狭い部屋は、女が風呂に行く前に火を熾していったことで生ぬるく暖まりだしていた。
 色褪せの目立つ赤い長襦袢を羽織っただけの女は、上客とみて引っ張ってきたはずの客が、まだ真っ暗な部屋できっちりと外套まで着込んだまま戸口に立っているのを見るや、あからさまに怪訝そうな顔をした。
 そして何を思ったのかもう一度浴室に引っ込むと、幾らもしないうちに出てきて、そそくさと布団めくる。続いて枕元の灯りに手を伸ばそうとしたのを、カカシは付けるなと制した。
「…変なひと」
 『ある程度は見えてた方が、いいんじゃないの?』などと言っている女に、更に短く命じる。
「舐めろ」
 だが女は「いきなりねぇ」と呟いたものの、特に驚いた様子もなく立ち上がり、黒い濡れ髪を後ろに掻き上げながら目の前に来ると、真下に跪いた。
 外套を脇に押しのけ、ところどころ色の剥げた赤爪でジッパーを引き下ろす。
 その奥から取り出したものを、特にためらう様子もなく口に銜えた。すぐにわざとらしい耳障りな水音が室内に響き出す。
「…………」
 だが久し振りだったにもかかわらず、思うような快感はなかなか沸いてこなかった。どこかの線でも切れているかのように、ひたすらだらだらと生温かい触感だけが伝わってくる。眼下の女は暗がりの中で自分のものを銜えて盛んに動いてはいるものの、その中にあるものは萎えたままだ。
 オレは立ったまま、何の気無しに真下にある女の髪を無造作に掴み上げた。生乾きの真っ直ぐな黒髪は思った以上に重みがあり、皮手袋に覆われていない指先の間を、独特の感触を伴って滑り落ちていく。
(…っ)
 と突然、腰の奥につきんと甘痒い疼きを感じて、小さく息を詰めた。
(――いいぞ…)
 急に快楽の線が繋がりだした理由など分からなかったが、己の中の牡が熱い息を吐きながら舌なめずりを始めているのは分かった。
 そのまま暫く指先で髪を弄んだオレは、長いそれらを全て前に持ってくると、自分の物を銜えている女の顔へ次々と乗せるように掛けてみた。そうすると、自分のものを舐めているのが誰なのか、次第に分からなくなっていく。なのにその黒髪の向こうにある己のものはみるまに固さを増して、誰かの口を支配しだした。
「んっ……ううん…」
 女が自分の顔を覆う髪を鬱陶しがって、手で払おうとしている。すかさずそれを手首を掴んで阻んだ。何だか女の顔が見えない方が気持ちが良かった。
 細い両の手首を軽々と掴み上げたまま、カカシは今まで感じたことのない不思議な衝動に誘われるまま、黒髪の間に何度も自身を突き入れた。


 幾らもしないうちに、女は喉の奥を突かれる苦しさに耐えきれず、身を捩ってカカシから離れると激しく咳き込み出した。
「――――」
 髪を振り乱してぜいぜいと荒い息をする女を、カカシは黙したまま見下ろす。
 どこかで目にしたことのあるような場面だなと遠くで思った。似たような光景を、つい最近も見たことがなかったか。
(――っ…)
 するとまたずくりと体の奥が疼きだす。疼きはゆったりとした大きな波形を描きながら体の隅々にまでくまなく伝わって、どこかまだ中途半端だった牡のスイッチを音もなく、しかし確実に入れていった。

 喉の奥を突かれてぜいぜいと盛んに荒い息を吐いていたにもかかわらず、女は涎にまみれた顔を上げて、再びズボンの切れ間に手を掛けてきた。そこから無造作に突き出しているものに赤い舌を伸ばしながら顔を近づけてくる。
 だが自分の中の牡は、もう既に同じ刺激では満足出来ない。経験上、上顎の奥にある一点を執拗に刺激されると、一種の恍惚状態に陥る女がいるということは知っていたが、例えこの者がそうであったとしても、このまま満足させてやる気など更々無い。
「やめろ」
 今まさに自分のものを銜えようとしていた女の頭を、ぐいと乱暴に押しのける。
「やぁんっ…、もう、やれって言ったり止めろって言ったりぃー。どっちよォー」
 背後の畳に尻餅をついた女は不満げに口を尖らせた。が、その挙動に不自然にとろけたものが滲み出ている気がして、女の顔を凝視する。
(………)
 おかしい、と直感的に思った。女の表情に、先程までとは違う、当人の意志以外の何かが介在しだしてはいないか?
 半開きのままになっている片方の上瞼を、すぐさま親指の先でぐいと押し上げる。
「お前、さっき何飲んだ?」
 右目でじっと瞳孔を見下ろしながら、ぼそりと呟く。
 一度風呂から出てきたのに、すぐにまたとって返していた、あの不自然な行動が脳裏を過ぎる。
「なぁんにもー」
「言え」
 細い首元に手を掛けて、くっと力を込めた。と、その膜の掛かっていたような黒目に、急速に焦点が戻ってくる。
「――ぐっ……ゆっ、言うよ…っ、もぅ…いきな、り何よッ――かっ…『守(かみ)の瞼』ってやつぅ!」
「かみの、瞼…?」
「今仲間内で流行ってんのっ! これ飲むと、自分が見聞きしたくないものは取り除かれて感じなくなるし、受け入れたいものはよりはっきりと感じられて、すぐに気持ち良くなれんのよっ!」
 そう叫ぶ女は、強い薬効に抗いながら、話したくないことを無理矢理口にさせられる不快さに、醜いといっても何ら過言でない、歪んだ顔付きでもって睨み上げてくる。
 だが目の前の牡の象徴を見るや否や、すぐさまその表情が消え去り、後はもうすぐに膜のかかった半眼に戻ってむしゃぶりつこうと手を伸ばしてきた。
「甘い」
 カカシは何とかして近寄ろうとする女の頭を、片手でもって肉棒直前で抑えつけると、氷のように冷えた声で「薬を出せ」と短く言った。

 「守の瞼」…初めて耳にする名だった。ただ巷では最近、その手の高い独楽効果をうたった幻覚剤が大量に出回りだしていて、次々と作り出される依存性の強い粗悪品の数々に、里の上層部も危機感を抱いているであろうことは、ある程度の忍であれば皆薄々承知していた。
 しかしカカシは、薬の出所を探るなどと言う面倒に首を突っ込むつもりなど毛頭なかった。かといって、個人的にこう使おうなどというはっきりした目的もない。大体そんな副作用もよく分からぬような、毒と紙一重の危険極まりない代物を自らに使うなど、自殺行為もいいところだ。
 ただ――ただその薬を、自分以外の他人に盛るとなると話は違ってくる。やりようによっては使えるし、面白そうだなとふと思ったのだった。
「イヤよ! 絶対渡さない!」
 向かいの女は、案の定顔色を変えて叫んだ。
「ならこちらも断る」
 あっさり言うや、カカシは空いていた片手を使って、怒張していたものを黒い支給服の下へと押し込めた。
 革手袋から伸びた指先がジッパーを引き上げた途端、手で抑えつけられながらも半ばとろけていた女の顔が、見る間にくしゃくしゃと歪みだす。
「…畜生…ッ…チクショウ…! 薬なんか飲まなきゃ良かった…っ…」
「今更遅い」
「アンタが悪いんだよ! アンタのせいだっ!」
「薬を飲んだのはお前自身の判断だ。己を呪え」
 布団に倒れて身を捩りながら泣き出す背中に、カカシはにべもない言葉を投げつける。
 女は真っ暗闇の中で「苦しい、ほんの少しでいいから快感をくれ」と黒髪を振り乱し、頭や体を掻きむしり始めた。やがて布団に倒れてのたうち回りながら「なんて酷い男だ。忍だなんて偉ぶってても、力で人を脅しつけるしか脳のない、ろくでなしばかりじゃないか!」と恨みの言葉を吐き散らし始める。
 それでもカカシが冷ややかな態度で見下ろしていると、そのうち女は次々と押し寄せてくる薬効の波に抗いきれず、無心に自慰を始めた。
「薬を全て渡せば、すぐに楽にしてやるが」
 カカシは藁でも捻るが如く、女の両の腕を片手ひとつで後ろに拘束しながら言った。その冷え冷えとした声音や一連の動作は、薬欲しさの欲望というよりは、“道具”に最初から備わっている反射運動を思わせた。
「人でなし! こんな回りくどいことしなくたって、盗ろうと思えばすぐにも出来るのに、わざわざアタシを苦しめて楽むなんて! 何もかもむしり取る事しかできない人間のクズめ! いやお前達は人ですらない! 唯一人の役に立つ事と言えば、お前達忍が滅ぶことだ!」
 しかし女の罵りがヒステリックになれはなるほど、カカシには「よくある日常的なこと」としか感じられなかった。

 クズだとか人でなしなどという言葉など、とうの昔から聞き慣れてしまっている。今となってはもう耳障りですらない。
 物心ついた頃からしょっちゅう耳にしていたそれらは、当時はまだ自分自身に向けられたものではなかったが、同じ屋根の下で暮らしていた者に向けて発せられていたために、昼となく夜となくよく聞こえてきていた。
 結局そいつはその後、幾らもしないうちに勝手に死んだが、クズという言葉は置いていった。それからというもの、この手の言葉はまるで形見か遺言のように、今も自分の周りを飛び交い続けている。

「――クズはお互い様だ。しかもクズほど幾らでも代わりがいるから決して滅びない。諦めろ」
 毛筋ほどの揺らぎもなく男に言われると、いきり立っていた女は項垂れて布団に顔を埋めた。











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