(――くそっ…、まずったな…)
 目の前でゲンマがペットボトルを傾けているのを見ながら、カラカラに乾ききった喉がもう限界だと訴えてくるのを無理矢理抑え込む。
 自分からついていくと言い張ったのだ。山道を甘く見ていて、早々に持参した水を飲みきってしまったからといって、今更音を上げたくない。
 ゲンマが目の前でことのほかうまそうに水を飲み、そのまま荷物の中にしまっているのを睨み付けるようにして見つめながら、(オレはこんな山奥で、一体何をやってるんだ?)などと繰り返し思った。


 熱く火照って粘り付き、塞がりそうなほどにまで乾ききっていた喉を騙し騙しているうち、それでも何とか質問をしようと言う気になってきた。
「――その、鷹を最初に調教する時って、どういう手順でやるんです? 雛から? それとも成鳥になってから?」
 乾いて上手く回らない舌がもどかしいが、片意地だけでそれを押し隠す。
「へぇ、まだそんなことを訊く気力が残ってたとはな。…それはな、どっちもアリだ。ただ雛からいくとなると、よく慣れる代わりに成鳥になるまでの餌代と時間がえれぇことになるから、オレは狩りの方法を覚えた成鳥を霞網で捕まえて使うけどな」
「…なるほど」
 最初の冷やかすような言葉にムッとしつつも、更に突っ込んで訊ねていくと、巣立ってから捕えた鷹を「出鷹」と呼び、目も開いてない雛のことを「巣子」と呼んで、鷹狩りの全盛期には米一俵と交換されていたほどの価値があったのだと言う。
「でも成鳥になってから仕込むんじゃ、暴れたり逃げようとしたりしてなかなか言うこと聞かないんじゃ?」
 まるで良くできた置物のように身動き一つせず、カッと見開いた金色の真円の瞳で遥か遠くを見つめている鳥を横目でチラと見る。
 どこからかひんやりとした一陣の風が吹いてきて、ざわざわと木々を揺らしながら抜けていくと、まるでそれを待っていかのたように、頭上から一斉に茶色い木の葉が舞い落ちてくる。
「ハッ、アイツはどのみち人間の言うことなんざ、死ぬまで聞く気はねえよ。ただああ見えて弱点もある。だからまずはそれを利用して、暴れる気が起こらねぇようにするのさ」
「弱点? というと?」
「さっきも言ったが鷹は夜目が利かねぇ。真っ暗な中に閉じこめられると、本能的に動くのを止める。しかも暫くは捕まったショックで全く餌を食わなくなるから、まずはそうやって弱りだした頃から毎日体を撫でていって、そのまま十日から二週間程度、水しか与えないで餓死の一歩手前まで徹底的に絶食させる」
「えっ…」
 てっきり大きな籠にでも入れて、じっくり時間をかけて飼い慣らしていくのかと思っていただけに、180度逆の荒っぽいやり方に、思わず疑問とも批判ともつかぬ声が上がった。体の大きな人間だって、二週間も何も口にしないとなると死の危険に直面するだろうに、いくら猛禽とはいえたった3キロしかない鳥にそんな過激な絶食をさせるとは…。
「フッ、なんて顔してんだ。手乗り文鳥を飼うのとは訳が違うんだぜ? こっちだって食うや食わずのギリギリで向き合ってんだ。絶対に負けるわけにはいかねぇ。こいつは限界まで腹が減った者同士の根比べさ」
「――どっちが先に根負けするか、か…」
 呟きながら、彼が都会からやって来たいかにも山歩きに不慣れな男に対して、何ら気を遣う素振りを見せないことにも薄々合点がいっていた。
 一見都会的な軽い空気を身にまとい、気さくそうに見えていた男は、オレをわざととことんまで追い詰め、試そうとしている。
(そう、くるか…)
 腹の奥で、「もう一人の自分」が今一度低く身構えた。

「――で、ガリガリに痩せて、もうあと数日何も食わなければ死ぬ、というところで頃合いを見計らって、初めて茶碗一杯程度のごく少ない肉を与えんのさ。もちろんそこまでになっても決して、一瞬たりとも気を緩めちゃなんねぇ。もし調教を焦って少しでも見極めを誤ったら、餌をやりに近寄った瞬間、脳天にかぎ爪打ち込まれることだってあり得るからな」
 男は頭を覆ったバンダナに手をやり、気持ち直すような仕草をする。
「けどよ、逆にそれを恐れて絶食させすぎると、奴等は何の足掻きもしないまま、あっさり死んじまう」
「……………」
「鷹ってのはな、オレら哺乳類と違って、どんなに飢えてようが瞳の輝きがまるで変わんねぇのよ。それどころか逆に飢えれば飢えるほどますますギラついてきやがる。腹が減って今にも死にそうだからって、オレに媚びを売ったりすることはもちろん、弱ってる気配だって毛筋ほども見せやしねえ。羽毛の下はガリガリに痩せこけてるのにだぜ? やせ我慢が限界にきたら、いきなり止まり木から落ちて呆気なくパタンよ。だから出鷹の最初の調教の時は、一日中真っ暗な部屋で何週間も一緒に寝泊まりして、蝋燭の灯り一つで昼夜問わずに観察し続ける」
 ゲンマが話を切って天涯の方を振り仰いでも、彼女は我々人間には決して見えない遥か遠くの世界を真っ直ぐに見つめていて、時折射るような瞳をゆっくりと瞬かせている。周囲に響いていたはずの小鳥の囀りがすっかり消えて静まりかえっているのは、そのもの言わぬ脅威に散り散りに逃げ去ってしまったせいだろう。
 ふと、この男があの古びた置き石屋根の家の片隅で、微かな橙色の灯りが一つだけ灯る中、くる日もくる日も鷹と対峙し続ける光景が脳裏に浮かんだ。
(鷹匠だけでは食っていけないというのは、あながち嘘でもないらしいな)
 ゲンマが喋るたびに、口元で揺れ動くものを見つめながら思う。
(武士は食わねど…か)
 鷹と男。両者の共通点をおかしなところに見い出して、内心で小さく笑った。

「――じゃあその最初の見極めっていうのは、どの辺で判断を? 何か目安でも? 余り極端に弱らせてしまっても、後々飛べなくなるんじゃ?」
 間を置かず新たな問いを矢継ぎ早に投げかけると、痩せた男の横顔がやれやれとでも言いたげな溜息を吐いた。
「フッ、突っ込むねぇ。――個体差があるから何とも言えねぇが、最初は五メートルも飛んでたフンが、終いには二、三センチしか飛ばなくなるから、まぁその辺が限度だろうよ。で、そうなったら最初の肉をやり、また十日ほど開けて同じようになるのを待つ。そしてまた僅かな餌をやって七日…と、だんだん間隔を短くして少しずつ体力を戻しながら、オレとの暮らしにも慣らしていく」
「究極の餌付け、ですね」
 永遠とも思える激しい鞭と、あるか無きかのほんの僅かな飴を使った。
「ァ? 究極? …どうだかな。これが遠い昔っから先祖代々やってきてる、ごく普通のやり方さ。連中にしてみりゃ、極限まで腹が減ったところでいきなり半端に満たされるんだ。どんなに掴まったショックが大きいヤツでも、空腹時の記憶と狩りの本能が一気に呼び起こされる。そうすることで、初めて囚われの身の上も受け入れられるんだろうしな。まぁ要は腹一杯にしとかねぇことだ。満たされてっと本能が錆びる」
「それは調教される側だけじゃなく、する側も?」
「――…さぁな」
 ややあって、静かに声が返った。

「でも絶食で死なせてしまう可能性があるなら、多少時間がかかっても雛から育てた方が良いのでは? より慣れた方があなたにとっても安全でしょうし、何かと都合がいいでしょう?」
 言うと男の細い眉が、バンダナの下でくっと寄るのが見て取れた。長楊枝越しに、こちらに鋭い目線をくれる。
「言っとくがオレは死なせたことはねぇぜ? なんせこっちの生き死にだってかかってんだからな。…まァ確かに、雛からいけば餌代はべらぼうにかかるがよく慣れる。でもその先で狩りを必ず覚えるかっていうと、これが怪しいのよ。すぐに覚えるヤツもいれば、いつまで経ってもまるでダメなのもいる。本来ならそういう雛は野生じゃすぐに淘汰されて死ぬんだが、人の目にはそれがどいつなのかなんて分かりゃしねぇからな。それこそ博打よ。大体オレはそんな回りくどい親鳥の真似事なんざ、はなっから御免だ。性に合わねぇ」
 そう言うと、男はもう一度ペットボトルを取りだして傾け、さっさとしまった。その一連の様子を、思わず凝視してしまっているオレのことが眼中に入っている様子は欠片もない。

 そのままゲンマが立ち上がりそうな気配にハッとして、個人的にこれだけは是非とも聞いてみたいと思っていた、少し意地悪な質問を投げかけてみる。
「すみません、あと一つだけ」
 一旦歩きだしたら最後、次に止まるまでは…いや次に止まったとしても、もう暫くはまともな質問などできないだろうから。
「あ? もういいだろう。――行くぞ」
 だがいつまでも取り合う気は更々ないらしく、男は立ち上がるやあっさりと背を向けて天涯の方に歩きだした。まるでオレが、厄介な質問をしようとしていることに気付いているかのようだ。それでも構わず、その後ろ姿に向かって声を掛ける。いや、言葉を投げつける。
「あなたは、本当に心の底から鷹が好きという訳じゃ、ないのでは?」
 すると、大股で踏み出していた細長い脚が、ぴたりと止まった。
「――――…」
(よし、今だ)
 もしも『足元さえおぼつかない軟弱な都会者に何が出来る』とオレの事を甘く見ていたのなら、そっちの負けだ。こっちは質問のプロなのだ。相手の懐に切り込んでいく術はもちろん、痛いところを嗅ぎつけて衝くことなど雑作もない。むしろそれこそが最も得意とするところなのだから。
 自分が現在のステージまで他者を抑えて上って来れたのも、ありがちな生ぬるい通り一遍の質問に終始せず、常に相手に極力嫌がられるような質問をここぞというタイミングでぶつけてきたためだ。お陰で味方は少なく敵は多いが、そういう駆け引きや度胸比べなら、こちらも負ける気がしない。
「失礼を承知で伺ってます。――裏を返せばあなたはただ、鷹匠という先祖代々から受け継いできた伝統の業を、自分の代で途切れさせるのが後ろめたいだけなんでは?」
「――――」
「そうでないとしても、金にならない鷹匠をいつまでも続けることが、最早単なる道楽になってしまっているとは思いませんか?」
「――――」
「『伝統を受け継いでいる』といえば聞こえはいいですが、本当に鷹が好きでこの土地が好きなら、国から保護の指定がなされているような希少な鳥を捕まえて餓死直前まで飢えさせたり、拘束して減少著しい小動物を狩らせたりすることとは、大きく矛盾してしまっていると思いますが?」
「――――」
「どうなんでしょう、その辺り」
 激しい喉の乾きに促されるようにして、勢いよく畳みかけると、心なしか咽が潤ったような気がした。文字通り溜飲が下がったのかもしれない。

「――お前らの考える『好き嫌い』なんてのは、その程度のもんか」
「っ?」
 別人のものかと思うほど低いゲンマの声に、思わず踏み出しかけていた足が止まった。
「だからオレは、取材なんてもんにははなっから反対だったんだ。いいか、二度とそのちゃちで薄っぺらな物差しで他人を測るな!」
(ぁ〜…)
 
 やがて天涯を左拳に乗せ、ずっと銜え続けていた長楊枝を道端に吐き捨てると、男は一度も後ろを振り向かないまま、驚くような早足で山道を登り始めた。
(んー。――怒ったってことは……図星なのかねぇ?)
 痛みの治まらない火照った足で、慌てて後ろを追いかけた。





        TOP    書庫    <<   >>