「じゃあ狩猟犬は? あと罠とか仕掛けないの? 猟で実際に使ってるのは、純粋に銃だけ?」
 イビキと囲炉裏を挟んで座るや、オレは「このあいだ会って話したから面倒な挨拶や前置きなんて不要でしょ?」とばかりに、大した説明もないままどんどん質問を始めている。元々寡黙な男だと分かっているから尚のことだ。
 アスマはというと、あっという間に自分が用無しとなったことを悟って出ていったが、去り際に二人がごく短く目配せしあったのはもちろんチェック済みだ。

 予想通り、男の部屋は簡素だった。親の代はそれなりに裕福だったことを伺わせる作りだが、今では法で定められているという、銃を保管しておくためのごくシンプルな木製の保管庫でさえ目に付く程だ。
 ただ一つ、冷蔵庫の場違いな程の大きさを除いては。

「忍び猟は、犬は使わない。一人で歩いて追い詰めていく猟だからな。罠は昔は使っていたが、今はやらない。この辺の山はよそと違って、結構人が入ってるしな。最悪足を挫く可能性がある」
 イビキはアスマに紹介されてたのでは仕方ないかと、渋々ながら取材を了承して、彼なりではあるもののきちんと受け答えしている。我ながら、なかなか上手いツテの頼り方だった。
「あーらま、人が獣用の罠にかかっちゃうんだ? 人間としてそれもどうなの」
 人も罠に掛かると聞いた途端、どういう訳か、黒髪の男がちゃちなワイヤーに引っかかって難儀している間抜けな映像が脳裏を掠めたが、こんな時に何を思い出して合成してるんだかと、内心で苦笑してすぐさま消し去る。
「馬鹿、かかって当たり前だ。奴らは人間なんかより遙かに敏感な生き物なんだ。人はもちろん、人工物の匂いなんざ簡単に嗅ぎ分けるし、ちょっとでもおかしいと思ったら自分の足跡をそのまま辿ってバックするくらい頭のいい奴もいる。まさに野生の勘よ。そんな奴らを騙して掴まえるための罠なんだから、人はかかって当然なんだ。人が気付くような罠じゃ、奴らは獲れん」
「なるほど」
(ふうん。そういう、もんなのかねぇ?)
 改めて独特の風貌をした男を見ると、確かに彼は人としての空気という点ではどこか希薄な気もした。それは生きんがために、人間が長年に渡って獲得してきた特有のものを敢えて消し去って、獣に一歩近付いた代償のように見えなくもない。

「じゃあ、その銃を使ってどんな風に?」
 ここが取材の最も胆となる部分で、本当なら取材に同行して写真を撮るべき所だ。けれど「ひたすら山を歩き回って、獲物を追い詰める猟」と聞いて、同行を申し出なくて良かったと、密かに胸をなで下ろしていた。今の余力では行ったが最後、確実に戻って来れなくなっていたところだ。
(いや、ここは物書きの意地にかけて、写真無しで読ませてみせる)
「前にも言っただろう、仕留め方は色々だ。依頼に応じてる」
「依頼? ああ注文があるのね? 例えば?」
「街の料理屋に出す時は、時間がかかっても必ず沢に追い込んでから撃つ」
「それはまた、なんで?」
「沢の水で肉を冷やしながら、流水で一気に血抜きするためだ。それをやらないと、長い輸送時間に肉が耐えられない」
 男の話から脳内で出来上がった映像に、僅かに眉を顰めながら続きを促す。
「他には?」
「ここらじゃやらんが、害獣駆除で駆り出された時は、勢子(せこ)が犬を使って追い立てて、タツ場で待っていた射手が撃つ」
「その時の報酬は? その肉を売って?」
「害になるくらい居るんだ。値なんて付くわけがない。何十頭仕留めようが、全部焼却処分だ」
 一日山を歩き回っても、自治体から数千円の報酬が出るだけなのだという。そのうえ肉も売れないでは、猟師人口も減って当然だろう。弾代も犬の餌もタダではないのだ。イビキによれば、猟銃登録者は今では最盛期の三割ほどしかいないらしい。
「自分の食べる分は?」
「自分達で食う時は、簡単な血抜きだけだ。沢には追わん」
「でもそれじゃ、味が悪くなっちゃうんでしょ?」
「熊でも鹿でも、大型獣の血は腸に詰めれば食える。どのみち鹿肉ってのは、二、三週間は熟成させないと美味くならないからな。その間は傷みやすい内臓の方を食うことになるんだ。頭さえ狙えば全部食える。獲ったからには全部食う」
「それが、流儀なんだ?」
「流儀? そんな高尚なもんじゃない。猟師として当然のことだ」
 その頃になってようやく男の外見が発するものに慣れてきて、話を右左に振ってみる。何とか最後までついてきてくれることを祈りながら。

「ね、会ったときから気になってたんだけどさ、その顔の傷ってもしかして猟をしてて負ったとか?」
「ああ」
 もう過去のことだからだろうか。随分とあっさりした、素っ気なさすぎる返事にもう一押しをする。
「それ、詳しく聞いても、いいかな」
「あぁ……銃もかなり使いこなせるようになったってんで、重くてかさばる剣鉈は家に置いて、より身軽になって出掛けるようになってた頃の話だ」
「剣鉈って?」
「先の尖った鉈だ。確かに便利で色んな用途に使えはするが、他にも解体用の短いナイフは常に持っていたんでな」
「確かに身軽な方が、いいような気もするけど?」
「親父は熊の縄張りに入ったら、絶対に剣鉈から手を離すなと言っていた。深い藪から突然襲ってきた場合、銃を構えるより鉈を構える方が遙かに早いからな」
「なるほど。でも、自分にはその必要はないと思った?」
「ああ。猟友会に呼ばれて駆除活動をしているうちに、いつの間にか他人と比べてたんだな。みんな鉈なんて持ってなかったから不要だと思うようになっていた。相手は逆上した熊なのにまわりの人間と比べてたなんて、今考えたら笑うしかないがな」
 そして、その教えを無視したツケは相当に大きかったらしい。退院後、そこそこあった蓄えを全て使い果たしたことで、「初めて猟師というものと正面から向き合えた気がした」と男は言った。
「己を戒めるには、丁度いい傷だろう」
 そんな酷い目に遭っておいて、まだ自分は慢心するとでも思っているのだろうか。
 自戒の笑みは、同じ男として普通に格好良かった。

「熊は、どうやって獲るの?」
「色々だ。それこそ時と場合による。同じ狩り方が二度続くことはまずない」
「じゃあ、一例を挙げるとすると?」
 長い長い夜が始まったばかりだというのに、男の言葉はちょっとでもこちらが気を抜くと、すぐに途切れてしまう。
「熊はものを掻き込んで自分の後ろに回す穴掘りの動作は出来ても、押し返す動作は出来ない。だから熊の居る穴を見つけたら、その辺にある木の枝をどんどん入り口から差し入れる」
「……はあ?」
 もう既に眉が寄り、目が勝手に瞬きを繰り返している。それは狩りの話…なのか?
「そうすると、狭い穴の中は枝で一杯になって、自然と穴から出て来ざるをえなくなる」
「なるほど、考えたね。他には?」
「猟友会で駆除に行った時、その習性を応用して、俺が枝になった」
「…なッ…?! ええぇ?!」
 思わず持っていたカメラを、囲炉裏の中に落としそうになった。危ない。いやこの男の方が余程アブナイけど。
「そうすると熊は邪魔な俺を掻き込んで、尻の後ろにやる。穴はごく狭いから、あっという間に熊を追い出せた」
(もしかして、その手の話がこれからゾロゾロくるのか?)
 とりあえず、猟師の豪胆と狂気が紙一重ってことはよく分かった。
「あのさ、今聞いた感じだと、オレにはその顔の傷が全然戒めになってないように思うんだけど?」
「ん? そうか?」
(そこで笑うかねー)
 こちらもつられて、へらりと顔半分を歪めた。

 イビキと囲んだ火はイルカのそれと違って、落ち着く暇がない。当然か。
 自ら際どい話題を振っておきながら、何の気なしに両者を比べてしまっている自分に気付いて内側で苦笑う。そもそもイルカとは一番水が合わないと自覚しているのに、勝手に引き合いに出して何をやってるんだか。
「――でも大型の野生動物って、開発でどんどん少なくなってるんだとばかり思ってたけど、そんなに獲って大丈夫なの?」
「それは都市近郊での話だろう。山あいじゃ逆だ。この一帯はオレが獲ってるから被害は少ないが、よそじゃ天敵の狼と猟師がいなくなったせいで、山火事でも起きたみてえに丸裸になってる所も多い。特に猪と鹿は増える一方だ」
「この一帯だけは、バランスが保たれている?」
「ああ。アスマの所やハヤテ達が木の実や下草の沢山生えるいい森を長年維持してくれてるお陰で、周囲の山から色んな鳥獣がやってくる。お陰でオレやゲンマは、大した苦労もなく美味い肉が獲れる」
「持ちつ、持たれつな訳だ」
「いいや。…オレのやってることに比べたら、連中には一方的に重いものを持って貰ってるようなもんだ。猟師ってのは、何一つ生まない」
 猟師の唇から突然転がり出てきた、思いのほか謙虚な発言に、獣と渡り合う者の内側へ、また一歩踏み込んだらしいことに気付く。
「害獣を駆除することも、何も生んでないと思ってる? それとも猟師になった自分を、肯定してないだけ?」
 すると男は傷だらけの顔を歪めて自嘲している。
「免許をとって猟師になったばかりの頃は、一対一の真剣勝負に勝てるようになったと、自分を誇らしく思っていた。だが最近じゃ、獲れば獲るほど自分が小さくなっていくような気がする」
「小さく? どういうことかな?」
「分からん。…分からんが……多分猟師ってのは、死ぬまで大きなもんに負ぶさったまま生かされてくんだ」
(…小さく、ねぇ?)
 熊とがっぷり四つに組んで相撲が出来そうな巨躯を、それとなく眺める。数日前、ヘッドライトに浮かび上がった男と、この囲炉裏の炭灯りをじっと見つめている男は、確かに同一人物のはずなのだけれど。
 男は「まさかお前みたいな都会者に、自分を肯定して貰うようになるとは思わなかったぜ」と気持ち困ったように薄く笑った。


 思いの外よく喋った男が、急に訪れた話の切れ目に乗じてのっそりと立ち上がる。
 やがて、分厚い板間をギシギシと鳴らしながら戻ってきた男が寄越してきたのは、一枚の皿と箸だった。
「ぇなにこれ、刺身? 生で大丈夫なの?」
 生姜と山葵が添えられた、脂身の殆どない真っ赤な肉を、写真を撮るのも忘れて見下ろす。
「猪は雑食でジストマがいるからダメだが、馬だって昔っから生で食ってるだろう。鹿だって同じだ」
「なに、そのジストマって」
 思わず声に怪訝な響きが混じる。何だか毒味役にされているような気がするのは、単なる被害妄想なのだろうか。
「ジストマってのは寄生虫だ。猪は沢蟹を食うからな。だが加熱すれば問題ない」
 そして意地悪く、まるで付け足すようにして、「最近は鹿刺しも、保健所あたりじゃダメだと言いだしてるがな。ここらじゃみんなピンピンしてるぜ」などと笑っている。
(寄生虫って…勘弁してよ…)
「猪の場合は、特に内臓が危ないなんて年寄り達は言ってるが、聞いた話じゃ南の方では酢を少し付けただけで生で食ってるらしいからな。なんなら試してみるといい。そこに沢山あるぜ? いい取材のネタになる」と冷蔵庫の方を顎でしゃくっている。
「あの魯山人も、半生のタニシや鱒からジストマがうつって、肝硬変で死んだそうだからな。美食家を自認してるなら、一度はいってみないとな?」
「…………」
「まあ、そういう訳だ。遠慮するな。食えばその分いい記事が書けるぜ。保証する」
 そう言って初めて男は、心の底から楽しそうにニッコリと笑った。
(くっそ…)
 やっぱりこいつはサディストだ。その笑みに、片意地の笑顔で応えようとした顔が半分引きつるのが分かってますます悔しい。悔し紛れに勢いのまま箸を持って、てらてらと光る赤身肉を一気に食ってやった。お陰で味なんて全然分からなかったが、まあ…なんだ、不味くはなかった、と思う。――あぁもう普通に旨いよ畜生!
 まったく悪趣味な男だ。





        TOP    書庫    <<   >>