「――ちなみに、さっきの…炭焼き職人のハヤテさんのことは、どう思ってます?」
 二度目の休憩時間が終わりかけた時も、あとひとつとばかり投げかけた。それまでも、大木の伐り方、倒し方、運び出し方と一通り訊ねてきたが、伐る木の選び方一つ取っても実に面白く、たった一人で有限の体力を駆使せざるをえないだけに、実に理にかなっているなと感心していた。
「ア? どうって?」
 のっそりと立ち上がろうとしていた大きな背中が止まり、僅かばかり振り返る。その髭だらけの横顔には「次から次へとよく喋る奴だな、まだ疲れてねえのか?」と書いてある。
「炭を焼くということは、どんどん木を切り倒していくということでしょ? あなたの仕事にも少なからず影響があるんじゃ?」
 イビキほどは圧迫感がないものの、知らず距離をとった位置から、もう一度訊ねる。
「あぁ、そういうことか」
 他にどういう取り方があったのかは知らないが、男は髭の中で口端を僅かに吊り上げている。
「炭焼きと木樵は、そんな単純な関係じゃねぇぜ」
「というと?」
「いっとくが、この国で今一番山を荒らしちまってるのは、俺達林業関係者だ。炭焼きじゃない」
 キツツキが丸木を叩いている軽やかな音が、遠くで響いている。木々の間から無数の光の筋が突き抜けて、下草に降り注いでいる中、。
「植えるだけ植えて、手入れをしない?」
「そういうことだ。そもそも炭がなけりゃ、俺達は飯ひとつ食えねぇし、冬だって越せねえ。アイツがいなきゃ、村自体が成り立たん」
「そりゃま、そうね」
「それにアイツの伐る木は、クヌギとかコナラが主だ。若いクヌギなら、伐っても切り株から新しい芽が出て、十年後にはまた炭が焼ける」
「なるほど、伐ったらそれで終わりじゃないと」
「たりめぇだ。木を何だと思ってる。それにだな、そうやってまともな材にするためには、やっぱり毎年下草を刈ったり、不要な横枝を払ったりして手を入れてないと、あっという間にただの原生林になっちまって、とてもまともな炭材なんざ育たん。言わば真っ当な炭焼きと木樵ってのは、育ててる木が違うだけで、理想としてるところは同じってわけよ」
 木樵は「アンタ、誰に担がれたか知らねぇがな、炭焼きが山を荒廃させてたなんてのは、半世紀以上も前の話だぜ?」とニヤついている。
 そして「俺達ゃここで暮らしてんだ、ここに害をなしたらどうなるかは、俺達が一番良く知ってる」と言うと、大きな炭俵をまるで真綿か何かのように軽々と担いだ。


 四度目の休憩は、なかなか見晴らしのいい場所だった。巨木の根元に腰を下ろしたものの、少しずつ霞みながら奥へ奥へと連なっていく山々に、火照るような足の痛みも忘れてカメラを向ける。
 さっきから遠くで動物らしき高い啼き声が盛んにしていて、あれは何だと聞くと鹿だと言う。
 首もとを次々と吹き抜けながら、汗を浚っていく涼風が気持ちいい。夜、真っ暗な中で聞く木々のざわめきは不気味で落ち着かないのに、今のそれは全く違う印象だ。

 たっぷり持ってきた水を存分に飲んで一息吐き、歩きながら考えていた新たな質問を切り出そうとした時だった。
「見ろよ」
「え?」
 厚みのある、大きな手指が指さしている方向を辿る。
「あの辺りだけは、土地の所有者が違う。誰も手入れをしてない、モヤシ山だ」
 言われて始めて、その明らかな違いに気付いていた。カメラのファインダーを覗きながら、更にズームにしていく。
「まさかあれって…、同じ木?」
「ああ、同じ時期に植えられた檜だ」
 その一帯だけは、か細い木がびっしりと立ち並んでいて、まるで鉛筆の林だった。余りに密に生えているために木の下は真っ暗で、陽当たりが悪すぎて上手く生長出来なかったらしい木々が、草むらに折り重なるようにして倒れている。あそこまでなってしまうと、もはや近寄ることすら難しいだろう。
 今自分達の背後でどっしりと根を下ろしている、木の幹が大人一抱え分もありそうなものとは比べるべくもなかった。まるで別物だ。あのような木が何の価値もないことくらい、オレにだって分かる。木なんて植えておけば、ひとりでに勝手に大きくなっていくものだとばかり思っていたが、彼が父親から受け継ぐ形で長年育ててきたものと比べると、こうも違ってくるとは。
「ああなっちまうと、ちょっとした雨でも土砂崩れが起こりやすくなる」
「ん、如何にもそんな感じ。そうすると、ますます一帯が荒れていく?」
「ああ。もうあっちこっちで崩れてるが、撤去もするだけ損で危険だってんで、どこも崩れたままだ」
 長い溜息と共に吐き出した白い煙が、山肌を駆け上がってきた風に吹き上げられては消えていく。

「――親父とも、随分喧嘩したんだけどよ」
(?)
「目先の利益を追いかけるのは、そろそろ止めだ」
 どこにも向くことなく、ただ前を――連なり霞んでいく山々を見つめたまま、男は「今のは独り言だぜ?」と言わんばかりに煙草をふかしている。
(まっ、確かにどこの企業のトップも、一度はそんな風に理想を語るけどね?)
 幾ら高邁な理念を掲げていても、現実はとてつもなく厳しい。目先にそれなりの利益が出ていなければ、理想も長くは続かない。
 男の大きな指に挟まれている小さな煙草が、少しずつ灰になっては吹き飛ばされていく。
 それを横目に見ながらレンズを交換し、反論含みの問いを切り出そうとした時だった。
「百年後に、天国から俺の手入れした山を見下ろすのが楽しみだぜ」
「…………」

 煙が巻き上がっていく遙か先を振り仰ぎ見る。
 真っ直ぐ伸びていく巨木を四角いフレームに収めながら、抜けるような青い天に向かってフォーカスを合わせた。



  * * *



 見覚えのある道に出たな、と思ったときには、色づきはじめた木々の向こうに集落の屋根が見え隠れしだしていた。心なしか、微かに煙の匂いもしている。
 休憩はもうないだろう。終点が近いことにホッとすると同時に、見た目より余程気さくだった男への質問もこれで最後かと、一番気になっていたことを訊ねることにする。
「そういえば、三代目に言われて気になってたんだけど」
「ぁ、なんだ?」
 足は止めないまま、髭面をチラとこちらに振り向けている。ここまで相当な重さの炭を運んできたはずが、急な下り坂でバランスを崩すことはおろか、足取りのひとつさえも乱れることはなかった。それはどこか、男の人柄とも重なっている気がする。この男なら、何を聞いたとしてもブレることはないだろう。
「村の一番奥の家は、誰が住んでるんです? 近寄るな、なんて言われると、かえって興味が湧くんですけど?」
 途端、男の背負っていた炭俵にぶつかりそうになって、その真っ黒な煤の前でギリギリ急停止した…はずが、弱っていた膝がガクンと砕けて尻餅をつく。直後、屈んできた男に襟首を掴まれて、そのまま強引に立ち上がらされた。
(…って、ちょ…っ?!)
「山には山の、決まり事ってもんがある。それは必要だから出来たんだ。破るためにあるんじゃねぇ」
 苦しさと不愉快さから、そのゴツイ手を勢いに任せて振り払いながら、二、三歩後ろに下がった。上目遣いに視線をくれると、強張った頬と眉の間で真剣な色味を帯びている鳶色のそれと正面から視線がぶつかる。
「他人に決まり事を守らせるには、それだけの明確な理由が必要になってくる。理由を理解して、人は初めてルールを守るんだ。その一切の説明をしないまま、よそ者だからただそれに従えと?」
「――そういうことだ」
 再びアスマとの間で、譲らない視線同士がぶつかるのが分かる。
 が、直後炭俵を持ち直した彼が再び前を向いて歩き出したことで、凍りかけていた場の空気は瞬く間に秋風に浚われていく。
(――ったく…)
 この男ならもうちょっとまともな反応が返ってくると思っていただけに、正直がっかりしていた。だがこんなに閉鎖的で分からず屋の男だったのかと思うと同時に、ますますその「一番奥の家」がなんなのか、興味が募っていくのを押さえきれない。
(それを知らずして帰れないでしょ)
 体力的に取材続行がかなり辛くなってきていたことから、今日中には帰ろうと思っていたが、ここで帰ったが最後、二度と来る事もないわけで。
(――ようし、それなら…)
 ようやく山を下りきったところで、「ありがとう、お陰でとても参考になりました。三代目に宜しく」と丁寧に礼を言う。
 途中からずっと無言だった男は、高い位置からオレを不審そうな目で見下ろして、「これからどうするつもりだ?」と問うてきた。当然のリアクションだろう。
 オレが涼しい顔をして「一旦車に戻るが、イビキの所に取材に行くから、後で紹介してくれないか」と切り出すと、男は心なしかホッとした様子で「分かった」と頷いた。

 車に帰り、カメラやボイスレコーダーのバッテリーチャージをしながら、持ってきていたスティック状の携帯食を荷物から探し出すなり頬張る。それを勢いよく開栓した清涼飲料水で流し込むと、何だか酷くホッとした。いちいち「これは一体何なんだ?」と眺め回しながら恐る恐る口に入れなくてもいい食べ物は本当に楽だ。そんなこと当たり前すぎて、今まで気付きもしなかった。
 重い思いをしてここまで持ち歩いていたはずの飲み残しの沢の水は、急に飲む気が失せていた。全てタオルを湿らせるのに使い、体を拭いて着替えたが、陽はまだ高い。
 南に向けて停めてあった車内が、いい感じに温まりだしていた。



  * * *



 すぐ耳元でガラス窓が叩かれる、コツコツという音がして(ちょっとアンタ、なんでまた握り飯なんて持ってきたわけ?)と思う。こっちはそれどころじゃないのに。
(……ぁ?)
 直後、ぱちりと目が開いた。今、自分が夢うつつに思い浮かべたものの余りの滑稽さに、一気に目が醒めていく。
(あーあー、すっかり寝過ごしてるし)
 いつの間にか陽はすっかり傾いていて、徐々に黒みを帯びていく山々のシルエットの向こうに隠れだしている。
 急速に冷え込みだしている車内で、オレはひとつくしゃみをした。

「オイ、イビキんとこ、行くんじゃねぇのか?」
 窓を叩いた髭面の男はドアを開けても肘をルーフに乗せたまま、こちらをぞんざいな感じで見下ろしている。煙草がないと間が持たなかったはずの視線が、いつまで経っても逸れていかない。
(…?)
 だが自分に対する彼の態度が変わったことに気付くには、それで十分だった。
(あぁなに、そういうこと?)
 さっきまでそれなりに気遣いの出来ていたはずの山男は、ものの数時間ほどでどこか横柄になり、威圧感が増していた。間違いない。この男も、あの一番奥の家からオレを遠ざけようとしている。恐らくは三代目の意向により、村を挙げての一大キャンペーン中なのだろう。ご苦労なことだ。
 でも彼には悪いが、子供の頃から転勤の多かったオレは、そういう冷たい空気に慣れている。
(それっぽっちのことで、諦めるわけないでしょ?)
「――あぁ、行く行く。紹介して?」
 いつもと何ら変わらぬ返事をしながら、ドアを閉めた。





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