「――ったく参ったな。イビキの野郎、あれじゃあ里の男どもを全員敵に回したのと同義だぜぇ?」
 私も私もと矢継ぎ早に上がりだした女性からの質問を背に、アスマとカカシは教室を後にする。
「まっ、いいんじゃないの〜?」
 カカシはアスマの本気の参りぶりに苦笑する。
(オレはイルカ先生しか興味無いしー)
 でも正直言うと、途中で危うくチャクラを練るのを忘れそうになったのだけれど、大丈夫。影分身は健在だ。消えた感覚は無いから、今も周囲の女性相手に上手くやっているだろう。
 この際思い人と仲良く出来るなら、どんな事でもする覚悟だ。一般人に顔を見せるくらいなんてことないし、イルカ先生と二人であのステージ上に立てるんなら、もうなんだっていい。どんなことだって喜んでする。
 今のところ首尾は上々だから、後は開票の時がくるのをこうして会場を巡りながら待つのみだ。
 銀髪の上忍は、胸の奥で次第に膨らんでくる期待に、口布の下でどうにも抑えきれない笑みを浮かべた。



 忍と一般人との交流祭は中盤にさしかかり、更なる盛り上がりを見せていた。

 アスマとカカシの二人が二階の廊下に差し掛かると、ある教室だけが一段と熱気が漂って盛り上がっているのに気付いた。
 廊下にまで人が溢れて、中からは聞き慣れた男の、明るい話声も響いてくる。
 教室後方の開け放たれた出入り口から中を覗くと、中は老若男女様々な人種を網羅しての、押すな押すなの大盛況だった。
 最前列には子供達が大挙して陣取り、つぶらな瞳を輝かせて男の話に聞き入っている。その周囲には子供らの両親、胸ときめかせている若い女性、ニコニコと目を細めるお年寄り、そして催事の任務を放り出して男の演目を見に来ているアカデミーの忍達がひしめいていた。
 その視線の中心に居るのは。
(――イルカ、先生…)
 カカシはその立ち姿に、暫し見入った。
 イルカが何かしらの授業をしている所というのは、同じアカデミー所属でもなかなか拝めるものではない。
 アカデミー内に多数潜伏するイルカファンまでが、この時とばかりに任務をサボって押し寄せてきているが、熊男を背後に頂いたカカシの強烈なひと睨みで、皆ギョッとなってコソコソとその場を後にしている。
 その空いた場所にちゃっかりと陣取った二人は、早速見張りという名の見物を悠々と始めた。

 イルカの背後の黒板には『にんじゃってなぁに?』という平易な言葉が、彼のおおらかで読みやすい字によって綴られている。
 今回の祭りにおけるイルカの受け持ちは、忍というものに興味があるなしにかかわらず、一人でも多くの子供や親達に広くその必要性を説くという、なかなかに重要なプログラムのようだ。
 きっと火影あたりのたっての希望なのだろう。この交流祭を開催する、ある意味最大の目的と言えなくもない。
 但し、年端もゆかぬ幼い子供らに難解な言葉をいくら並べ立てても、何ひとつ伝わることはない。
 イルカの目的は、『まずは忍という存在に興味を持ってもらう』という、その一点に絞られているようだった。

「――じゃあ、そこの赤い服の君。…そうそう、君ね。忍者って何をする人だと思う?」
 言いながら、イルカが後ろの方で隠れるようにして座っていた子供をさす。
「えぇー? なにって…。うーんとぉ…えーと…ぉ…」
 突然のことに混乱し、恥ずかしがってなかなか答えが導き出せない子供にも、イルカは決して急かしたり、先に答えを言うようなことはしない。
 目元に人なつっこい笑みをたたえたまま、うんうんと辛抱強く答えを待ってやっている。普段、上忍相手には見せたことのない、ほんのちょっとしたそんな表情にさえ、カカシの心臓はいつもと違う鳴り方をする。
 

「――えっとぉ…にんじゅつを…つかうひと?」
「そう、あたり! まずはそこが、大きな違いです。じゃあ、その術にはどんなものがあると思う? わかる人っ!」
 きっと別の答えが出れば、その答えに沿ってまた違った話を展開していったのであろう。その辺の臨機応変さは流石だ。
「ハイハイハイッ!!」と、元気のいい小さな手が幾つも上がった。皆、自分が言いたい! 早く言わせて! と一生懸命だ。
 イルカはノリ良くどんどん指差すことで、次々と様々な術名を引き出していく。
 中にはまだ4、5才だろうに、大人顔負けの知識を披露する子供も居たりして、周囲をあっと言わせた。
「おぉーなんだ、みんなやたらと詳しいな〜? どこからそんな情報仕入れてくるんだ? 参った、降参。もう先生が聞きたい事をみんなが全部喋ってくれました。ありがとうな。では、これからはちょっと難しいぞ? その術、例えば影分身の術で自分が二人になったとしたら、どんな時、どうやって使えば便利だと思う? いい考えが浮かんだ人、教えてくれるかな?」
 だが、急に手が挙がらなくなった。 その様子を見て、イルカがいたずらっ子のようにニッと笑う。
 カカシも見たことのない表情だ。思わず彼の顔を、声を、真剣に追ってしまっている自分に気付いて苦笑する。
「ハイ!」
「よし、君!」
「嫌いなおかずを代わりに食べてもらう!」
 周囲からドッと笑いが起こった。
「たはっ、そうきたかー。うん、でもなかなかいいぞ。でもあんまり好き嫌いが多いと、忍者そのものになれないぞ? んーと他には? ――じゃ、君」
「えっとね、朝、髪を結ってもらうの。後ろは一人じゃ出来ないから」
「ああなるほど、それもいいね。朝は忙しいから、手伝ってくれる分身がいるのは助かるよな。――じゃあ今度はここで、実際に影分身を作って考えてみようか? ちょっと君、いい?」
 最前列でイルカの顔をひたすら穴の開くほどじいいっと見上げていた、小さな男の子に声を掛ける。
「君、名前は?」
「ぇと、ナユタ」
「じゃあ、ナユタ、ちょっと目を閉じていて。――そう」
 少年に座ったまま後ろを向かせて目を閉じさせると、イルカが教科書通りの綺麗な手付きで、ことさらゆっくりと印を結ぶ。
 と、イルカの両脇に、薄煙に包まれた二体の影分身がふわりと現れた。
 教室が「わぁっ」という大きな歓声とどよめきに包まれる。
「さあ、ナユタ。目を開けていいぞ」
 言われて目を開け振り返った少年は、三体のイルカに見下ろされ、あっと驚きの声を上げた。
 そして口をぽかんと開けたまま、何度も三者を見比べてきょときょとしている。
「さ〜ぁ、分身は二人だけかと思っていたのに、三人になったぞ? しかも、ここにいるナユタには、どれが本物かがわからない。こんな時、みんななら、どんな面白いいたずらを思い付く? あ、意地悪なのはダメだぞ、ナユタも笑えるようなを考えてやってくれ。これはちょっとセンスが必要かもな。さあ、どうする?」
(いたずらときたか…) 
 カカシは俯いて小さく笑った。
(そうだな、『どんな戦い方をする?』なんていきなり一般人に聞いても、悪戯に怖がらせるだけだからな)
 その場の和やかな雰囲気を決して壊さずに、一般と忍との間を絶妙に取り持つ事の出来るイルカの存在は、今後の里の盛衰をも左右させる、とてつもなく重要なものなのだろうな、とカカシは思う。
 恐らく、自分などより遥かに。

「――あ、どうぞ大人の方達も、是非一緒に考えてみて下さい。発言もご自由にどうぞ」
 子供達の後ろに陣取っている大人達にも、イルカはしっかりと水を向けている。しかも三体のイルカは、皆口々に違うことを喋りながら三方にバラバラに動き出して、見ず知らずの隣り合った者同士が気さくに話し合えるよう取り持ったり、突拍子もないアイデアに大きな口を開けて楽しげに笑ったり、子供達に飛びつかれてもみくちゃにされたり、かと思うとちゃんと一体は司会進行をやったりしている。
 こうなるともう、この場の人々の心は驚きと好奇心から全員イルカへと吸い寄せられ、その屈託のない笑顔はおろか、些細な動きや言動の一つ一つにまで感心が向いて、皆彼の作り出す居心地のいい空気にすっかり呑み込まれていく。
 イルカはとにかく、この場の者達に徹底的に問いかけることで、考えさせようとしているのだな、とカカシは思う。
 今の質問に、これといった正答はない事から、恐らくは最終回答すら、イルカの口からは何も語らないつもりだろう。
 自らの力で考え、答えを導き出す事がいかに重要か。 逆に言えば、他人に口頭で言われただけの事がいかに身に付かないか。
 イルカはそういう事を誰よりもよく知っていて、全体からよりよい答えを一つでも多く導き出すために、様々なアプローチを用いて粘り強く導いているのだろう。
(すごいね)
 どんな時も頭から否定せず「それでいい」或いは「それもいい」と考えながら次の行動に繋げることのできる、教師としてのイルカの前向きな姿勢に、カカシは不思議な強さと優しさを感じた。





「――や〜、あいつの求心力には参ったな、ったく」
 アスマが半分呆れたような声を上げて、バリバリと頭を掻いている。
 大人も子供も夢中になり始め、様々な意見が飛び交いだして、ますます盛り上がりをみせる教室を、二人の上忍はそっと後にしていた。
「三代目が側に置きたがるわけだぜ」
「あぁ」
(オレも、ね…)
 そこまで考えたとき、ハッとした。
 ひょっとしないでも、今のイルカ先生の講義を聞いた者達は皆、なんら迷うことなく彼に投票するのではないだろうか?
 下手したら男性票、女性票共に、イルカ先生がブッちぎりで1位を獲得する可能性だって大いにあり得るのでは?
 あの顔写真一覧の前にカカシの現物までが居座って、常に強烈なアピールをしているというのにだ。
(あの人はそんな姑息なヤツなんて、歯牙にもかけない存在、なのかもね…)
 いやはや参ったねぇ、とカカシは口布の下で今日何度目かの苦笑する。
 でも彼が男女共に1位となると、ちょっと…いや正直かなりつまらない。
 彼にひとかたならぬ思いを抱く者として、この千載一遇のラブチャンスをみすみす逃すのは、やっぱりどうにも惜しい気がするのだ。
(これはオレもうかうかしていられないぞ)と、にわかに焦りとも期待ともいえないものが沸き上がってくる。
 が、正直なところ、分身と遠く隔った今の状態で、これ以上影を増やすことも難しい。
 女性票まで自分を抜いて堂々の一位になってしまいそうな勢いのイルカを何とか阻止したいものの、どうも実力の差でイルカに押しまくられている気がするカカシだった。
(まっ、とにかく。イルカ先生がオレ以外の誰かとキスするような事にだけはならないようにしないとねー)
 とりあえずチャクラの練り忘れには気を付けよう、と改めて肝に銘じた。












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