ガタガタと不規則に車に揺られること十数分。全く何も無かったはずの真っ平らな地平に、ぽつりと小さな白っぽい塊のようなものが見え始め、それが次第に大きく、はっきりと見えるようになってくる。建物だ。しかも幾つもある。
 それにしてもこの土地の者達の方向感覚とは、一体どうなっているのだろう? イルカ達もそうだったが、一切何の目印も無いように見える場所で、ナビもないままどのようにして遙かな目的地を目指しているのだろうか?
 そう率直にたずねると、オビトは真っ直ぐ前を向き、ハンドルを握ったまま、「そういうことなら安心しろ。お前だってやれてるさ」と口端を上げて見せた。

 てっきり目的地は、オビト達の所よりだいぶ大きなその集落なのだとばかり思っていた。しかし車は、あっさりとその脇を走り過ぎていく。
「俺はテント村だと、言ったはずだぜ」
「ぁ? …あぁ、そうだったな」
 村から微妙に距離を置いた、周囲には干からびかけた数本の木しかない場所に、その目的地はぽつりと1張りだけあった。中から見ていたのだろう、もうはや中から子供が一人、飛び出してきている。彼はオビトの車と知って、出てきているのだという。
「ここには、よく来てるのか?」
「いや、船から下りた時くらいだ」
 それでも数ヶ月に一度、船から下りるたびに立ち寄っているというのなら、随分と心を寄せているのではないだろうか、と漠然と巡らす。親しい者でもいるのかもしれない。
「ここも以前は村といってもいいくらい、もっとテントがあったんだがな」
 今じゃこの1張りだけになっちまった、と呟くように言いながら車を減速させている男の言葉の意味を、黙ったまま慎重になぞってみる。その口ぶりはどう考えても「戦争難民になる者が少なくなってきて良かった」という類のものではない。恐らくここの暮らしは、オビトのところより遙かに過酷なのだろう。
(それでもお前は、臆せず全てを撮りきるか?)
 自問したと同時に、テントの側に車が停車する。
(あぁ、撮るさ。オレはそのために来たんだ)
 カメラとカメラバックを肩に掛けると、ドアを開けた男に続いた。


「よお、元気にしてたか」
 車を降りたオビトが両手を挙げると、ボロボロの布を纏った少年が何事か声高に喋りながら駆け寄ってきた。が、当然のことながら全く聞き取れない。この国は多民族国家で、言語は30以上もあるという。公用語は2言語に限定されているらしいが、どこか別の土地から逃れてきたのであろう少年の言葉は、オビトや村人の響きともまた少し違っていた。
 痩せていてはっきりとしないが、年の頃は10歳前後といったところか。顔はよく陽に焼け、あちこち酷く汚れている。けれど好奇心からか大きく見張られた艶やかな瞳の輝きが、とても印象的な少年だ。名前を聞くと、ナルトだという。
「子供は、ナルト一人なのか? 友達や、兄弟は?」
 オビトの通訳を介して訊ねると、不思議そうな顔で二人のやりとりを眺めていた少年が、「サスケェ!!」と大きな声を張り上げた。


「ふ、『サスケのヤツ、ビビってやがる』だとよ」
 すっかり待ちくたびれた様子の少年が、つまらなそうに口をへの字に曲げているのを、オビトが訳す。少年は戦争難民というこの過酷な状況においても、驚くほど人懐っこかった。それがただ単に幼さからきているものなのか、持って生まれたものなのかまではわからないが、まるで人を疑うことなど知らないかのようだ。
「まぁそう言うな。急に来たんだから、怪しまれて当然だ。ナルト、オレを中のみんなに紹介してくれるか?」
 オビトの訳を聞くや、少年は満面の笑みで何度も大きく頷いている。どうやら誇らしく思っているらしい。何となくではあるものの、オビトがここに通う理由が分かった気がした。


「――こんにちは」
 呼んでも出てくる気配のない少年に引き寄せられるようにして、持ち上げたテントの天幕を三人でくぐる。と、8畳ほどの白っぽいぼろぎれで出来た空間に、思った以上に多くの人がひしめきあっていて一瞬足が止まっていた。数えると13人もいる。ナルトを入れれば14人もの人間が、文字通り身を寄せ合いながら暮らしているらしい。8割がたが30代以下といった感じだが、年老いた家族は途中で生き別れたり、ここに来てから亡くなったりして、残った者達の半数は誰とも血の繋がりがないという。
 テント内は風の通りがいいにもかかわらず、常に腐臭が漂っている。今時期これでは、乾期になって気温が上がりはじめた途端、衛生状態が一段と悪化することは容易に予想できた。水はどうしているのかと聞くと、「その辺の水たまりの水を汲んできて湧かして飲んでいる」とごく当たり前のように返してきて、「そうか」としか返せない。
 テントの中には、誰がどう使っているのかわからないマットが1つと、鉄鍋が1つ。それ以外は、どれがゴミでどれが食料なのか、全く区別がつかない。
(いや…ゴミを食べて生きているのか)
 だから、できるだけ人口の多い村の外れにテントを構えている。
 賑やかな都市部に比べ、オビト達の住んでいる高原地帯の者達の暮らしが厳しいものであることは、着いた日に見て取れていた。けれどここでテント暮らしをしている者達はその何倍も貧しい、まさに今日生きるか死ぬかの瀬戸際の状況なのだ。ここに比べたら、オビト達は遙かに人間らしい暮らしをしている。
 14人の中には、爆撃で片足を無くしている者もいた。話を聞くと、明らかな誤爆だったという。確かに全犠牲者の4人に1人は無抵抗の村人が占めているという情報は度々見聞きしていたが、「反政府軍が潜んでいるようだ」という不確かな情報に基づいて、多国籍軍がその村を攻撃してくるのだと聞いて、それもさもありなんと思えていた。しかもオビトによると、そこで生死を彷徨うような大怪我を負いながら奇跡的に生き残った者に対しても、月600円が支給されているだけなのだという。
 ここに来る道すがらオビトに話を聞いたが、政府機関の建物内部には、どこも自爆テロを防ぐための防御マットが内壁に沿って延々敷き詰められているらしい。
「随分詳しいな」
「はっ、こっちじゃ誰でも知ってる」
(そう? ――誰でも……ねぇ?)


 サスケと呼ばれていた少年は、最初いかにも胡散臭いものを見るような目でこちらを見ていたが、オビトが手に持っていた包みから数冊の本を取り出すと、手にするや否や夢中になって読み耽りはじめた。聞けば彼らは今、文字の読み書きを学んでいる最中なのだという。
「お前が先生か」
「そんなもんに俺がなれっかよ。教科書や筆記用具を持ってきてやってるだけだ」
 言いながら、テント内で一番年長者と思しき者達に対しては、小麦粉の入った大袋を二つ手渡している。それは先日、彼が市街地の市場で熱心な交渉の末に買い求めていたものだった。てっきり家族への手土産なのだとばかり思っていたが、ここには最初から来るつもりでいたらしい。
 そんな彼曰く、「以前ここがもっと大きなテント村を形成していた頃は、どこからともなく反政府軍と思しき男達がやってきて、食料支援や文字の読み書きなどを教えていた時期もあった」のだという。その際、当時からこのテントに居たサスケについてはだいぶ文字を覚えたらしく、今では2つの公用語をマスターするほどになっているらしい。
「へぇ。反政府軍も武力にもの言わせるしか能が無いのかと思ったら、意外とちゃんとしてるじゃない」
「バカ、なに寝とぼけたこと言ってんだ。洗脳に決まってるだろ」
「洗脳…?」
「奴らの目的は、反政府軍の役に立つ“手足の補充”さ。読み書きを教えて信頼を得られれば擦り込みも進むし、格段に利用もしやすくなる」
 ナルトやサスケは、そういった連中に少年兵としての資質を見出されて、本人も知らないうちに自爆テロの訓練をさせられていたのだという。
「なっ…、テロって…こんな小さな子に、何が出来るっていうんだ」
 まだ文字が読めないらしく、本の挿絵を探しては瞳を輝かせている金髪の少年を見やる。
「簡単さ。ナルトは服の下に爆薬を大量に巻き付けられて、『神の名を唱えながらこのボタンを押すと、胸から赤い花が咲いて神に会える』と言われて市場の人混みで押すように指示されたんだと」
「な…」
 聞いた途端、大きな鉛の塊でも飲んだような胸の悪さを覚えた。続きが出てこない。成人男性だと多国籍軍に警戒され、計画が発覚しやすくなっているからだろうが、それにしても何も知らないこんな小さな子供を、自爆テロの一員として利用することに何の躊躇もないとは。
 この国が陥っている、泥沼の深さを見た気がした。
「じゃあナルト、お前はどうして助かったんだ?」
 敢えてオビトには問わず、少年に向かって訊ねた。なぜかそうしたいような気分だ。
「その時、オビトの兄ちゃんがやってきて、『そのボタンは押すな、一緒に逃げるぞ、走れ!』って」
 訳したあとに続けたオビト曰く、「その日たまたまそこを通りかかったことで、不審なグループに気付いて難を逃れた」らしい。
 2年前、もしも彼がそこで幼い少年の姿を見留めなかったら。
 そしてその様子を不審に思い、呼び止めていなかったら。
「こうしてカカシと会うこともなかっただろうな」と言いながら、オビトは少年の頭をくしゃっと混ぜた。
「ふん、コイツはバカだからな。何でも信じる」
 脇でやりとりを聞いていたサスケが、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。すると、すぐさまムキになったナルトと睨み合いになる。その様子は、どこからどう見ても兄弟喧嘩のそれだ。
 オビトがこの難民テントにナルトを連れてきたのには、理由があったという。年の近いサスケがいたからだ。ただでさえ食料に乏しいテントに見ず知らずの新入りが増えたということで、当時ナルトの肩身はかなり狭かったらしいが、今はオビトの定期的な差し入れで丸く収まっているらしい。
「オビト」
「なんだ」
「お前の村が、余所者を受け入れる余裕があるほど豊かじゃないってことはわかってる。けど、もし今回の小麦プロジェクトが、軌道に乗ったら…」
「ああ、わかってる。わかってるって」
 オビトは身振りでオレの言葉を軽く遮りながら、「ここにいる者達は小麦を育てるための貴重な担い手として、いずれは村への移住を勧めるつもりだ」と言った。



   * * *



「カカシ、もうお前個人の用は済んだんだろう? そろそろ帰り支度を始めた方がいいぞ」
「ぁ? あぁ…?」

「おいカカシ、いつまでここに居座る気だ。皆の祈りの時間の邪魔になるんだが?」

「カカシ、まだそんなことやってるのか。遅いぞ、もっと計画を前倒して進めることはできないのか」
「…………」

 難民キャンプに行った翌日。
 今朝からオビトが手の平を返したように急に態度を硬化させはじめている。今のところそれには気付いていないふりをして、のらりくらりと写真を撮ったりしているが、彼の言葉が単なるその時の気分などではないことは明白だった。心当たりなら、ないこともない。いやある。空港から全員ターバンで顔は隠してきていたものの、最近では多国籍軍が民族衣装を纏った者を警戒する動きがあることから、ターバン姿自体が減ってきていて、今思えばかえってその時悪目立ちした可能性が無きにしもあらずだった。
 そうでなくとも、この地で外国人が何かしらの活動していると知られれば、その村が丸ごと標的にならないとも言いきれない。彼はそのことを警戒しているのではないだろうか。
 だがそれについてなら、自分はある程度確証のようなものを持っていた。その目算がなかったら、ここに来ていないだろう。
 外国人が自国の許可を得て取材をしているということは、多国籍軍にもその居場所は伝えられているということだ。よって反政府軍の連中も、そう簡単には手出しできない。
 それが彼ら反政府軍に対するあからさまな挑発行為であり、かえって格好のターゲットになっているのだとしても、この手のプロジェクトは誰かが最初に道を切り開かなくては何も始まらない。
 幸いオレには、帰りを待つ家族もない。しかも生きている限りは貴重な取材も出来る。ならばオレは、喜んでリスクの方を取る。

 それに武装勢力は基本、外国からの搾取を徹底排除するために動き、自国の利益になることには目を瞑る傾向にある。ならば日本国側には殆ど何の利益も生じないと誰の目にもわかるであろうこのプロジェクトは、標的になる確率も低いだろう。いずれいつかは人質にして身代金を要求するつもりとしても、その前に畑作の技術と希少な種を獲得しておいたほうがより益がある。恐らく連中はそう考えるのではないだろうか。
 他国…特に欧米各国が行う援助の中には、「支援物資を与えたらそれまで」で、その後のことには一切関知しないものや、「その先の植民地化や資源開発ビジネス」を期待していることなどが透けて見えてしまっているものがとても多い。その点、このプロジェクトにはそういった打算や、やりっ放しといったものがない。疲弊しきった国を援助するということは、本来そこまでやって初めて意味を成すものではないだろうか。
 けれど、豊かさだけを追い求めている周辺国や先進国の目には、そうは映らないらしい。
(むしろこの国とは果てしなく距離が離れているお陰で、その辺にまで気が回ったのかもね?)
 侵略なんて言葉が思いつきもしないほど遙か遠くの島国だからこそ、正しくやれることもある。





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