二人は建物内を一巡すると、再び屋外の人混みへと向かっていった。
 押し流されるようにしてようやく辿り着いたのは、野外ステージ前である。そこでは今、まさにガイの体術が披露されているところだった。
 ステージ上ではガイが真っ白い歯をきらめかせつつ、やたらと気合いの入った高度な体術を、特別製の重いサンドバッグ相手に解説付きで行っている。

「さぁみんなァ! 待たせたなッ! 次はオレの十八番、ダイナミック☆エントリーだ!! これは加速を付けてジャンプした後、高い位置から相手の急所目がけて電光石火の如く利き足でキメる! これだ! オレのナイスバディが描く、ビューティフルでパーフェクトな攻撃軌道をじっくりと見てくれ!」
 ステージ前には、就学前の少年から熱狂的な大人の格闘技ファンまでが大勢詰めかけて、結構な盛況である。最前列ではガイの部下であるリーまでもがその瞳を輝かせて、夢中で見入っている。サンドバッグ相手に派手な術が決まるたびに、拳を突き上げた野太い声援が上がり、そうするとより一層ガイが派手なパフォーマンス付きの体術を披露するため、騒々しいことこの上ない。
「なぁ、いつ終わんだこれ…?」
「――オレに訊かないでよ…」
 カカシが力のない答えを返す。
 だが、我々同僚の予想以上にガイの体術披露は盛り上がりを見せ、最後にはアンコールまで飛び出すと、ますます意気上がるガイは調子に乗りすぎて、ステージのど真ん中に大穴を開ける、などという羽目まで外してくれた。

 しかし演目終了後、洋服の背中に次々とサインをせがまれるガイを見て、カカシは一抹の不安を抱く。
(んーちょっと待てよ…? こいつらが皆ガイに投票したら、イルカ先生太刀打ち出来るかなー…)
 だが逆に、もし万が一にも自分が女性票でイルカ先生に負け、結果イルカ先生とガイのキス…などという事になったなら。
 雷切でも何でもいいから発動して、とにかくその場をブッ壊してやる、と心に誓うカカシだった。


 ガイの体術パフォーマンスの後は、紅の幻術披露だった。
 独特な際どい服装と大きな紅い瞳が何とも印象的な上忍がステージへと上がっていく。と、今まさに散りかけていた男どもが、踵を返して続々とステージの周りに戻ってきだした。人気投票の顔写真を見てすっかり魂を抜かれ、今か今かと随分と前から場所取りをしていたオヤジ達と混ざりあうと、場は押すな押すなの大混乱となる。
 その騒ぎのさなか、少しも動じる様子なく長い足をきれいに交差させながら、紹介された紅が前へと進み出る。
 会場は一瞬、水を打ったように静まり返った。
「――皆様こんにちは。アカデミー所属の上忍、夕日紅です。短い時間ではございますが、どうぞ宜しくお願いします」
 瞬間、野郎どもの嵐のような拍手と、ウォーという地鳴りのような太い大歓声、そしてピューッという鋭い口笛が周辺の大気を揺るがした。
(うっそでしょー…)
 それまでいつも以上に眠そうだったカカシの右目が、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。危うくチャクラを練り忘れそうになり、慌てて続行する始末だ。
 アスマはと見ると、苦笑いしながら口端で煙草を噛み、斜めに構えつつ遠くのステージを見ている。
 ひょっとしたら、腹の中ではあのかぶりつきの野郎どもを一人ずつ血祭りにあげているのかもしれないな、などと思うと、自分も少なからず覚えがあるだけに、流石に少々気の毒なような、けれど可笑しいような、何とも複雑な心持ちになる。

「…ありがとうございます。では、まず幻術の簡単な説明からさせて頂きますね。――幻術とは、一言で言えば脳に直接働きかけて幻を見せる忍術のことです。幻術は自分の居場所を悟られずに、しかも複数の対象者に一度に術をかける事が出来るというメリットがあります。対象者に直接肉体的攻撃を与えることは出来ませんが、使いようによっては非常に効果があり…」
 ステージ上では、紅が流れるように淀みなく幻術の説明をしている。
 そのいつもの妖しい服に身を包んだ彼女の周囲に押し寄せた奴等はというと、どいつもこいつも皆口を半開きにして、だらしなく弛んだ顔を気持ち上気させ、さながら魂でも半分抜けかかったような顔になって見上げている。
(あのねー? もう紅の幻術にアタマやられたってか? ったくもう…)
 カカシは口布の下で苦笑う。彼女と一緒に任務に行った時の、呆気にとられるほどしたたかで気骨溢れる活躍や、酒の席でのとんでもない酒豪っぷりなどの「女傑列伝」を今ここで幻術で見せてやったら、さぞかし皆引くだろうなと思ったが、後が恐いのでやめておく事にする。

「では今から、早速幻術の方を発動していきたいと思います。…と、その前に。実は私、もう既に皆さんに向かって術を発動していたのですが、どなたかお気付きですか?」
 黒髪に取り巻かれた妖艶な笑みが、周囲に向かってゆったりと零れるが、突然の質問に腑抜け野郎どもは皆「はぁ?」といった感じで、互いの顔や周辺をキョロキョロと見回すばかりだ。
 するとその時、一人の小さな少女がステージ上を指差して言った。
「さっきまでここにあいてた、おおきなあながきえてるよ?」
 途端、ブッとアスマが吹き出した。 巨体を屈めて必死で笑いを堪えている。
 大の大人の男達が女の色気に目が眩み、子供にでもわかるような事にすら気付かないとは。
「はぁい、正解です。さっきの体術の時に開いてしまったステージの穴が、きれいに無くなって見えているはずですが、実は開いたままなんですね〜。お嬢さん、お年は幾つ?」
「よっつー!」
「偉いわ、よく分かったわねぇ。――では皆さん、今から実際に簡単な幻術を発動していきますが、4歳のお嬢ちゃんに負けないようにしましょうね? 前のほうの方、大丈夫ですか? どうぞお口は閉じていて結構ですので、目の方を開いてて下さいね?」
 紅のキツイ裏拳が落ちた瞬間だった。

 結局、会場の者達は一つとして紅の幻術を見抜けず、順に種明かしをしてもらっては「はぁ〜〜〜」と気の抜けた溜息をつくばかりだったが、くノ一人気はそれに反比例するようにますます上昇していく。
(ヤバい、ヤバいぞ…、ひょっとしたら「イルカ先生と紅」なんていうキスシーンを見なくちゃいけないとか?!)
 カカシの一抹の不安は、いつしか怒濤の不安へと取って代わっていた。
 投票締め切り時間まであと二時間。発表まで三時間。
 ふと我に返ると、カカシは次々と沸き上がってくる嫌な予想を、片端から打ち消していく事に躍起となっていた。

 そして、突然びくんと体を固くしたかと思うと、何かに気付いたような顔をする。
(…ぁ…、いつの間にかチャクラ練り忘れてた)
 かっくりと項垂れて、再び影分身を置きに一人掲示板前に行くカカシだった。




 いくらイルカの事で気を揉んでいたとは言え、チャクラを練り忘れるなど二十年来の失態だ。
 カカシが少々うなだれつつ、顔写真を掲示してある場所に歩いていくと。
「あ、カカシさん! やだなぁもぉ〜、どこ行ってたんですか、真剣に探しましたよぅ〜!」
「急に煙と一緒に消えちゃうからびっくりしちゃったぁ」
「もう絶対にどこへも行かないで下さいねぇ〜!」
 などと口々に叫びながら、若い女性達がたちまちカカシの周囲を幾重にも取り囲んだ。
「なっ…いや、あのねぇ?! オレだってこう見えても忙しいのよ〜?」
 本当はアスマと二人で会場をぷらぷらしてただけなんだけどねと思いつつも、慌てて印を切り影分身を出す。
 その場に突然湧き上がった薄煙と音に周囲の女性達が一斉に気を取られた瞬間、再び本体のカカシはその場を後にした。





「――カカシおめぇ、さっきから一体何コソコソやってんだ? …さては何か企んでやがるな? あァ?」
 ステージの方に戻るや否や、アスマがさも不審そうな目でぐいと見下ろしてくる。
「はぁー? 企んでないって、何も〜」
「ウソつけ、何だ、何考えてやがる。イイコだから言ってみろ。――正直に、言わねぇとォ〜」
 雄々しい体躯を気持ち屈め、口端ではなくわざと真ん前で煙草を噛んだむさ苦しい髭面をずい、とカカシの顔の真ん前に持ってくる。煙草の先の真っ赤な火種が、今にも口布を焼きそうなほどの際どい距離だ。
 片頬だけつり上げながら、瞳の奥まで睨み付けてくる鳶色の眼光は、流石にデキる上忍だけあってまるで隙が無く鋭い。全身にブチ当たってくる殺気にも、直接圧されるような凄まじい迫力がある。アスマにこれをやられても全く動じないでいられるのは、オレとガイ、そしてイビキくらいのものだろう。(あぁ、あと紅ね〜)
「だーかーら何もしてないって〜。なに一人で勝手に取り越し苦労してんだか。やっ…ちょと、灰は落とさないでくれる? 大体こんなことしてる暇、ないんじゃないの〜?」
 カカシは一歩も後ろに下がらないまま、普段は丸くなっている背中をぐっと反らしてアスマと向き合い続ける。
 周囲では大男同士の何やら異様な光景に、人々が距離を取って足早に通り過ぎていく。
「あ? だったら、どうしたよ?」
「――ほら?」
 カカシの右目が向いた方向へと、アスマが振り向くと、

「ああっ、いたいたーっ! もう、アスマちゃんたらーッ♪ 折角遊びに来てあげたのに、どこ行ってたのよーん」
「イイ男センサーびんびんのアタシ達から逃げようったって、そうはいかないわよぅ〜?」
「一緒に屋台のフランクフルト食べに行こうぜぇ〜!」

「イっ…?!」
 視線だけで人が殺せるほどの気を放っていたアスマの表情が、突然哀れなほどみっともなく歪んだ。
 視線の先には、派手な衣装に身を包んだ明らかに男と分かる連中が三人、こちらに向かって駆け寄ってきている。
 すぐに今の今まで山のようにどっしりと構え、堂々とした風格を漂わせていたアスマが、突如逃げ腰になってじりりと後ずさりだした。
 アスマの、この世で唯一無二の天敵の襲来だ。
 以前コイツは、賭に負けた代償として、アンコ行きつけのオカマバーに連れて行かれ、散々に弄ばれてすっかり気に入られてしまった経緯があるのだが、それ以来その目立つ風貌から、道で会っても抱き付かれたりちょっかいを出されたりして散々な目に遭い続けている。
 アスマも幾らまとわりつかれているからといって一般人に手を出すわけにも行かず、逃げ切れない時はされるがままになっているため、余計に向こうが調子に乗ってきてエスカレートしているのだった。
(まっ、ハタから見てる分にはと〜っても楽しい事態なんだけどね?)
 カカシは堪えきれずに俯いて、ぷるぷると肩を震わせる。
 それでもアスマは、「待った!」とは言うものの、敵前逃亡などというものを要領よく出来ない本来の豪胆な性質が災いして、酷く困惑した情けない顔をしながらも、辛うじてその場に踏みとどまっていた。
 まぁでもどこに逃げようとも、この目立つ容姿ではまたすぐに見つかってしまうのだが…。
 その結果、恐いものなど何ら無いはずの巨漢の上忍は、壮絶な容姿の元気一杯なオカマ達に取り囲まれ、冷や汗を流すことになる。

「ホント、いつ見ても素敵なオ・ヒ・ゲ」
「ちょっとちょっとォ〜、アタシのアスマちゃんに気安く触んないでよ、このデブ!」
「あ〜らやだ、羨ましいんでしょ、ハゲ!」
「お黙り! ちょっと毛深いからっていい気になるんじゃないわよ、フンッ!」
「なぁなぁ、こんなブス達放っておいて、二人で屋台巡りしようぜ? なっ? 美味しいものいっぱい奢ってあげるからさ?」
「なぬぅ?! ブスとはなんじゃ、ブスとは〜!」
「そーよそーよ、セクシーにハゲてるのは確かだけど、ブスじゃないわよ、ねぇ〜?」
「いっ、…いい。遠慮しとく。――今、任務中だから……な! なっ! カカシ!」
 アスマの懸命の助け船の要請に、ここで突き放したらさぞかし面白いだろうなと思ったが、後々のことを考えて、救いの手を差し伸べてやることにする。
「あー、あのさ。みんな悪いけどまたにしてやってよ? オレ達、見回りサボってるのバレるとすぐに給料減らされちゃうから」
「ああ〜ん、そんなのへーき、アタシが一生養ってあげるぅ〜」
「ありがとね。でも知ってる? コイツ最近、遊びすぎが祟って借金取りに追いかけ回されてるって」
 すると、「やだウソォー?!」という野太い声と共に、アスマが目を剥いている。
「それがもうどうにも首が回んないとこまで来ちゃっててね。実は今日も、朝からそっちの筋の回収代行屋が会場内をうろついてるのと出くわさないように任務してるから、もう無駄に手間ばっかかかってて大変なわけ。こっちもいい迷惑してるんだけどね。もちろん出くわした場合は、片っ端からお帰り願える範囲で懲りて貰ってるけど、向こうも必死だからさ。さっきも一人一般の人が巻き添え食らっちゃって、内々に処理すんの大変だったんだから。…あ、もちろんこのことは他の奴等には内緒ね?」
「ええぇ〜、ほんとなの? アスマちゃん?!」
「あッ?! ――あぁ……まぁ…」



「――おめーよ、やたらオカマあしらい上手くねぇか?」
 それでも名残惜しそうに何度も振り返りつつ、人混みに消えていくオカマ達を見送りながら、アスマが呆れた声を上げる。
「有り難く、思ってね?」
「冗談じゃねえ。何でぇ借金取りってのは? 片端から、なんだってぇ? いくら何でも聞き捨てならねぇな、オイ」
「え、何? もしかして体裁なんて気にしてんの? 何だかんだ言ってても、ホントはアノ連中に気でもあるとか?」
「ちっ、ちがっ……あぁもう笑うな! …ったくもう……くそっ!」
 このネタで、一生遊べるなと思うカカシだった。












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