上忍と中忍との間には歴然とした力量差があるものだが、それは真っ向から一対一で戦った時にのみ明確に現れるものだ。
 「他国の下忍二人」と聞いてどこか油断していた、任務に気乗りのしない上忍と、予めそれなりの実力者が来ると予測して、持ちうる限りの知力を傾けていた中忍との力の差は、あの瞬間だけをいうなら殆ど無かった。
 だが上忍の右手が後ろ手に回されていた格好のまま青白く発光したかと思うと、あれほど念入りに施していたはずの頑丈な拘束が藁のように呆気なく足元に散らばって、その圧倒的な力の片鱗を目の当たりにしたうみのイルカは息を呑んだ。
 彼は大人しく掴まったふりをして、本物の妙見が隠れ場所から出てくる機会を待つつもりだったのだろう。
 自分が、木ノ葉の忍でさえなければ。

「ふっ、まさか木ノ葉だったとはね」
 上忍は何気ない様子で額当てを下ろし、噂にだけは聞いていた赤い左目を隠している。と同時に、自身を取り巻いていた強い「気」が出し抜けに消失した感覚がして、イルカはギョッとして息を呑んだ。
(っ、いつの間に…?!)
 確実に敵を捕らえていたと思っていたはずの自分が、実は知らぬ間にこの男の眼力に完全に囚われていた。一体いつ、どの地点からだったのか。全く分からない。
(もしかして、城主の影分身を刺した…と思った、いっとう最初から、か…?)
 一度そう思うに至ると、もはや自分が見聞きした記憶のどこまでが正しく、どこからが間違っているのかという境界自体が判然としなくなってくる。なんという怖ろしい術だろう。
 改めて、目の前の男との圧倒的な力量差を思い知らされていた。それは紅い瞳の記憶と共に、自身の感覚器官に焼き付くほどの強烈な衝撃だ。
(結局どう足掻いても、敵う相手ではなかった)
 だがまかり間違えば、同胞に怪我をさせてしまうかもしれなかったのだ。今回に限っては、それで良かったと考えるべきなのだろう。
「申し訳、ありません」
 考えてみれば、こんなに見事な銀髪の忍も、そうどこにでも居るわけがない。イルカは恥じ入って深く頭を下げた。
 噂では、長いこと暗部に重用されていたとも聞く。面と向かって話をしたことは一度もなかったが、それにしてもこんなに目立つ容姿の同胞に気が付かぬとは。
「ったく…、上層部は一体何考えてんだろうねぇ。奴等の強欲さもここまでくると笑えるな」
 上忍は拘束されていた手首をさすりながら、至極不愉快そうに鼻を鳴らしている。
「………」
 開口一番、自分の術の未熟さや不注意を咎められるとばかり思っていたイルカだったが、真っ先に挙げられたその矛先を耳にして、微かに眉をひそめた。


 暫くののち。イルカに宛がわれたという三畳ほどの窓のない小部屋で、二人は改めて向かい合っていた。
 部屋はぴしりと冷え切り、夜半をとうに過ぎた城内は、不気味に静まり返っている。
 イルカが白い灯明皿の灯芯に小さな明かりを灯すと、どこからか吹き込んでくる冷たい隙間風に煽られて、灯火は時折掻き消されそうなほど激しく揺らぐ。
 ようやく二十歳を過ぎたかという若い二人の忍を、斜め下から仄かな橙色の光が朧に照らして、炎が揺れるたび両者の表情を微妙に変え続ける。

「――くどいぞ。自分はある者から妙見を消せと強請されて偵察に来ている。勿論承諾したわけではないが、正面切って断れば金と権力にものを言わせて里に圧力を掛けてくるのは明らかだ」
 そうなればこの先、中忍の出る幕はない。
「面倒に巻き込まれる前に、お前は今すぐ手を引け」
 これ以上無いというほど、単刀直入にカカシは言った。
「でも…っ、でもやはり、これは何かの手違いではないでしょうか? 全く可能性がないとは言えません。いま一度確認してみた方が…!」
 部屋の中程に居る男が、身を乗り出すようにして言い張るのを、上忍は先程から冷えた板壁に凭れて繰り返し遠くに聞いている。
「だから、ないって。いいとこ『手違いに見せかけた本気』でしょうよ」
 なぜそんなことがわからぬのか。理解に苦しむ。
(馬鹿正直が…)
 一切目線を合わさぬまま、短い溜息を吐いた。
 その間も実直そのものと言った様子の中忍は、上層部や、彼らが飼っている暗部の陰惨な実情を知らないがために、いつまでもしつこく食い下がってくる。それでも多少なりとも目端の利く利口な者であれば、少し話せばすぐに「上忍がいうことなら」と自ら引き下がりそうなものだったが、ここまで言ってもまるで融通の効かない中忍の事を、いよいよ本気で鬱陶しい奴だと思い始めていた。
「そんな…っ!」
 しかもこの中忍、さっきから自分が上層部を批判するたびに絶句している。
(思ったことを、よくそこまで思い切り顔に出せるな)と、およそ忍らしからぬ様子に内心で呆れていた。忍術には優れている面もあるが、この男、基本忍としてはまるで向いてない。底が浅すぎる。
「上を信用してない上忍の言う事なんざ、信用出来ないってか? …まっ、それもわからん理屈じゃないが、ここは運が悪かったと思って諦めな」
 事もあろうに『消したい男の護衛に同胞が張り付いていた』事で、当初の計画が大きく狂わされてしまったのだ。「こっちこそ最悪の運だ」とぶちまけたいのを辛うじて呑み込みながら言い渡す。
「納得いきません! 我々は護衛で派遣されているんですから、依頼主に何と言われようが、それを貫けばいいではないですか。上だってきっと、それを望んでいるはずです!」
「だーかーら、誰も望んでないっての。アンタ闇雲に上の肩ばっか持ってるけど、自分が今回どういう扱いを受けたのか、分かって言ってんの? 金と引き替えに、オレに殺されてたかもしんないんだよ? そしたら存在ごと闇に葬られてハイ終わり。その辺、ちゃんと分かって言ってる?」
「…そっ、それは…っ」
 同胞に対する思慮のかけらもない言葉の数々が、不思議なほどすらすらと口をついて出てくる。
(もういい、落ち着け。これは意味のない八つ当たりだ。上層部への不満を、この男に転化してどうする)
 遠くでそう思っても、何故か止められなかった。

 恐らく上層部は、二件の依頼主の仲があまり良くないことを、依頼が来て下調べをした段階で薄々気付いていただろう。 にもかかわらず、素知らぬふりをして丸投げしてきている。
 上忍なら、万が一の際もイルカを傷付けることなく退け、尚かつ狡猾な雇い主も上手く丸め込めるだろうなどと、全て都合のいいように考えたか。
(或いは、例え妙見がオレに殺され、少なくない賠償金を払ったとしても、それを帳消しにして余りある莫大な成功報酬が柘植側から得られる、二重の密約にでもなっているのか…)
 もし百歩譲って、里が二人の依頼主の険悪な関係を全く知らなかったとしても「今更仕方ない。上忍主導で契約期間内は上手くやってこい」が、過去のお定まりのパターンだ。
(いずれにしても)
 割を食うのは必ずオレ達手足だ。しかもいつでも「切り捨て可能」な手足ときている。
 それなのにこの中忍ときたら、そんな上層部の連中を頭から信じ切って、未だに疑おうともしていない。
 対外的には理想を貫いているように見える火影であっても、もちろん聖人君子などではない。いや、立場上あり得ないと言うべきか。あちらを立てればこちらが立たぬ事など、この広大な火ノ国の軍備を担っていれば星の数ほどある。無理も通すし、引っ込んだ道理も完璧に取り繕い、尚かつ対価はしっかり得た上で、上辺は何事も無かったかのように堂々と振る舞う。
 そのくらい図々しくなければ、肥大化したこの国の軍備を担う長など一日たりとも務まらない。
(にしても、ちょっと鈍すぎやしないか、この男?)
 今だって殆ど初対面なのに、真正面に座して至近距離から意見してくる。上忍の仲間内でさえ、こんなに近くで真っ直ぐに目を合わせてくるような不躾な真似などしないというのに。
 これほどまでに頭から長の事を信じて疑わない奴を見ていると、同じかそれ以上の勢いでもって頭から否定したくなるのを、もはや自分でもどうにも出来ない。
 そんな議論という名の「噛み合わない押し問答」が落ち着く先など、あるはずもなく。

 イルカはその後も、「解決策を模索するため」と、カカシの意向を無視する形で川を隔てた柘植の城に幾度も出向いてきていた。
 最初、上忍に対するあまりにあからさまな待遇を目の当たりにして絶句し、思うところあるようだったイルカだったが、話が核心に及ぶと、やはり当初と同じ主張を繰り返してきた。
「このまま契約期間終了まで、一切の事を起こさずに純粋に護衛任務だけをすべきです」と、至極真っ当な主張をし、カカシはカカシで「きれい事はもう沢山だ。オレが殺さなくても、結局は次に雇われた奴が同じ命を受けて殺すことになる。諦めろ」と、これまたある意味正論を吐いた。
「だからって、今あなたが妙見殿を殺さずとも!」
「ふん、じゃあアンタが柘植を殺るか? オレは止めないが、アンタにその後の揉み消し工作が出来んの?」
 カカシは冗談の中にも強い皮肉を込めて、意地悪く言い放つ。柘植は強大な発言力を持つ財閥なだけに、消さないまでも謀(はかりごと)の全てを白日の下に晒すとなれば、その事後処理や影響の大きさは計り知れない。
 しかも護衛をしていたはずの忍に暴かれたとあっては、厄介な揉め事に発展し、里は早晩さらなる資金の困窮に見舞われるだろう。今の木ノ葉に、そんな度胸や余剰金があるはずもない。
 まあいずれにせよ、馬鹿正直が人の形を成したようなこの男に、そんな嘘で嘘を塗り固めるような隠蔽工作など出来はしないのだが。
 勿論、後の面倒なゴタゴタを一切考えないなら、オレ自身は柘植の不条理な命令など、その気になれば幾らでものらりくらりとかわすことは出来る。イルカの意見を聞き入れることなど、実はわけもないことだ。
 上層部のことも、良くは思っていないのだから、わざわざ気を回して欲まみれの意向を汲んでやる必要も無いと言えば全く無い。今回くらいは大事に至って、オレ達手足の代わりに痛い目を見ればいい、という気持ちも強い。
 なのにイルカを目の前にした途端、なぜか無性に自分を通したくて堪らなくなるのだった。

 目の前の中忍は、案の定こちらを睨み付けたまま、ぐっと唇を引き結んでいる。その瞳は『どうしてあなたはいつまでもそんな事を言うのか? なぜその理由を、本心を、正直に話してくれないのか』と、問うている。
(うるさいな。こっちの勝手)
 唯一露わになっている右目だけで、その真っ直ぐな視線を冷たくはねつける。
 上層部をまるで信頼していない上忍のオレと、頭から信じて疑わない中忍のイルカでは、元々の立っている地平が違いすぎた。話し合いは一度も交わりを見せぬまま毎晩平行線を辿り、最後はいつも自分から一方的に打ち切った。
「――帰れ。これ以上話しても時間の無駄だ」
 冷えきった低い声が、物置小屋に響く。
「待って下さい! 他にも何か方策はあるはずです!」
「アンタいい加減しつこいよ? どこまで行ってもオレとお前は絶対に相容れないんだ。帰れ」
 やはり中忍の意見など聞かずに、最初から上忍の権限で一方的に話を進めていくべきだった。それがちょっとした気の迷いから、こんな面倒な事になってしまっている。
(冗談じゃない)
 単純すぎるはずのこの護衛任務が、どんどん厄介で鬱陶しい方向に向かっている。こうして平行線を辿っているうちは、あと一ヶ月以上もここに無駄に張り付いていなければならないのだ。
 柘植の金と権力に物をいわせた巧妙な暗殺命令も、呼び付けられる度に包囲網が狭まって、かわしづらくなってきている。
(ったく…、よりによって何であんな融通の効かない中忍を寄越したんだ…!)
 苛立ちが高じて、ついには三代目の采配を呪った。上忍主導で万事上手く事を運ばせたいなら、相手はもっと物分かりのいい、素直な奴を選ぶべきだろう?
 帰れと怒鳴られたイルカが不承不承といった様子で物置小屋から出ていくと、カカシは小屋の窓の下で座り込み、片膝を抱えて目を閉じた。こういう時は手っ取り早く寝るに限る。
 だがいつまでも内側は波立ったままで、普段ならどんな戦況下であってもすぐに寝付けるはずが、なかなか眠りに落ちていけない。
 それどころか目を閉じると、なぜか眉根に皺を寄せて真正面から突っ掛かってくるあの男の顔が浮かんできてしまい、ますます眠りから遠ざかっていってしまう。
(ったく…、なんなんだ…)
 深く俯いたまま、口布の下できつく唇を噛んだ。









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