「…ちょっ、なに…これっ、…キッツー…!」
 背中から肩、そして腰にかけて絶え間なく走る不快な痛みに、屈んだまま情けない声を上げる。が、穴はまだ30センチにも満たない深さだ。
「まだまだ、これからですよカカシさん!」
 頭上から降ってくる、イルカの元気一杯な声が恨めしい。
 最初、蔓から10センチほど離れた場所を、イルカが持ってきていた道具――長い棒の先に鍬状の鉄の刃がついたもの――を勢いよく突き入れるようにして崩しながら掘り進めていたが、その次から次へと止めどなく大量に出てくる土を自分が掻き出す段階になって初めて、「これはえらいことになったぞ」と思った。
 芋を直接掘るのではなく、芋が伸びていくすぐ脇の土を、一旦『人の上半身と腕が入る程度の深さにまで』掘ってから、壊れ物扱いらしい自然薯を、折らないよう一息でそーっと取り出すというのだ。
 自分の手は小さい方ではないにしろ、一回に掻き出せる量は決まっている。しかも掻き出せば掻き出すほど穴は深くなって腰は曲がっていき、その間地面に膝を突いた窮屈な姿勢をとり続けていなくてはいけない。
(ちょっ、たかが芋如きでこれって…あり得ないでしょ?!)
 しかもイルカはまだ全く疲れていないようで、隣の木から伸びてきていると思しき太い根っこや、次々出てくる大きな石ころも器用にその道具で切ったり避けたりしながらどんどん土を掻いていて、オレに片時も休みをくれない。
 それならばとイルカに「掘るのやってみたいから替わって」と、攻守(?)を交替して貰ったが、ものの10分と経たないうちに音を上げて、イルカに道具ごと差し戻していた。
 イルカはごく簡単そうにやっていたが、実はその道具自体に相当な重さがあり、ただ持っているだけでもじわじわと、そして確実に二の腕を侵食してくる。また次から次へと果てしなく出てくる木々の根っこは恐ろしく弾力があって固いし、石ころはもっと固くて、うっかり直撃してしまうとじいんと手が痺れるしで、とにかく埋まっているそれらを掻き出しやすく掘り起こしていく作業はとんでもない重労働の連続だ。
 しかも『すぐそばに埋まっている芋は決して傷付けてはいけない』という縛りがあるせいで、思い切って道具を振るえない。加えてイルカの土を掻き出す動作の早いこと早いこと。まるでしなやかな機械だ。それを見るにつけ、こっちは焦って道具を振るうものの、要領を得ずに待たせてばかりいて、ぜんぜん進まない。
 結局元のパートに戻って、イルカが穴を崩し、オレが土を掻き出すことになったが、その頃には穴の深さが80センチを越え、掘り出し係としてはより厳しい局面を迎えていて、覗き込んだその深さに改めて愕然とする。
「ねえ、芋、まだ取り出さないの?」
「だめですよ、折らないで取り出すからいいんです」
「えええぇ〜〜〜」
(別に、ちょっとくらい折れちゃってもいいんじゃ…?)
 片手で体を支えながら、地面に這いつくばるような格好をとり続けながら何度も思う。もう髪の中も土だらけのはずだ。だが次第にその全貌を現し始めた自然薯は、まるでオレ達に挑戦しているかのように、土をどけてもどけても地球の奥へ奥へと続いている。
「やった、こんなに長いの初めてかも!」
 しかもイルカはというと、ますます元気になってきて、芋に沿いながらどんどん深く掘り進んでいく。
(ああ〜もう〜)
 ついにヤケクソになって、穴の中に上半身を入れるような形になりながら土を掻き出した。たかが芋で、買ったばかりのトレーナーを台無しにするのもどうよと思いつつも、イルカが掘り続けている以上止められなくなっていた。


「じゃあ、そろそろ取り出しましょうか」
 掘り始めてからそろそろ一時間が経過しようかという頃。ようやく上がったイルカの声を聞くや否や、オレはものも言わず側の枯れ葉の上にすっ転がった。上半身が死んでいる。山から帰ったあと、脚力はジムである程度鍛えたものの、上半身は殆どノータッチだった。だってまさか、こんなことをするなんて誰も思わない。
(…あーくそー、まーたやられたー…)
 脇では穴掘り道具を放り出した男が、躊躇の欠片もなく大きな穴に上半身を突っ込んでいて、一部分だけその姿を覗かせている芋の全体を丁寧に手で掘り始めている。イルカも自分と同じくらいの身長だから、その作業は何をどうやったとしてもかなりキツイと思うのだが、恐ろしく窮屈な体勢を崩す気配は欠片もない。そう言えば、夕べ砥石を使っていた時もそうだった。何かに極端に集中している時のこの男は、どこか眩しいような感じで話しかけ難い。

「あはっ、やった、出ましたよ! カカシさん!」
 真っ黒な髪に、茶色い土を一杯に被った男が、今にも小躍りしそうな勢いで芋を掲げている。
(え…?)
 でもそれの何に一番驚いたかというと。
「ねえ、自然薯ってそんなに細いの?」
「はい? いやこれはかなり太い方だと思いますけど?」
 土の中に八割がた埋まっていた時は、一体どんなご立派なものなのかと、長芋的なものを想像していたが、実際掘り出されたそれは、ゴボウより一回り程度太いだけの代物だった。しかも先に行けば行くほど急速に細くなっていて、全体の感じは仙人が使う杖みたいだ。
「しかも、一番上からちゃんと切り取ってないし!」
 あろうことか、芋は最も太い一番地際の部分を15センチ程度残した状態で取り出されていた。
 あんなに苦労して掘ったのに。しかも深ければ深いほど辛くなってくるのに、たかが鉛筆程度の太さの芋如きに、こんな苦労をしたのかと思うと溜息が出る。
「いいんですよ。そうやってこの六本のひげ根と、少しばかりの芋を残して穴を埋め戻しておけば、また何年か後には大きく育った芋が掘れるんです。だから持って帰る分は出来るだけ折らないで、少しでも食べられる部分を確保したいんですよね」
(ぁー…)
「それに一度掘ったところは土が柔らかくなってるんで、次の時掘り出しやすいんですよ」
 よって山芋を掘る際は、地上部に長く伸びた蔓も切らず、邪魔になるひげ根も出来るだけ傷付けないようにして埋め戻すのだという。
(なるほど。とるにも、とり方があると)
 感謝としたたかさを忘れない者だけが、この山の高みにとどまっていられる。


「…じゃ、大体の掘り方は分かったと思うんで、今度は別々に掘りましょうか」
 瞬間、勢いよく傾けていたペットボトルの中身を吹いていた。しかも喉の奥の変なところに入ってしまい、激しくむせてしまう。
(…ッ、なによ別々って?!)
 おかず掘りはもう終わったんじゃないの?!
「あはは、やだなーカカシさん、大袈裟ですよ〜」
 イルカはケラケラと呑気に笑っているが、こっちはそれどころじゃない。幾ら芋が体にいいと言ったって、掘ることでそれ以上に消耗してたら掘る意味なくない?! 対費用効果大幅マイナスよ?!
「その程度の芋なんて、あっという間に食べ終わっちゃいますよ。あと2、3本は掘らないと」
「…………」
 そう言われると、押しかけた者としては分が悪い。渋々ペットボトルのフタを閉めて、のっそりと立ち上がった。
「じゃあ、この場所が見える範囲で、付近を探してみて下さい。蔓は――こんな感じで」
「分かった。細長いハート型をした黄色い葉っぱで、なるべく蔓の長いやつね」
 だが、はいと一つ頷いて自分とは反対側に歩き出した背中に、ふとした出来心から声を掛けた。
「ねえ」
「あ、はい?」
「競争しよ」
「は?」
「芋掘り競争。どっちがより長い芋を早く掘れるか」
 言ってはみたものの、十中八九は軽く笑って流すだけだろうなと思っていた。が、イルカの瞳がぱあっと輝いたのを見るや、ダメ押しとばかりに「やっぱほら、生産性向上のためには、分かれて競い合った方がいいだろうし〜?」と付け加える。
「分かりました、負けませんよ!」と白い歯を覗かせた男に、すかさず「負けた方が、何でも一つ希望を聞くってことで」と提案すると「いいですよ。じゃあ時間は正午までで。それとカカシさんはこれ、使って下さい」と、自信ありげに持っていた芋掘り道具を差し出してきた。
 そして「俺は自分で作りますから」と言うや、落ちていた大きな枝を拾い上げて、剣鉈で素早く払っている。あれよあれよという間に、先が鉛筆のように尖った棒と、平らな鑿のようになった棒が出来上がって、見るからに軽くて使いやすそうな道具の出現に、内心悔しいやら焦るやらだ。
「ん、じゃ始め〜」
 気の抜けた号令をかけて歩きだしたが、もう両の目は真剣にあの形の葉を探していた。イルカも少し離れた所で枯れ葉を踏み締めながらあちこちを素早く見回している。高く括られた黒髪が、白い陽光の中で軽やかに跳ねている。
「あった! …けどこれは小さいなー」
 背後では早くも元気な声が上がりだしていて焦る。イルカは流石に目がいい。自分も黄色いハートの葉を見本として一枚持ってはいるが、様々な背丈の落葉樹やまだ枯れていない下草などが縦横に入り乱れていて、視線はあちらこちらと彷徨うばかりで一向に定まらない。
「カカシさん、見つけたんで掘りますよ〜!」
 灌木の向こうから、弾むような明るい声が響いてくる。
「んーー、ゆっくりお願い〜」
 とその瞬間ふと、『もしかして、斜面に生えてるヤツの方が、掘りやすいんじゃ…?』とピンときていた。そうだ、掘らなくてはいけない面積も平地より狭くて済むはずだし、掘った土をどかすのも格段に楽だろう。慌てて傾斜の強い方へと下りていく。
「――あった…!」
 駆け寄って、手にしていた見本と比べる。うん、おんなじだ。蔓もさっきのより長くて太いくらいだし、これなら絶対いける!
(たかが芋掘り如きに、なにを熱くなってるんだか…)と苦笑しながらも、「せーの!」と振りかぶったオレは、勢いよく掘削道具を地面に突き立てた。



「――あ、こんな所にいたんですか」
「急に静かになったから、気になって」とイルカが斜面を下りてきた。その服は、さっきにも増して泥だらけだ。
「だって斜面地の方が楽に掘れるでしょ」
 額に貼り付く髪を、袖の中程で拭いながら答える。うらうらとした陽光が背中を温めだしていて、さっきまで白かったはずの息はもうどこにも見えない。
「うわ、カカシさん?!」
 その男が近付いてくるなり、如何にも意外そうな驚きの声を上げている。そりゃそうだろう、こんなに長くて立派な蔓、そうそうない。
「あのこれ、自然薯の蔓じゃないですよ?」
「なっ…うそっ?!」
「これ、トコロっていう、自然薯の偽物です。芋は付いてますけど、固くて猪も食べません」
「――――…」
 一瞬、本気でこのまま斜面を転がっていきたいような気持ちになる。
「トコロの蔓は左巻き、自然薯は右巻きなんです。それにトコロは土を掘っても栄養を吸収するための太いひげ根がないですし、ほら、こういうムカゴも付かないんですよ」
 手に提げていた布袋から、丸くて黒っぽい豆のようなものを沢山取り出して見せてくる。
「…なに…それ…」
 だがこっちは、だるすぎて聞くのも億劫だ。偽物が横行しているならしていると言って欲しかった。ああいや、オレの観察力が足りなかっただけなのだが…。
「ムカゴは自然薯が作る種みたいなものですけど、これも結構旨いんですよ。塩茹ですると、幾つでもいけます」
 どうやらこの男、ムカゴを収穫しながらオレを探していたらしい。
(芋の種のついでに、ね…)
「あ、でも斜面が掘りやすいって、よく気付かれましたね、まさにその通りなんですよ。今下りてくる時に斜面で良さそうな蔓見つけたんで、それ、いってみませんか?」
「そいつで試合再開ってことで」とにっこり笑われて、(あぁそうだ、この男意外としつこいんだった)と思い出していた。
 もし彼が勝った場合、果たして何を要求されるんだろうと思うと、その場で項垂れ続ける訳にもいかず、とぼとぼと男の後ろに続いた。





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