「――っ、はあっ…!」
 息が上がる。肩と二の腕がガタガタで、腰が痛くて堪らない。見てはいないが、革手袋の下はマメだらけだろう。
 イルカが選んでくれた蔓は、確かになかなかの上物だった。腹が立つことに、掘っても掘っても終わりが見えてこない。
 自分は彼との競争に勝ちたいのか、それとも一刻も早く終わりたいのか。もうワケが分からない。迷いや不安を振り切るようにして、ただひたすら土を崩し、すくっては掻き出し続ける穴掘りマシンと化す。
 下ばかり向いているせいで、頭の中から流れてきた汗が目に入る。トレーナーを脱いでその辺に放り投げ、また這いつくばる。無数に張り出している根っこが跳ねるたび、土が顔に跳ね飛び、口の中にまで飛び込んできて、慌ててぺっぺと吐き出す。あぁもうっ、穴のあちこちから出てきて這いずってるそこの幼虫らしきヤツ、あっちいけ!

 こうでもしないと、なかなか自分のやる気がわきそうになかったから提案してみただけなのだが、蓋を開けてみれば精神的にはまだしも、肉体的には最も過酷な棘の道を選択してしまっていた。考えるまでもなく、一人で二役をしなくてはいけないということは、休む時間が全くないということなのだ。
(くっ…そー)
 ちらとイルカの方を見やると、枯れ草の向こうに今にも頭から穴に転がり落ちそうなくらい窮屈な姿勢を保ったまま、ひたすらに土を掻き出している姿が見えている。まるで犬だ。骨を探して延々地面を掘る犬。オレが手を止めてまじまじ見ているのにも、全く気付いていない。
 ふと(無心というのは、ああいう状態を言うんだろうな)などと思う。そう言えばイルカは、他人の目の前でもよくああいう顔をしている。
 悔しいけれど、何だかそのことが羨ましい、ような…。
(――畜生、負けるか!)
 こうなったら犬でも何でもなってやる。
(あぁ犬で何が悪い! オレは腹が減ってんの!)
 頭の中でわんわん喚きながら、地球を掘り続けた。



  * * *



(――っ、…終わっ、た…!)
 イルカに「穴は埋め戻しておいて下さいね、落とし穴になっちゃいますから」と言われて、最大限眉を顰めながらのろのろと起き上がる。今にも体がバラバラになりそうだ。オレの右腕は、まだ体に付いているだろうか。分からない。

 ほんの気紛れから始まった「地獄の芋掘り対決」は、意外な結末を迎えていた。
 なんと、オレが勝ってしまったのだ。先に掘り始めたイルカの方が当然早く掘り進んでいたし、それなりに長さもあったにも関わらず、最後の最後で芋を取り出す段階になって、彼はうっかり芋を折ってしまっていた。
 でもその後もイルカは散々悔しがりながらも全く諦めることなく、果敢にもすぐさま二本目の掘り上げにチャレンジしだした――ものの、俄然やる気を出したオレが慎重に完品を掘り出したところで、タイムリミットの正午がきていた。
 そう、昔からオレは、ここぞという時には何事も必ずミスなくキメられる、敵にとってはある意味イヤなタイプなのだ。
 でも枯れ葉の上にぐったりと伏したまま身動き一つしない男などより、立ったまま額の汗を拭いながら「ああーー負けたぁ〜!」と明るくケラケラ笑っているイルカの方が、余程勝者のようだった。


 一通り穴を埋め戻した所で、最初に芋を掘ったそこそこなだらかな場所に戻って昼食にする。
 濡らしたタオルで顔を拭った際、その汚れ具合にギョッとしたが、それより腹の空き具合が半端でない。ここ何年もこんなに腹が減ったと感じたことなどなかった。全身運動である芋掘りは、マシントレーニングなどより余程ハードで効果があるらしい。それともマシントレーニングが役に立たなすぎなのだろうか?
 分厚い枯れ葉の上に直接腰を下ろして、背負ってきた荷物の中からあのずっしりと重い弁当箱を取り出していると、イルカが「メンパを開けたら、最初にフタの裏を見て下さいね」などと言っている。
「ん? どゆこと?」
 何が起こるのかと期待して開けて見たが、そこには当然のように何もなかった。何の塗りも施していない生の木肌のままだから、ただ木目が真っ直ぐ走っているだけだ。そもそも飯を突っ込んで固めただけなのだから、フタになど何も付きようがないだろう。飯に箸を突き刺して強引に持ち上げても、メンパ形の白飯がそのままごっそり付いてくるだけだ。
「昼にフタを開けた時にね、裏が乾いていたらその日は晴れ。水滴が付いていたら天気が崩れるんです」
「えぇーーー、なんかそれ、予測っていうより占いっぽくない〜?」
『弁当のフタ占い〜』と茶化すと「意外と当たるんですよ!」と口を尖らせている。
(しかも顔、泥だらけよ?)
 その様子はまるで大きな子供だ。可笑しくて仕方ないけれど、面白いほど似合ってるからこのまま言わないでおく。

「ちょっ…?! ねぇ、いつもこんな餅みたいな飯食べてるの?」
 その後、頂きます、と言った直後には半ば腹立ち紛れの声を上げていた。
 ただでさえ握力が無くなっていて箸が上手く使えないというのに、余りに固すぎてなかなか取り崩せない。腹が減っているせいで、なおさら不満倍増だ。
「あはっ、米だけは幾らでもありますから。とにかく腹を一杯にするにはこいつが一番手っ取り早いんですよ」
 言い終わるや、でかい口に、それ以上にでかい白飯の塊を次々押し込んでいる男の様子に、呆気にとられて見入ってしまう。
「アスマさんなんてこの倍の大きさのメンパ使ってますけど、フタ側の方にまで同じ量の飯詰め込んで持っていってますよ」
 そう言えば、前回アスマの荷物を見せて貰った時、特大メンパが二つ入っていたが、要するにあの熊はたった二日間でこれの八倍量を食っていたらしい。
「おかずとかは? なし?」
「飯の中に挟むんです。漬け物とか」
「あ…? ホントだ、出てきた」
 挟むというよりは、埋め込むと言った方が余程しっくりくるが、色々な味の漬け物が食べ進むにつれて次々と出てくるのを、腹の減りに任せてどんどん制覇していく。ただの弁当のはずが、まるで遺跡発掘ゲームだ。
「折角だから、芋も切ってみましょうか」
 イルカが先程折ってしまった芋の泥を、ペットボトルの水ですすいで落とし、皮も剥かずに剣鉈で短冊にしている。皮を剥くと、たたでさえ少ない可食部がますます少なくなってしまうから、ということらしい。
「皮はすごく薄いから、味には影響しませんよ。――はい、どうぞ」
 メンパのフタ側に乗せられた、醤油を垂らしただけの真っ白な芋を、(まぁ…でも話の種にはなるか…)と一切れだけ口にする。
「――うそぉ?!」
「へへ〜、でしょう?」
 要するに自然薯の刺身なわけだが、長芋よりきめが細かくてコクがあり、歯触りも良くて、冗談でなく幾らでも食べられそうだった。何で少しくらい無理をしてでもビールを買ってこなかったのかと、一口食べるたびに歯噛みしてしまう。本気で悔しい。
 近くの沢に幾らでも生えているという、天然のワサビを目の前ですり下ろして芋に添えた「ワサビ醤油」もいけた。立ち上ってくる強力な香気と辛さに一瞬怯むが、食べつけるとむしろそっちの方が好きなくらいだった。
 折れた分などあっという間に無くなってしまい、「ね、もうちょっとだけ、食べない?」という遠慮の欠片もない食客の図々しいリクエストに気前よく応じているうち、気付けば最初に掘り上げた分を完食してしまっていた。残して持ち帰るのが面倒だなどと思っていた飯も、元は竈で炊いた、冷めても固めてもうまいやつだったのだから、崩すことさえ出来ればするすると入っていって、そんな心配も無用になっている。きっと握り飯なんぞにしていたら、全然足りないと騒いだ挙げ句に、帰る頃には燃料切れで動けなくなっていただろう。
「あはっ、体をいじめた後の飯は美味いでしょう?」
 泥だらけの汚れた顔に、真っ白な飯粒が幾つも付いている。なのになぜだろう。それを清々しいなどと感じてしまった自分に戸惑う。
「ぇ? …ん、まぁ…」
 俯いて、固い固い飯を所在なくつついた。


「――そういや、落とし穴で思い出したけど…」
 すっかり空になった弁当箱を、リュックに戻しながら訊ねる。
 穴を掘っていた時には夢中すぎて気付かなかったが、木々の間をきれいな声の小鳥が忙しなく飛び回っている。
「前に、イビキさんの仕掛け罠に掛かって怪我したのって、イルカ?」
「は? 仕掛け罠…? ――ああそれ、ゲンマさんですよ」
「ぇ?!」
 意外な男の名前が出てきて面食らう。
「何年か前の秋に、やっぱりこんな感じで一人で自然薯掘りに出掛けたみたいなんですけど、仕掛けに気付かなかったみたいです。足傷めちゃって、炭焼き小屋に行けないって嘆いてました」
「そう、だったんだ…」
 こっちはてっきり食い意地の張ってる誰かさんだとばかり思ってたから、ひとつからかってやろうと思ってたのだけど、まさかあの男だったとは。
(ま、どうせ空ばっか見て歩いてたんだろうけど)
 ふんと内側で笑ったが、すぐに(あぁいや、違うな、空じゃない)と思い直す。空じゃない。
「ね、じゃあこれからさ、もう一回だけ掘っていい?」
 暫く考えて、顔を上げた。いま両の腕を上げたら、肩から背中にかけてバリバリといい音を奏でそうだが、帰っても風呂に入って寝るだけで仕事をする訳でもない。何とかなるだろう。
「え、そりゃあいいですけど。カカシさん大丈夫です?」
「だいじょーぶ。でその掘ったを芋さ、三代目の所に預けて帰るから、あの二人が山から下りてきたら『こないだ炭焼き小屋に泊まらせて貰った畑カカシからのお礼』ってことで渡してくれるかな?」
「ぁ…ええはい! 分かりました。必ずお渡しします!」
 実をいうと、この提案にはある布石が巧妙にセットされていたのだが、もちろんイルカはそんなことに気付くはずもなく。
「じゃあ良さそうな蔓、探してきますね!」と元気に立ち上がった。


 怖ろしく目のいいイルカのお陰で、一個所に三本もの芋が密集して育っている理想の斜面ポイントを探し当てたオレ達は、再び二人一組で掘削作業に取りかかった。
 昼にたらふく食ったせいか、或いは自然薯の美味さにすっかり味をしめたせいか、それとも単に経験値が上がっただけなのか。
 とにかく一度は全身がバラバラになるとまで思ったはずが、午後からのその作業は随分と楽だった。まるで餅つきで両者の息がぴったり合った時みたいに、どんどんと穴は深くなっていき、特に何の指示も交わさないまま、いともあっさりと三本の芋は掘り出されていた。これにはイルカも「今のは呼吸が合ってましたね!」と感嘆の声を上げたほどだ。
(ま、ホラ)
 オレって学習能力高いから〜?
 時計を見ると、幾ら山の日暮れは早いと言っても、まだまだ相当に時間がある。
「なら、この芋を三代目の所に預けに行きますか?」というイルカの提案に、有り難く乗せて貰うことにした。


 途中イルカの家に寄って荷物を置き、身軽になった二人は、ねじくれた土だらけの芋を手に手に意気揚々と山を下りて、三代目の家の障子戸を叩いた。
 泥だらけのままの格好で入っていき、一本は猿飛家に、あとの二本をあの二人にと言うと、翁は大層喜んで「承知した」と頷いた。聞けばアスマはあれだけ山に入っているのに芋掘りだけは面倒臭がって、一度も掘ってきたことがないという。だが翁自身は好物なのだろう。こんなに有り難い事はないと、傍目にもうきうきしている。
 これまであからさまに余所者扱いだったこちらとしても、ここにきてようやく多少なりとも認めて貰えた気がして、悪い気はしなかった。
 そして翁が「代わりに酒でも持っていくかの?」と言った言葉に、既に固まっていたはずの意志をぐらつかされされそうになりながらも、ぐっと腹に力を入れて別案を切り出す。この千載一遇のチャンスを逃してはいけない。
「ああいえ三代目、その代わりと言ってはなんですが……あの村の一番奥にいる方を、紹介して下さいませんか?」
 そう、オレも一応マスコミの端くれだ。一度気になったことを、最後まで追いかけ回して調べ尽くそうとするのは、もはや職業病というより本能に近い。勿論やりすぎると痛い目に遭うという事も分かってはいるけれど、本能だからやめられない。やめたくない。
 隣でイルカが小さく息を呑んだのが、気配で分かる。





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