはいかつい黒制服に身を包んだ、雄々しい体躯の男が教卓に片手をついて、たった一人だけで堂々と仁王立ちになっていた。
 背後の黒板には白チョークでデカデカと『プロが教える やさしい尋問教室』と書かれている。
「イビキ?!」
 二人して同時に声を掛けていた。
「…おう、見回りか。ご苦労だな」
 呼ばれた特忍が傷だらけの顔を二人の方に向けると、野太い声が、誰もいないがらんとした教室に響く。
「そうだけどよ…。何でぇ、一人も居ねぇってのは? 一応営業中なんだろ? ここ」
「ああ。オレ的にはなかなかいい企画だと思ったんだけどな? どうにも入りが悪い」
(やっ、誰も寄りつかないでしょ、フツー?)
 カカシは内心で速攻突っ込んでみるが、色んな意味で恐い者無しのこの巨躯の二人には、一般人の感覚が今一つ理解できないらしい。
 そうしている間にもお客達は中を一瞬覗き、黒板の文字と三忍の異様な風体を一目見ただけで、慌てふためいて廊下を足早に通り過ぎていく。
 無理もない、全員高身長の上、二人は熊並。しかも一人はむさ苦しいほどの髭面に銜え煙草、しかももう一人は顔面傷だらけのうえ黒ずくめで、残る一人も顔の大半を額当てと黒布で覆い隠しているのだ。
 中身は別としても、とりあえず第一印象に限って言えばほぼ最悪の三忍が揃ってしまっている。加えて背後にデカデカと書かれているヤバげなタイトルを見れば、一体何をされるのかと怯えるのがごく普通の感覚ではないだろうか?
 この二人と居ると、どうも「世間一般の恐怖の基準」というものがわからなくなってくるなとカカシは思った。
 とにかくこの場には、腕っ節に相当自信のある猛者か、或いはよっぽどの脳天気でもなければ、まず入って来られまい。イビキには気の毒な気もするが、こればかりはもうどうしようもない気がする。
「あのさ、イビキ」
 カカシは次々と小走りに走り去っていく客の後ろ姿を、どこか不思議そうに見守る巨漢に声を掛ける。
「何だ?」
「その『やさしい尋問教室』ってさ、例えばどういう事を教えてくれるわけ?」
「それはここに来たお客が、誰から何を引き出したいかによる。オレはただ、その状況に応じた質問のコツを教えるだけだ」
「おう、なるほどな。そういうことならこっちが教えて欲しいくらいだぜ?」
 アスマは一体誰に、何を尋問したいのか? ――などという問いは、敢えてしないことにするカカシだった。


 とそこに、二人の若い女性がひょっこりと顔を覗かせた。
 だが案の定、黒板のタイトルとごつい男衆の風体を見るなりギョッとした表情になり、即座に逃げ出そうとしている。
「ああっ、ちょっと待って! だーいじょーぶ、ゼンゼン恐くないから〜」
 カカシが逃げだした女性達に、背後から声を掛ける。
 だが二人はすっかり腰が引けた状態のまま足を緩めて振り返ったものの、泣き笑いの表情で強ばった愛想笑いをしている。
「まっ、確かに見た目はアレだけどさ。中身はね、意外と安全……とも言いきれないか? あぁいやいやいやでもホントに大丈夫なのよ。取って食ったりしないから。ね、ちょっとだけ寄ってってやってくれない? 絶対に面白いから。ねっ?」
 言いながら口布を下ろして笑いかけると、ようやく二人は少し安心したようだった。


「――はい、お二人様ご案内〜」
 一体何をされるのかと、びくびくしている女性二人に、教壇に立ったままの無言のイビキが、片手だけで席に座るよう勧める。
 イビキから少し離れた所にはアスマも居て、突っ立ったまま煙草をふかしつつその様子を面白そうに眺めているため、無駄に威圧感があることおびただしい。
 折角連れてきた客が逃げ出してしまわないかと、カカシは冷や冷やした。

「で、お二人は誰から何を引き出したいのかな?」
 そこで初めて、仏頂面だったイビキがニッコリと笑った。意外なほど人好きのする、優しい笑顔だったりする。
(その顔、もっと最初からやれないかねぇ?)
 カカシは内心苦笑した。

 二人はようやっとホッとした表情になって、「何を聞こうか?」と相談し始めた。
「――じゃ、じゃあ…、わたし」
「どうぞ」
「じっ、実は今、彼氏が…その…、浮気してるんじゃないかと、思ってるんですけど…」
「ふむ」
 イビキは唐突な色恋話にも顔色一つ変えず、話の続きを促している。
「浮気してるんじゃないの? って聞いても、ぜんぜんしてないって、もうその一点張りで…」
「なるほど。どうやったら、本当のことを聞き出せるかってことが、知りたいんだな?」
「――はい」
「ちなみに…お嬢さんは、もしその男が本当に浮気をしていたとしたら、どうしたい?」
「もう即刻、別れますっ!」
 その時カカシはアスマの顔をチラ、と盗み見た。
 すると真剣そのものの目付きで、煙草の灰が落ちるのにも気付かず、食い入るように二人のやりとりを聞いている。
(おーおー、お前も色々と苦労してんだ? まっ、せいぜい上手くやってちょーだい)
 教室の後方右隅に立ったカカシは、そこここで不意に沸き上がってくる笑いを抑えるのに苦労した。

「――じゃあ話は早いな。まずその男と会って、開口一番『今すぐ別れたい』と言えばいい」
「えっ? だって、もしも違っていたら…」
「大変な事になると、思うかな? でも実際にはならないはずだ。本当にお嬢さんのことが好きなら「何で」「どうして」と必死でしつこく理由を聞いてくるだろう。その時はじめて嘘だと言えばいい。最初は試したのかと怒るかもしれないが、好きだからこそ勇気を出して訊いたのだと説明すれば、最後にはきっと納得してくれる」
「ぁ…」
「仮にもしも彼が浮気をしていて、お嬢さんに興味が無くなっていれば、ロクに理由も聞かないまま、渡りに船とばかりにOKしてくるはずだ。それならそのまま別れてしまえばいい」
「むうぅ…、なるほどなァ」
(ヒゲ! お前が納得してどうすんのよ?)
 内心で思わず突っ込んでしまうカカシだった。

 その一連の様子を、廊下で遠巻きにして見ていた女性達が、恐る恐るだが教室の中に少しずつ入ってきだした。更に夢中になってイビキとやり取りする姿を見た女性達が、好奇心をそそられるのか次々と席についてゆく。
 やがてイビキは、まるで恋愛相談の講師のように若い女性に取り囲まれながら、次々と難題をさばき始めた。


「えっと…じゃあ今度はアタシ! あのー、好きな人が居るんですけどー、どうやって食事とかに誘ったらいいかわかんないんですー」
「ふむ。――ちなみに、あなたはどういう誘い方をしようと思ってる?」
「えっ? …えーっと…そのー…『今度、ご飯でも食べに行かない?』かな…?」
「なるほど。よく耳にする言葉だが、それだと相手に対して選択肢を与えすぎていて、あなたが一方的に損をしているとは思わないかな? そいつを少し変えただけで、もっと色良い返事が確実に返ってくる上手い訊き方があるはずだ」
「えっ、それって…?!」
「ならあなたに聞くが、「今度」というのはいつだ? もし相手にあまりその気が無かったとしたら、『これは社交辞令だろうか? なら断ってもいいな?』とすぐに思われてしまうだろうな。そこは『今度』じゃなくて、『一度』に変えるだけで、随分と印象が違うはずだ。違うかな?」
「ぁ…」
「更に言うと、『ご飯でも』じゃなく『ご飯を』だ。『行かない?』じゃなくて『行こう!』だ。『今度ご飯でも食べに行かない?』と『一度、ご飯を食べに行こう!』。これはほんのちょっとの言葉の違いだが、実は相手に伝わるものがまるで違うんだ。――分かるな?」
「ほんとだ…」
「人を誘う場合、相手に断られるんじゃないかと無意識に考えてしまう余り、ついつい言葉が曖昧になってしまうものだ。相手に断られたとき、自分のプライドが傷付かないように防御しているという面もある。でもそんなを事してたら、いつまでたっても相手に真意は伝わらない。普段から何気なく使ってしまっているが、言葉とは案外大事なものなんだ」
「はい…!」

 もう、周囲の女性達の瞳は、イビキに釘付けだった。 誰一人として席を立とうとする者はいない。
 いつしか教室は、彼の言葉を最後まで一言も聞き逃すまいとする女性達で、黒山の人だかりとなっていった。












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