こういった処遇はさして珍しくもないこととはいえ、ここまで露骨な扱いを受けたのも久しぶりだった。柘植という男の、救いがたい一面を見た気がする。
(でも案外、似たもの同士…か)
 最近、ふとした瞬間に、(オレは、お尋ね者の不穏分子達と何の変わりがあるのか)と思うようになっている。実際他里が発行する手配書に、『最重要警戒人物』としてオレの名前が載りだすと、木ノ葉の者達の見方も変わった。
 危ういバランスを保ちながら、夜ごと薄氷の上ばかりを好んで渡り歩く、里にも国にも心からは傅(かしず)かない忍。
 万が一氷が割れて冷たい水の中に落ちたとしても、足場が危険すぎるのを理由に、恐らく誰も助けには来るまい。事実そういう所にばかり回されているうち、大勢の仲間が犬死に同然の最期を迎えている。
 里一番の上忍などともてはやしたところで、結局忍とはその程度の存在でしかない。
 実際、父もそうだった。
 柘植のやり方を一方では嫌悪しつつも、他方ではある意味肯定してしまっている己に、言葉に出来ない嫌気を感じた。
(やめろ、これ以上考えるな)
 口布の下で短い溜息を吐きながら、頭上の汚れた硝子窓に切り取られた夜空を見上げる。
(この先、この国が右に転がろうが左に転がろうが、構いはしない)
 もしも大きな戦になったらなったで、それなら自分は何も思い悩まなくていいのだから。
 どっちに転がったにしろ、忍である自分を待っているのは漠とした闇だ。この世がどれほど変わろうとも、それだけは変わりようがない。
(――確かで、……よかったじゃない…)
 曖昧で不確かな未来を夢見るくらいなら、いっそ。

 一杯まで効かせた夜目にも、晩秋の夜空は黒一色に映った。
 自身の吐く息すら見えない真の暗闇の中、カカシは己の片膝を抱いて眠った。




     * * *




「――お前が、此度の護衛役か」
 重厚な瓦屋根の連なる古城の一室。
 城主である壮年の男が、目の前に跪き、頭を下げている黒髪の男に向かって静かに訊いた。
「はい。海野イルカと申します」
「階級は?」
「中忍です」
「そうか。やはりあの金では、それ以上は望めぬか」
「――――」
 イルカは押し黙った。自分に返す言葉はない。
 この雇い主の言っていることは痛烈ではあるものの、間違ってもいない。上忍を長期間に渡って気軽に雇える大名など、超大国の火ノ国であっても数えるほどしかないのだ。
「命は惜しいが、弱小大名の身ではどうにもならぬわ」
 ちろちろと揺らぐ行燈の灯りに顔の半面を照らされた当主は、イルカを目の前にしても、何ら悪びれる様子もなく言い放った。
「――――」
 確かにこの妙見のように、近頃台所事情が苦しくなり、その勢力に陰りが見えてきている大名は、自分のような中忍を長期間雇うだけでも厳しいのだろう。その現実を前にしては反論は勿論、肯定すら出来ようもない。
「どうした。何か言わぬか」
「はい…しかし…」
 イルカは何と続けたものかと咄嗟に口を噤んだ。着任早々、まだ背景も意向もよく知らぬ雇い主に対して迂闊な事を口走り、心証を悪くするのは本意ではない。
「ああ、一つ言っておくがなイルカ。儂の前では『沈黙は禁』だ。お前達忍にとっては黄金の金に値するものかもしれぬが、ここでは禁止の禁だ。分かったな」
「はい!」
 イルカの俯きがちだった表情に、ぴっと一筋の緊張が走る。
「儂はお前の忍としての技の他にも、知恵と経験を安くない金で買っているのだ。そのお前とこうして貴重な時間を割いて向かい合っているにも拘わらず、一言も会話も交わさぬようでは、何のために大枚をはたいたか分からぬ。お前達忍は、触らぬ神に祟り無しとばかりに、どいつもこいつも安易に無言を通そうとするが、それでは何の妙案も出ないし進展もない。分かるか、初対面であればあるほど『沈黙は禁』なのだ。この言葉、よく覚えておけ」
「承知致しました」
 言いながら、イルカは改めて己が『金で雇われている』という事がどういう事なのかを、問われている気がした。
 初対面の彼を舐めてかかっていたつもりは毛頭ないが、緊張感で背筋がぴしりと伸びるのを感じる。
「――では、早速伺いますが…」
 イルカは澄んだ瞳を上げて妙見と正対すると、おもむろに切り出した。
 初対面であれ誰であれ、元々イルカは他人と会話することに全くと言っていいほど抵抗感がない。答えてくれるのであれば、聞きたいことは幾らでもあった。
「何だ」
「まずは忍を雇われることになった理由を、お聞かせ下さい。今まではずっと廉価な他国の下忍を雇われておられたようですが、何故急に依頼金を引き上げる必要があったのでしょうか?」
 火ノ国の忍は下忍でも粒揃いだが、その分高くつく。長期間雇うとなると、周辺国に属する護衛専門の下忍の方が遥かに安く上がるため、多少のリスクはあってもそちらを選ぶ者は多い。
「ふむ、そうだな。ある男から、命を狙われる可能性が出てきた…とだけ言っておこうか」
 立て板に水の依頼人でも、流石にそれ以上は明かしたくないらしい。内心で(これでは沈黙とさして変わらないな)と思いつつも、賢明なイルカはひとまずそれ以上追求しないことにする。
 諸大名の多くは、日々勢力拡大に勤しんでいる。手駒の忍にすら真意を知られたくない、熾烈な権力争いの駆け引きの中を生きているのだ。
 どうやらそのただ中に放り込まれたらしい自分は、ごく限られた情報の中、どこから飛んでくるかも分からない火の粉を、いち早く察知して払わねばならないらしい。
(結局、いつもと同じか)
 今回も警護という役回りが、実に不利な立場であることを再認識しただけだった。

「ちなみにその妙見様の『お心当たりの者』というのは、もしも捕らえましたら事実ごと公にしても――?」
「良い。その場合は好都合だ」
「承知致しました。では、今日の所はこれにて」
「いいだろう。今夜くらいはゆっくり休むがいい」
 イルカは一礼すると、城主の前から辞した。
 

 案内の者に連れて行かれたのは、その昔女中が使っていたと思しき古びた屋根裏部屋だった。
 すり減った狭い階段を登って三畳ほどのその部屋に入ると、長いこと動いていない澱んだ空気の臭いがした。窓はなく、周囲は剥き出しの巨大な梁と垂木、それにくすんだ野地板がびっしりと取り巻いている。畳は入っておらず、不用意に歩くと冷えた床板がギシギシと嫌な音を立てた。
 とはいえ、そんな部屋でも、何も与えられずに方々を探し回るよりかは遙かにましだ。
 一般人ならば鼻をつままれても分からぬほどの暗闇の中、イルカは真っ直ぐに部屋の隅まで歩いて行くと、折り畳まれていた粗末な夜具に腰を下ろした。
 その瞬間から、もう既にイルカの頭の中は、先程の会話の中身へと入れ替わる。
(もしも差し金の尻尾を掴んだなら、その行為を世に広めても良い…か)
 妙見は暗にそう言っていた。要するに、敵方の痛手は自身の利益に繋がるということだ。
(そういう、間柄か)
 果たしてそんな所まで暴露が可能な相手かは分からないが、雇い主にとって決して安くない金で雇われたのだ。
 ならばこの三ヶ月間は敵がどこの国の誰であろうと、ただひたすら命令を守り通すだけだ。



     * * *



「おい、木ノ葉の」
 柘植が小さく一言呼ぶと、ぎらぎらと行燈の灯りを跳ね返していた豪奢な金屏風の向こうから、銀髪の男が音もなく現れた。
「この半月、何事も起こらずに退屈か?」
 カカシがゆっくりした足取りで城主の前に跪くと、早速柘植が切り出す。
「――いいえ」
「嘘を吐け。退屈で死にそうだとその右目が言うておるぞ」
(――こいつ…何が言いたい?)
 カカシは内側ですっと目を細めた。研ぎ澄まされた警戒心が、にわかに頭をもたげてくる。
「いや、こちらとしても出来れば早く不穏な影は始末して、安心して年を越したいと思ってな」
「不穏な、影?」
 警護として雇われたが、今までそんなことは一言も言っていなかっただけに、尚のこと「何かあるな」とぴんとくる。
「まぁ何だ、要するに私の命を狙っている者だ。お前もそれさえ分かれば、先手必勝でさっさとカタを付けて里に帰れるというものだろう?」
 だが柘植の声音はいやに飄々としていて、狙われているにしてはさして重大な事でないかのような口ぶりだ。
「それは……言外に殺しを命じておられますかね?」
「いいや〜。殺しなど滅相もない。私はそんな悪人ではないぞ、カカシ」
 臆面もなくそう言っておきながら、「川向こうに、妙見という男がいてな」などと、空々しくも明後日の方向を向いて勝手に喋っている。
「お前も早く里に帰って、腹一杯食べて温かな寝床で眠りたいだろう?」
(なるほどね。それであの待遇だったと)
 柘植は暗に、『その妙見とかいう男を葬るまでは、いつまでもこの待遇のままだぞ』と言っている。
 とうとう本性を現したかと思う半面、全ての交渉事を自分の思う通りに運ぶには、このくらい情け容赦なく周到に事を運んで当然だなとも思う。『人としての情』などという鬱陶しい雑念がない分、この男の考えは、ある意味共感できる部分すらある。
 とはいえ、彼の要求を呑むのは明かな契約違反だ。自分はこの男の警護という名目で雇われている。もしも『金次第では目の上の瘤である有力者も始末する』となれば、火ノ国はたちまちにして内乱に没するだろう。
 柘植の要求を呑んで実行することなど造作もないことだが、それが公になれば、忍としての存続や生死すら危うくなりかねないのだ。そんな面倒事など一切御免だった。
 だが、短期間で有力大名の一角にまでのし上がってきた男らしい、狡猾な言葉は続く。
「里一番の優秀なお前なら分かるだろう? 私を守るということは、すなわち敵を先に制するということなのだ。違うか?」
「どうでしょうねぇ。さっきから敵、敵と仰ってますが、その妙見とか言う男が法に背いた倒すべき敵であるという、正当な理由はおありになるので?」
 言うと、その問いを待っていたかのように一本の巻物が投げてよこされた。
 紐解いてみると、一本の川が中央に描かれた、この一帯の地図だと分かる。その川は城の天守閣からも眺められる、近隣でも有数の一級河川だ。
「知っての通り、当家は代々回船業を営んできている。事業も多角化して波に乗り、お陰で今や政界に進出させてもらうまでになった。実は妙見も昔から回船業を生業にしていてな。初代が創業した当初は、互いに船を融通するような仲だったが、奴には元々商いの才覚が無かったのだな。最近目に見えて落ちぶれてきだした」
「それで、その妙見とやらが、同業者であり商売敵であるあなたの存在が邪魔になって、消しにかかってきていると?」
「そういう事だ」
(何ともまぁ、ウソ臭い話だな)
 カカシはわざとらしく、一つ大きな溜息をついた。聞けば両者は、以前から生業も取引相手も領地も何もかもが重なっているらしい。
 政界に身を置き続け、既得権益や発言力を高い位置でキープし続けるには、常に多額の金が要り用だが、この場合、柘植の方が業績の落ちはじめた妙見の領地や取引先をこの機に乗じて奪い取ろうとしている、という図式の方が余程自然ではないだろうか。
 慎重に、己の手を汚さぬようにしながら。









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