色々ありがとうございました。お元気で。また来ます」
 言いながら村人達と握手をした途端、ふと既視感のようなものがあった。
(そうか)
 あの小さな島国の山村とこの大陸の荒野は、何もかもが異なり、遠く隔たっているようでいて、自分の中ではすぐ隣りにあるらしい。

 結局、当初から予定していた通りの日程で、村を後にする日が来ていた。他の同行者達は、自身に割り振られていた作業を全てこなし、オレはその間、取材の一環と称しては難民キャンプへ毎日のように赴いて、ナルトやサスケ達と交流を持った。
 当初偶像崇拝を嫌う民族と聞いていたことから、写真撮影には気を使うのではと思っていたが逆だった。男は大人も子供も皆カメラを見るや強い興味を示し、口々に「俺達を撮れ」という。そしてその強い輝きの瞳で、瞬きもせずにじっとレンズを見つめてくる。
 キャンプに行って、最終的に何に一番興味を覚え、惹き付けられたかというと、彼ら少年達の驚くほど活き活きとした瞳だった。明日食べるものが得られるかも、生きているかさえもわからない、我々から見ればどん底としか思えない貧しい暮らしの中にあって、あの強い輝きは一体どこからくるのだろう。そして、世界でもトップクラスの経済大国であり先進国を標榜している我々の国で、彼らのような瞳をしている者はどれほどの数いるだろうか。
 撮りながら、(ひょっとすると、イルカとなら何か通じ合うものがあるかもしれないな)などと思う。
 三日間、無垢な瞳の少年達は、少々役不足感が否めず、言葉すら通じない異国の風貌の男にも何ら臆することなく、子供らしい真っ直ぐな好奇心でもって迎えてくれた。

 その間にもオビトの内側で日増しに葛藤が大きくなっていることは、傍目にもはっきりわかるようになっていた。当然だろう。もしも村人に何かあれば、彼が真っ先に責任を問われる。
 でもだからこそ、我々も半端な状態では帰りたくなかった。麦がきちんと芽吹き、無事良質な小麦粉が得られるまでは、村人からの信用は得られないのだ。しかもケシより高値で売れるようになるには、今後耐病性や収量増の他にも食味を高めたりするなど、更なる品種改良も必要になってくる。この先何年もかかるであろうプロジェクトのスタート……つまり今が肝心なことは、誰も疑いようのない事実だ。
(やれるだけのことはやった)
 後はひとまず、この大地と、ここに暮らす者達に託す。



   * * *



「――カカシお前、そんな考えで本当に大丈夫だと思ってるのか」
 車が小さな村を離れて二時間以上も経った頃。
 それまでむっつりと押し黙っていたオビトが、唐突に口を開いた。後部座席に座っている同行者達は、最初のうちこそ今後の予定や展望を口々に語り合っていたが、ここ数日の疲れからすっかり眠り込んでしまっている。
「なに、大丈夫かって」
 あれ程何か言いたげな様子で苛立っていた男だ。きっと帰るまでの間には何か言いだすだろうとは思っていたが、ようやくかと思いながら返事をする。
「とぼけるな。この計画をマスコミに大々的に公表して、両軍のやり方を非難するようなことを書いたら、下手するとどっちからも狙われる可能性があるぞ」
 前を向いたままの彼が言っているのは、もちろん例の超大国と武装勢力の双方ということだろう。どちらの恐ろしさも、彼は骨身に染みて知っている。その彼が言わんとしているのは、この地で『余所者が貧しい民を豊かにすること』の危うさなのだろう。この世にはそういったことを快く思わず、都合が悪い者達も少なからずいる。
 でも現地に生きる者達だからこそ、身動きがとれなくなっているということもあるのではないだろうか。身軽さという点では、我々はかなりいいセンをいっている。
(はずだ)
「だーいじょーぶ!」
 わざと大袈裟な身振りで答えた。一寸先が見えないと言われる経済…つまりは人の動きの、先の先まで読んで分析して記事にしていたのだ。それよりは動きの遅い連中の考えそうなことが、読めないわけがない。
 そんなこともあろうかと、一旦帰国した際には都内にある国際的な通信社にも足を運んでいた。
 もちろんそこに所属するためではない。あくまでフリーの立場で行きたいのだと話して、紹介して貰ったベテランの戦場カメラマンや、現地の仲介経験者達に幾度となく話を聞いて回っていた。
 お陰で戦地における取材のセオリーから暗黙のルール、果ては偽造ビザの作り方から物資の効率的な盗み方なんてものに至るまでほぼ一通り聞いたが、日本の自衛隊の殆どはとうの昔に戦場を後にしてしまっている。よってこの数日間、自分が撮った現地の映像を衛星電話を使って見せながら交渉してみたものの、買い上げてくれる放送局は現れていない。やはりもっと別の切り口で、インパクトと内容のあるものでないと厳しいのだろう。
 プロジェクトの資金集めは、当初の見通しほど簡単ではない。が、全く無理な話でもない。

「まっ、治安については多分大丈夫でしょ」
「多分だと? いい加減な!」
 だがオビトは、いよいよ憤慨した様子でハンドルを握りしめている。滞在中長老らから聞いたが、この半世紀で村は両の手足では足りない数の略奪や爆撃を受けているとのことだった。
「落ち着け。決してお前が思うような、いい加減な気持ちで言ってるんじゃない。――それにオレ達には、あんたら村人がついてる」
 他村の貧しい民達にもこの貴重な経験と種を広め、伝えていくためには、何より彼ら現地の若い力が大切になってくる。
「バカ、武器を買う金もない村人なんて、奴らの前で何の役に立つっていうんだ。ただ虫けらみたいに殺されるだけなんだぞ。連中には、俺達の理論なんて通じないんだ。お前はこの国や世界のやり口をまだ何もわかっちゃいない」
「あぁ…そうだな。確かに分かってない所もあるだろう。でも心配するな。例えオレが殺されたとしても、――お前がいるだろう?」
「ぇ…」
 それに、だ。例え運良く生き長らえたとしても、自分はこの土地に永住するわけじゃない。今後本格的に入れ替わり立ち替わりやってくるであろう農業指導員や研究者達も、より多くの実を付け、病気に強い品種を作出して村人達の自立を見届けたなら、いつか必ず来なくなる日が来るのだ。この土地の行く末は、いずれはそこに住む者達に全面的に委ねられ、託される。
「それにオビト、もし…もしもだ。万が一、お前が倒れたとしても…」
 するとすぐ、彼がこちらの言葉を片手で軽く遮ってきた。
「あぁもういい、わかったわかった。――ナルトや、サスケや、彼らの仲間達がいることを忘れるな、だろ?」
「あぁ。――そういうことだ」

 研究員に聞いて初めて知ったのだが、麦という植物はより丈夫に育てるために、他の植物とは違った独特の育苗行程を経るのだという。
 どういうことかというと、まだ寒い時期にもかかわらず、麦がようやく柔らかな芽や根が出て伸びだしたところで、上からわざと踏みつけるのだ。それも一度ではなく、何度も。
 普通の植物なら、それでダメになってしまうものも多いだろう。自分も「麦踏み」という言葉は聞いたことがあったが、実際説明されたときには信じられなかった。けれど、こと麦に関してはそうすることでより多くの根が出て、一層倒れにくく逞しい苗が育つのだという。
 きっとそれは、人も同じだ。民の意思の根を絶やすことなど、どんな強大な武力を持ってしても出来はしないのだ。
(要するにオレは…)
 ただこの地で、そいつを証明して見せたいだけなのかもしれない。

 同行の研究者らが保存してあった麦のDNA解析をしたところ、日本に古来からある麦も、実はこの地から遠路遙々伝わっていった可能性が高いことがわかっている。つまりこのプロジェクトは、「ご先祖様の凱旋復活」という側面もあるわけだ。

(祈り、か…)
 礼拝の時間だと言って車を止め、方位磁石で位置を確認して、一人冷えきった大地に深く頭を垂れている男を車内からじっと見つめる。
(お前の祈りが、お前の信じる神とやらに通じるといいな)
 多分これからも、オレは祈ることはないだろう。
 けれど、誰かのために己を捨ててまで祈れる奴の力になるのは、言うほど嫌いじゃない。



   * * *



 一行を乗せた車は、途中で一度給油と食事をした以外はどこにも長居することなく、再び賑やかな市街地を抜けて空港へと戻ってきていた。
「――あぁーーっ、やっとかぁ。帰りはもう少しマシかと思ったんだがなぁー」
 駐車場に車が停まり、道路に降り立つや否や、同行者らが一斉に大きな伸びをしている。
「まだマシな方さ。街中でテロがあった割には、予定より早く空港に着いたんだからな」
 オビトがそう話している最中も、カーラジオが市街地で爆弾テロがあったことを盛んに伝えている。爆発の規模はこれまでニュースなどで見聞きしていたものと比べると小さいものの、犠牲者の数は時間を追うごとに増えていっている。
 確かにほぼ予定通り空港に着いた。だが空港に着くまでの間、渋滞中に延々その情報を耳にし続けていたせいだろうか。ここに来てもまだ全く「帰る」という気分になっていない。実際出発までには無闇に時間がある。
「じゃあそのテロの現場を取材しておきたいんだけど、いいかな」
「あァ?! じゃあ、なんだって?! いいわけあるか! さっさと帰れ!」
 オビトは大きな身振りでもって片手を振ると、「ったく何を言い出すのかと思ったら…」と、当然のように難色を示した。
「わざわざ渋滞にハマりに行って、帰りのフライトに間に合わなかったらどうするつもりだ。次の便は明日だぞ。その間どこで過ごす気なんだ。お前らの安全が保証されるような宿なんか、どこにもないんだぞ」と譲らない。
 けれど、こちらとしても来たからにはやっておきたい事があるのだ。この国の最も憂うべき現状を撮らずして、僻地の寒村やテント村、そして一見すると平和でのどかに見える畑作の様子だけを収めて帰ったとしても納得いかないだろう。それでは肝心な部分が大きく欠けてしまっている。


   * * *


「――ったく仕方ねぇな。そういう時だけ熱心に喋りやがって…。じゃあ乗れ。行くぞ」
 吹きさらしの道路で話し合うこと15分。ようやくオビトが折れる形で決着がついていた。説得には昔から自信がある。
「ありがとう。次に来るときには、ナルト達への支援物資も持ってくるよ。後で何が必要かリストアップしてくれ」
「ふん、調子のいいヤツめ。そんなものはもう一度来れたらの話だろうが」
「来れるよ」
「この国じゃ言葉は信じるに値しない。行動で示せ」
「わかった。必ず連絡する」
 だがもちろん、車に乗り込むのはオビトとオレだけだ。他の同行者は空港内で時間まで過ごす。現地での取材時間も、10分だけという約束になった。10分は幾らなんでも短すぎると再び交渉を試みたが、それについては失敗に終わっていた。オビトは「お前は例えカメラなしでも無駄に目立つ。長くうろつけばうろつくほど、反政府軍の目に留まりやすくなるからダメだ」と、最後まで頑として譲らなかった。更に『決して車からは下りない』、『窓も開けない』とも誓わされたが、これに関しても、その場に行ってからの判断が優先される類のものではないだろうか。
 でも今はまず、現場に向かって出発するのが何より先決だろう。村を後にして以降、まるで何もない荒野の如く漠としていた時間が急に明確な時を刻みだしたような気分に、はやりそうになる気持ちを抑える。
 砂埃で真っ白になっていたフロントとサイドのガラスを急いで拭き、車に乗った。
『もし万が一、時間になってオレが戻らなかったとしても、探さずに帰れ』と言い残して。




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