もうずっと前から気づいていたことがある。
 いまオレのすぐ隣を、ほぼ同じ歩幅で歩いている男についてのことだ。
 気付いて以降、幾度本人にからかい半分で指摘しようと思ったかしれない。
 だが結局、いまだに言っていなかったりする。
(だって、かわいいから)
 ならずっと、見てたいじゃない?


 火影に推挙され、受諾した。一年前のことだ。
 以前にも似たようなことがあった後だから、最後には(あぁやっぱりそうなるのか。ならさっさとどうにでもすれば?)という気分だったのだが、就任後、全く一度も後悔しなかった、と言ったら嘘になる。もちろん、政務には多大な困難がついて回るであろうことなら、重々覚悟はしていた。だが、そのことに気を取られる余り、他の予測がおろそかになっていたことは否めない。
 オレはまた、甘い考えをしてしまっていたのだ。
『自分が火影になったなら、今度こそ周囲の者達も、オレとイルカの仲を認めざるを得ないだろう』などと。
(――甘かった…)
 実際にそうなってみると、己の予想が如何に自分にだけ都合のいい考えだったかが嫌になるほどよくわかるのだが、それまでは正直疑ってもいなかった。いや、ただ単に他の悪い状況を想像でも思い描きたくなかっただけなのかもしれないが、それだけイルカのこととなると、オレは冷静でいられなくなるということなんだろう。いまだに。
 六代目火影の就任式以降、あちこちから漏れ聞こえだした声の中に、オレとイルカについての心ない話が混じりはじめるのに、さして時間はかからなかった。
 要は、オレがいつまで経ってもくノ一と一緒にならず、いつ如何なる時も特定の男とばかりつるんでいることがけしからん、不道徳だというわけだ。
 十にもならぬうちから人を殺めていた者を満場一致で里長に据えておいて、今更不道徳もあったものではないが、これが上忍と火影との違いなのかと、ある意味納得もした。上忍時代は、ここまであからさまな声は聞こえてこなかった。恐らくは、オレがいつでも容易に「お返し」の出来る身軽な立場だったからだろう。するはずもないが。
 何よりキツかったのが、イルカ自身は、そのような心ない声が各方面から上がるであろうことを、重々承知していたらしいことだった。多くの場合、正面から嫌味たっぷりに、時には明らかな悪意を持ってあからさまに言われても、彼は眉一つ動かさないのだ。
 その毅然とした姿を目にするたび、オレは何度浅はかだった己を省みたかしれない。そして、イルカがかなり以前からその類の言葉を言われ慣れているらしいことまで伺えては、心穏やかでいられるわけがない。
 火影に聖人君子を求めるというのなら、今すぐ辞退して構わない。だが、それではイルカが辛いだけだ。
(やれやれ…結局はオレが結果で示すしかないわけね…)
 もしもそこまで全て読みきったうえではたけカカシを火影に据えたのだとしたら、なかなかの策士達だ。甘んじて務めるのもやぶさかではない。
 いや、こうなったらやるしか道はないのだ。「自分は火影には向いていない」などと言う時期はとうに過ぎている。ならば誰もイルカに見当違いの言葉を投げつけなくなるだけの結果を、一日も早く出すしかない。
 だが、五大国をはじめとする各国の情勢や関係は酷く複雑で、あの五代目をもってしても上手く進められていなかった難題揃いだ。そうやすやすと実現できるものなら、女傑の名を欲しいままにしてきた彼女もあそこまで苦労してなかっただろう。
(お前の予言…とんでもないことになってるぞ、オビト)
 目の奥で、古い友が残していった「火影になれ」という言葉と、最期の表情を重ねてみる。
(例えあいつの目があったとしても、何一つ解決できない難敵に立ち向かうことになるとはね…)
 就任当時はそのことがわかっているようでいて、まだ何も分かっていなかった。
 いま現在、オレの火影としてのキャリアはアカデミー生レベルだ。これを火影と名乗って差し支えないレベルにするまでには、やるべきことは山とある。例え二、三人に分身して進めたとしても、とうぶんは追いつかない量だろう。
 ひたすらに、やるしかない。


 その日イルカは、いつになく盃を重ねていたと思う。途中見かねて二度ほどさりげなく、「明日は早くないのか?」と訊ねてみたりもしたのだが、いつもならすぐに気付くはずの男が、意識して控えた様子はなかった。
 そして好物の肴にもろくに手を付けないまま、最近、里の外交が弱腰だと言われていることについて、繰り返し何度も「違う、そうじゃないんだ」「みんなわかってない」「どうすればいいんだろう」と繰り返す。
(なにか、嫌なことがあったんだ)
 なぜか直感的に、そう思った。恐らく彼は、本当の本心ではそんなことが言いたかったわけではないのだろう。言葉は考えを伝えるツールだが、常にそのままを伝えているわけでもない。
 それなりに年を重ねてきた忍ならば、尚のこと。
(どうしてもやりきれないことが、あった。 違う?)
 うつむき加減で、手の中にあるコップを見下ろしてばかりの男にそっと意識を振り向ける。目線は敢えて彼から外したまま。
「今日はどうしたの、何かヤな事でもあった?」と直接聞いて、彼の奥深くに溜まっているものを洗いざらい引き出してやることも出来たはずだ。けれど、しなかった。例え聞いても、イルカは決して誰にも本当のことは話さない…いやオレにだけは何があっても話したくない類の内容であろうことは、薄々察しがついていた。だから彼が何かの代わりとして吐き出しているものを、オレはただ黙って受け止め続けた。

 家に帰りつくなり、イルカを抱いた。酔っていたとはいえ、決して全てを手放していたわけではない男は、大いに驚き、戸惑い、半ば本気であらがった。今回に限らず、時と場所を考えずに家のあちこちで行為に及ぶことを、イルカは良しとしていない。けれどその時のオレは、一瞬たりとも手を緩めなかった。酔っていたのは、イルカではなかったのかもしれない。
「…シ…さんっ、…なに、を…っ…」
 まだ灯りも点いていない居間の壁に、両手を高く差し上げた格好のまま、強引に背中を押し付ける。と、いついかなる時も優しい男の体の強ばりが、分厚い支給服越しにもはっきりと伝わってきた。
「…っ、…かか…」
 酒臭い息ごと唇をふさぎ、今まさに出かけていた名前を飲み込む。いまはその名を聞きたくない。イルカが勢いよく首を振ろうとするのを口だけで抑え込むと、互いの歯が当たる不快な感触がした。
 イルカはそんな気分じゃなかったかもしれない。いや、全く気分ではなかっただろう。わかっていたはずが、いつもならそこで止められるはずの手が、どうしても止められない。
 制止を振り切る形で強引に上着をたくし上げ、乱暴にズボンを引き下ろすと、男はついに根負けしたらしかった。
「…なっ…、なんでっ、…なにも言わせてっ、くれないん、ですか…っ」
 ようやく唇を解放して首筋に移ると、イルカは抵抗の手を緩め、壁に体を預けて、弾む息を精一杯押さえながら切れ切れに訴えだした。
「………」
「…なんで…っ、なんにもっ…言ってくれないん、ですか…っ…」
「………」
(――それは…)
 耳のふちを唇でなぞりながら目を閉じ、その奥で考える。
 例え洗いざらい説明をしてイルカも頭では理解したとしても、本当の意味では一生わからないことだ。
 言葉にするだけの勇気がないために、ついついひねた行動に出てしまっている者の、ちっぽけな屁理屈など。
「…カカシ、さん…」
 掠れた男の呼び掛けに、胸の先を舐めていた頭を上げる。と、何を思ったのだろう。両目の辺りを大きな手で遮るように覆った男が眉を寄せ、押し寄せるものに必死で抗いながら、何か賢明に訴えようとしている。
「…でもっ…それでも……それでも、いいんだ…。それでも俺…ずっと――側に……いたい…」
「!」
 直後には、衣服の乱れた体を力一杯掻き抱いていた。
(イルカ…!)
 漠然とではあるものの、心の隅では「火影になったら、イルカに何かしてやりたい」などと思っていた。これまで苦労ばかりかけてきたそのお詫びのしるしとして、いつかこの肩書きに相応しい恩返しをして、彼を喜ばせてやれたら、と。
 けれど現実は、そんな甘いものではなかった。むしろそんなオレの浅はかな思惑を嘲笑うかのように、二人への風当たりは日に日に強くなっている。
(ごめん……ごめんね…)
 イルカは、毛筋の先ほどもそんな見返りなど期待していないだろう。僅かでもそんな期待をしていたなら、とうの昔にオレの元を離れている。その程度には、オレの周りの波風は高くなっているのだ。
 そんな男に、オレはいまここで何をしようとしていた?
「ベッド、行こう?」
 足元に落ちていたジャケットを拾い、イルカの背中をそっと押した。


 裸になってから改めて抱き合うと、イルカはさっきまでの抵抗が嘘のように、驚くほど柔順だった。本当に、こんなに素直な男を、自分は一体どうしようとしていたのか。
 口づけながら小さな胸先を弄り、髪を撫でると、離れたところにある固い腹筋がぶるりと震えたのが見えた。下に移り、やわやわと優しく袋を揉み、勃ち上がりだしたものを口に含むと、イルカは再び自身の大きな手で顔半分を覆い、背を逸らせながら熱い吐息を吐いた。
(ね、その顔を隠す仕草って、もう随分前からやってるけど…)
 ただやりたい一心で何も考えてなかった頃は、その姿から、「それって『参った、降参』てこと〜?」などと考えて、一人悦に入ったりしていた。けれど最近では、そんな単純なことではないんだろうな、と思うようになっている。
 きっとその温かな手の奧では、昔も今も色んな思いがぶつかりあい、混ざりあっている。
「――ありがとう」
 感謝の証しは、いまだにこんなことだけだけど。
(オレも、絶対に離さない)
 それだけは誓える。

 両の膝裏を高く持ち上げ、時間をかけて解しておいた秘所に、ゆっくりと自身を埋めていく。たっぷりと絡めたゼリーに助けられながら、きついけれど温かな彼の中にすっかり迎え入れられると、腹の底から安堵の溜息が出た。
 と、それまで歯を食いしばってシーツを掴んでいた男の片手が離れ、再び自身の目から額にかけてを覆っている。
 それに構うことなく、両脚を腰で押し開くようにしながらピストンしだすと、深い繋がりに彼の唇から盛んに吐息が上がりだした。怖ろしく気持ちいい。
 だが行為の最中、半ば飛びかけた頭で何の気なしにその手を取り上げ、ベッドに縫いつけてみたところ、見開いた真っ黒な瞳の奥に明らかに戸惑った表情が現れて、思わず手を離した。
(あぁごめん、また余計なことした)
 いついかなる時も、例えそれがどんな小さな日常の仕草一つであっても、その全てがこの男を創り上げている大切なものだ。
 年を重ね、その人となりを知れば知るほど、そこに繋がるもの全てが、今はただ愛おしい。
 暫くすると安心したのか、彼は再び顔に手をかざし、甘く切なげな声をあげはじめた。
(イルカ…)
 そのしなやかで熱い体を、オレは思うさま抱き、貫いた。


     * * *


(――ぁ…)
 窓の外に小さな伝鳥が舞い降りた気配に、落ち込みかけていた意識を素早く持ち上げた。何かあったらしい。
 息がかかるほどすぐ側には、くっきりとした目元の男。しきりに顔を隠そうとしていたさっきまでとは全く違ったその表情に、また少し見えない力を貰った気がする。

「じゃ、行ってくる」
「はい」


 火影に就任して以降、会う者の多くが、「なぜお前は火影を引き受けたのか?」と、ことある毎に訊ねてくる。
「だってそうだろう? お前は自分自身のことを、他の誰よりよく熟知している冷静な男だ。てっきり辞退すると思っていたのに、なぜ火影なんてものを引き受け、そこまでして全身全霊を傾けて、里長などというハードワークに黙って勤しんでるんだ?」

「ふ、決まってるでしょ、そんなこと」

 そんな時オレは、最近ようやく使い慣れてきだした菅笠を、少し目深に被りなおして答える。
 その理由だけは、どれほど他の可能性を考え、突き詰めてみたところで、決して変わることはないのだ。

「あの人が、この世に居るからさ」



                  癖 -HEKI-  fin




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