だが、忍のこれ見よがしの嘆息など意にも介さぬ男の、飄々とした物言いは続く。
「先だっても、他国の下忍がこの敷地内をうろついていたのを捕らえてみれば、奴の所の護衛だったのだ。これは私に対する明かな宣戦布告だぞ」
「それは、貴殿が先に妙見側を突っついたからでは?」
「ふん。カカシよ、お前も木ノ葉の上忍ならば上忍らしく、言葉にはよくよく気を付けた方がいいぞ? 私のような平和主義者を掴まえて何を言うか。大体お前を雇うのに、どれだけの法外な指名料を前金として払ったと思っている? 何なら今すぐ火影に掛け合って、この契約ごと白紙に戻してもいいのだぞ?」
「――――」
 そんな脅しなど、自分には痛くも痒くもない。だが慢性的な資金難に喘いでいる上層部の耳には、他の何より痛烈に響くだろう。
 カカシは落ち窪んだ眼孔の下で、ゆっくりと一度、瞬きをする。
 財閥、大名、そして忍。
 みな同じ国の民ではあるものの、所詮は金と権力でしか繋がっていない。それは『金と権力さえあれば、世の一切の出来事は繋がりを持ち、黒とて即座に白となり得る』ということだ。それは木ノ葉の火影と言えども変わりはない。
 だが当然の事ながら、承諾はしかねていた。柘植の要望通り、その妙見とか言う男を消したとしても、上層部に知れた際に黒を白と認めて貰えなければ、詰め腹を切らされるのは他でもない自分なのだ。
 かと言って「契約内容と違う」といまさら里にかけあったところで、「上忍ならば上手く処理せよ」などという、金欲しさから出たおざなりな返事しか返ってこないであろう事もまた、過去の経験から重々承知していた。
「面倒な貧乏くじを引くのは御免ですからねぇ」
 待遇の悪さに耐えかねて安易に殺しを請け負い、結果として己の命を危険に晒すほど、自分は馬鹿でもお人好しでもない。すげなく断りの意を口にする。
「何とまぁ、木ノ葉の上忍も落ちたものだな。それほどまで臆病者だったとは」
 だが柘植は引き下がるどころか、更なる駆け引きを試みている。よくよく図太い男だ。
「私を焚き付けようとしても無駄ですよ。厄介ごとは御免です」
「案ずるな。奴の所には他国の木っ端下忍しかおらん。お前なら幾らでも細工は出来よう。まずは様子だけでも見てくるがいい」
「おや、急に問題がすり替わりましたね。城の主が何者かに殺されておいて、誰もその責めを負わずに済むとお思いで?」
「また殺しなどと、物騒な。私はそんな事は一言も言っておらぬぞ、カカシ」
(ふ、またそこか…)
 一向に噛み合わない会話に、腹の底でじくじくと苛立ちが沸き上がってくるのを堪えながら、引き続き『説得という名の拒否』を試みる。
 柘植は、最終的には「上忍の独断だった」ということにして、自分に詰め腹を切らせようとしているのだろう。そのことが手に取るように分かるだけに、今後の返答や行動には十分注意せねばならない。
「私には契約書に書かれてある事が全てです。こちらから出向いていって人を殺めるの行為は、護衛ではない。明らかな人殺しの幇(ほう)助であり、重大な契約違反です」
 彼がこんな筋の通らぬ無理難題をふっかけてくるのも、忍を道具としか思っていない事の証しなのだが、今はそこに腹を立てている場合ではない。
「カカシ、お前は儂の命を取ろうとしている者の、敵陣さえ視察出来ぬというのか? やれやれ、困った上忍もいたものだな。それではいよいよもって契約を破棄するしかないぞ」
「――――」
 続けて「契約書に書かれている違約金は、お前の年収の何倍だろうな」と言いはじめると、もはや「アンタがやろうとしていることは、金や契約以前の問題だ。例え何と言われようが断る」という反論すら馬鹿馬鹿しくなり、以降カカシはむっつりと押し黙った。

 だがその沈黙は、柘植に「暗黙の了解」と都合良く受け止められ、それと同時に多額の礼金を里にもたらすための手続きが当初の予定通り粛々と進められた。



     * * *



 柘植との不毛なやりとりがあった数日後。
 カカシは川向こうの古城を目指して、かれこれ数刻ほど前から駆けていた。
 一斉に葉が落ちだした照葉樹の林は、夏場のようには自分の姿を都合良く隠してはくれないが、その分他者の気配も露わになる。潜身術に長けた者にとっては好都合な季節だ。
 程なくして、苔むした石垣が取り巻く城の麓に辿り着いていた。見渡したこの敷地の何処かに、柘植の言っていた妙見という大名がいるらしいのだが。
「その男が自分を狙っているかもしれないから、行って殺してこい」という命令。
 道理もへったくれもない無茶苦茶な話だが、そこに金と権力が加わると、途端にある方向からは筋が通りだす。
 その馬鹿馬鹿しさから、つい色んな事が面倒になってきて最後には無視を決め込んでいたが、あのあと柘植は「了承」と受け取っただろう。
 自分は一任務ごとに、待つ事が出来なくなってきているように思う。それは左目を手にして夥しい数の術をコピーしだしたことで、いよいよ加速した気もする。
 無駄な時間を費やさずとも、左目を駆使さえすれば、事はいち早く確実に片づいていく。それ以外のことは信じない。
 頭から他人を信じきったがために、無惨な死を遂げた奴らなら嫌になるほど見ているし、そういう敵を山ほど葬ってきた。
(ふ、そんな者を人並みに扱えという方が、どうかしてるってことか)
 自虐的な笑みが口端に浮かぶ。
(なに、分かってるじゃない)
 そう、分かっているのだ。
 なのに、いまだに、心のどこかで足掻こうとしているなんて。
 こういう時は、さっさと目の前の任務に傾注するに限る。
(なにも、なにも案ずるな)
 忍の存在理由なら、この世にごまんと溢れている。
(ふ、畏れ多いねぇ)
 あちこち漆喰の剥げ落ちた目の前の高い外壁を、鬼神の如き一閃で飛び越えた。



     * * *



 城内は寅の刻に入り、静けさを増している。
 見渡した城郭は、柘植のそれに比べると随分と小規模で、尚かつかなり古かった。この城の城主であるらしい妙見という男、聞かない名だと思っていたが道理でだ。
 探していた人物は、思っていた本丸の一角ではなく、従者らが寝起きする北側の、あまり日当たりの良くない狭い一室でひっそりと眠っていた。
 護衛の入れ知恵なのだろう。簡単には見つからぬよう、点々と居場所を変えているらしい。だがそんな小細工が、この狭い敷地内で何の役に立つだろう。
 柘植が言っていた通り、部屋の内外には、他国の額当てを付けた下忍が一人ずつ張り付いていた。
 早速部屋の内側にいた忍に背後から音もなく近付くと、額当てを持ち上げて幻術を発動する。あとはその体を操って、寝ている城主を一突きすればいいだけだ。勿論、外にいたもう一方の護衛が気付いて戦闘になるだろうが、第三者らの前でその片割れにわざと切られてしまえば、最早一切の証拠は残らない。
 そうなると傍目には、「第三者からの報酬目当ての寝返り」とでも映り、『安物の他国の下忍など雇うからだ』となるはずだ。

 完全に暗がりに身を沈ませたカカシの目の前で、幻術に囚われた若い下忍が、首尾通り哀れな城主の心の蔵を細い忍刀で一突きにした。
 短い悲鳴が上がるや勢い良く襖が開き、もう一人の下忍が駆け込んでくる。この場合、あまり呆気なく殺されても怪しまれるだろう。ここは少し騒ぎを大きくした方がいいと判断したカカシは、小柄な下忍を実に上手く立ち回らせた。
(寝返りを連想させるような台詞を、言わせておいた方がいいな)
 そう、思ったときだった。
 背後にあるか無きかの僅かな気配を感じとったのとほぼ同時に、喉元に冷たいクナイが押し付けられ、慄然とした。
「!!」
 その瞬間、カカシは目の前にあるもの全てが、他でも無い自分をおびき出すための周到な罠だったことに気付いたが、押し付けられた刃は、既に寸分の狂い無く自分の喉笛を狙っている。
 刹那の沈黙の後、背後の忍が静かな声音で命じてきた。

「敵ながら見事な幻術。まずはそれを解いて貰おうか」

(――――)
 胸を一突きされたはずの妙見が、一塊の薄煙となって消え去るのを横目に見ながら、カカシは黙したまま考えを巡らす。
 初動は、失敗に終わった。
 喉元には、冷たいクナイが薄布越しに当たっている感触。
 目の前には睨み合ったまま膠着状態になっている、異国の下忍が二人。
 背後には、落ち着き払った男の気配が一つ。
 自分が幻術で操っている下忍とは、背後の男が巧妙に変化した影分身だろう。あまりに良くできていたため、そうと気付かなかったが大丈夫だ。自分が施した幻術自体は今もしっかりその影に効いている。
(要するに、今は二対二)
 現状はどうであれ、全く負ける気がしない。
 だが自分が死んで幻術が解ければ、当然戦いは決する。
(――はず、なのに…)
 この状況で即座にオレを殺してしまわず、いまだに三対一の戦いに持ち込もうとしているということは…。
 思考は追い込まれるほどに落ち着きを取り戻し、研ぎ澄まされていく。
(即ち背後の男には、妙見から拘束命令が出ている、という事か?)
 それならば今は大人しく掴まったふりをして、後で隙を見て幾らでも脱出すればいい。
(相手の強さを認めておきながら、殺せる時に殺さないとは)
 幾ら変化が上手くても、判断が甘いようでは己の死を早めるだけだ。
(勝てる)
 確信した。
 背後の男は、自身の影分身をオレにいいように扱われてしまっている。それは絶対の信頼を置いていた味方が寝返るような感覚で、さぞかし不愉快に違いないのだが、そんな素振りなどお首にも出さず、男は再び落ち着いた声で命じてくる。
「幻術を、解きなさい」
 語尾は命令調だが、決して焦れた様子もなければ勝ち誇った風でもない。
「――――」
 一拍置いた次の瞬間、睨み合っていた一方の下忍がふっと我に返ったような表情になり、酷く戸惑ったような、訳が分からないといった表情でこちらを見つめてきた。施していた幻術が解けたことで、背後の男に主導権が戻っていた。
 闇に溶かしていた姿も、こうなっては隠している必要もない。潜身術も解く。
「――いいでしょう。…あぁでもまだ動かないで」
 いつもなら、こんな瞬間誰しもに生まれる僅かな隙を狙って、反撃に打って出るところだ。
 しかし、背後の男は『その瞬間を狙う事など百も承知』と言わんばかりの集中力で、こちらの手を一つたりとも印が結べぬよう外向きに合わせてから、背後できっちりと縛り上げている。
 その間にも妙な真似をしたりしないよう、二人の下忍がすぐ目の前まで歩み寄ってきて、身動きする気を削ぐ刃の構えで油断無くこちらを見張っている。
 絵に描いたような、教科書通りの無駄のない手順だった。ここまで落ち着いて隙なく完璧にこなせるようになるには、それなりの場数と素養が必要なはずだ。
 この勝負におけるオレの判断は正しくなかったが、(この男、出来る)と最初に感じた第一印象は、間違っていなかった。

「――では、一緒に来て下さい」
 背後の男が、ゆっくりと正面へと回ってきた。
 だが男の注意は、忍の習わしからオレの足元に注がれている。いま何かを企もうとするなら、ほぼ間違いなく自由な足を使ってくるはずだからだ。
 己の足元に慎重に視線を注ぎながら、目の前へと回り込んできた男を見る。
 きりりと高く括り上げた漆黒の髪、固く結ばれた口元。鼻梁をまたぎながら一直線に走る、特徴のある傷跡。長い睫毛の下で自分の足元を見下ろしている、背後の暗がりよりも尚黒々とした瞳。
 そして、眉ぎりぎりのところに堂々と掲げられた、額当ての刻印は。
(ぁ…)
 瞬間、思わず声にしてしまいそうだったが、長きに渡って染みついた習性が、それらを咄嗟に抑え込む。
(この、男…)

「ぁっ?!」
 かわりに、目の前の男が小さく声を上げた。真っ黒な目を見開いて、信じられないと言いたげな表情でこちらを見つめている。
 嫌になるほど見慣れた紋様が彫られた額当てのすぐ下で、男の眉が見る間にぐっと寄っていく。

「…はたけ、上忍…?!」









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