女が苦々しげな表情を隠そうともせず、口惜しそうに思い切り投げて寄越した白い薬包を一つ掴み取ると、カカシはそれを懐にしまいながら「報酬が欲しいなら、そこに四つに這え」と命じた。
 薬を探して差し出すため、煌々とあかりが灯されたままのぶしつけ極まりない世界で、躊躇いながらも最後には自分に向けられた尻を、カカシはぐいと一度自分の方に乱暴に引き寄せる。
 そのどこか勝ち誇ったような動きに、向こうを向いたままの女がぎゅっと唇を噛むのが分かったが、全ては薬に頼って己をコントロールすることを放棄してしまった代償だ。構わず襦袢の裾をめくり上げた。
 確かにあれこれ抵抗せず、薬を飲むことでひたすら快楽に埋没してどんな男にも柔順でいさえすれば、命も神経もすり減らさずに済むと考えた女の判断は、ある意味間違ってはないのだろう。『目を閉じることは、即ち自分を守ること』という考え方だ。
 それでもカカシの中に、手加減や同情などといったものが生じることはなかった。ふんと鼻で嗤って、一度は支給服の奥に押し込めていたものを取り出す。
「はっ、クズはクズ同士ってことかい、やんなら勿体付けてないで早くしな!」
 そう言って強がっていた女だったが、ジッパーの音を耳にするや思わず期待にぶるりと体が震えるのを隠せずにいる。
「――――」
 カカシは濡れて光っている十番目の翳りを、無言のまま見下ろした。

 いつの世も飽くことなく求めて止まぬ執着を生むために、牡とは異なる作りになっているのであろう牝の体。
 なのに挿入を前にして、どういうわけか急に腹の奥底で微かな違和感のようなものを感じた気がして、カカシはふと動きを止めた。それは下半身と上半身の線をどこかで一本だけ繋ぎ間違っているような奇妙な感覚だったが、今まさに押し入ろうとしていた勢いを逸らすには十分なものだった。
(?)
 ふとカカシは、あたかも自分を手招きしているようなそこよりも、少し上方の小さくすぼまった点に右の目を留めた。
(…………)
 それはあの上忍のくノ一との関係により、いつしか擦り込まれてしまった性癖だったのか。或いはさして珍しくもない、いつもの気紛れか。
 とにかくそちらの小さな翳りの方が気になった。そこがいい、いや今はそこでなくてはいけないような気がした。
「きゃっ!?」
 背後からいきなり長い髪を鷲掴まれて、女は背を逸らせて大きく仰け反る。
「痛っ、なにすんのよ! やめて!」
「…………」
 だが聞こえているのかいないのか。カカシは手を離さないまま、無言でその谷間の一点に肉幹を押し付けた。頭が命じたのではなく、押し付けたその部分が勝手にとったような、どこか獣じみた動きだった。
「やッ?!だめ! そっちはお断り!」
 女は自分が期待していたのと違う場所に熱いものが突き当たるのを感じるや、色を無くして体を返そうと藻掻いた。しかしすぐに途方もない強い力で腰を掴まれ抱えられ、軽々と元の四つん這いの姿勢を取らされる。
 間髪入れず、つい今し方まで自分の口の中で息も出来ないくらいに固く張り詰めていたものが、尻の間をぬるぬると上下に往復しだした。焦らしているのではない、明らかに別の明確な意図を持ったその動きに、女が引きつった声を上げる。
「やめて! そっちは痛いから嫌いなのっ! この大嘘つきめ! 約束が違うじゃないか!」


 女が金切り声で騒いでいるのが聞こえている。しかしカカシの中でそのボリュームは急速に小さく絞られていく。
(――――)
 女をぎっちりと四つに這わせたまま、すっかりしんとなった世界で、手に掴んだものをじっと見下ろす。
 よく使い込んだ指無しの革手袋より遥かに深い色艶を持った、黒く長い髪。その一本一本は改めて見るまでもなく、とてもか細く弱い。なのにそれらが寄り集まると、突然驚くほどしなやかで強靱な束になる。
(…弱いくせに……すぐに千切れるくせに…)

「――ちょっとアンタ、聞こえてんの?! そっちは嫌いだって言ってるじゃないか!」
 涙混じりの叫びが突然脳裏に割り込んできて、カカシはぱちりと一度瞬きをした。

「……だろうな」

 それは誰に向けての答えだったのか。
 女の滴りを借りて、今まさに小さな点に押し入ろうとしていた腰が止まる。
 今自分は、何がしたかったのだろう?
 その核の部分も、輪郭さえもはっきりしないまま、カカシは顔を上げた。
「お願いだよ、そっちは…そこだけは…勘弁しておくれよ…」
 薬に冒された商売女の、嘘くさい涙声にほだされた訳では勿論ない。それより前に欲はもう既にあらかた削がれていて、こもっていた熱は強い北風にでも晒されたように散りだしていた。


 再びジッパーを引き上げた瞬間、周囲の時間が一斉に動き出したような、奇妙な覚醒感がした。
(…ふっ……下らない)
 急激に醒めていく頭の隅で思う。それがどうしたと。
 薄汚い一角にぼんやりと吹き溜まっていて、けれど幾らもしないうちに結局は消えて無くなることしか出来ないような、全てはその程度のものだ。
 人はそれらをクズと呼ぶ。

「――フッ……ククク…」
 街の灯りや里の高い障壁を、勢いよく後ろへ後ろへと流しながら、カカシは未だ月明かりのない夜を突き進んだ。





 海野イルカがここ数日間、溜に溜め込んだ酷い心身の疲れから、泥のように深く眠り込んだ翌朝。
 目覚めてすぐ己の手を見た彼は、思わず小さく息を呑んだ。
 あれほど広く濃く、べっとりと手の平に染みついて、どうやっても取れなかった赤黒い血痕が、何故か急に小さく、薄くなり始めていた。
(なんで…)
 決して欲目などではない。この三日間、穴が空くほどに見続けていたあのどす黒い染みが、昨夜上忍に向かって差し出した時よりも半分近くも縮み、色も薄茶色へと変化していた。あの血液独特の、鉄分を伴った不快な生臭さもない。
(――自分にしか…見えない、血…?)
 イルカは散々に絞められた喉の痛みも恐ろしさも忘れ、長い間身じろぎもせずに己の手の平を見つめ続けた。











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