その後イルカは畳を這いずるばかりで、一歩たりとも外に出られそうになかった。こんな状態では、チャクラの練り方を教えるのも諦めざるを得ない。イルカは「やっぱこれも修行かなぁ」と、畳を匍匐前進しようとしていたが、オレが止めさせた。そのままいけば、明日の朝には酷い筋肉痛が上半身にまで及んで、寝込むのは目に見えている。
 だがその上半身しかまともに動けないはずのイルカが、突然何かを思いついたらしい。
 急に顔一杯にニシシ笑いを浮かべたかと思うと「じゃあさ、こんなのどう?」と、テレビの下の棚から何やら黒い機械類を引っ張り出しているのを見て、オレは僅かに眉を顰めた。
「えへへー、この箱の中の世界なら、俺もカカシと互角に戦えるよ。大丈夫! カカシならすぐにコマンドも覚えられるはずだから」
 所狭しと洗濯物が下がり、さながら密林地帯のようになった男の部屋で、オレは『こんとろーらー』とかいう小さな黒い板を手渡された。





(――あーあ、つまんないなー…)
 折角の日曜だから昨日みたく何処かに出掛けたかったのに、朝起きたら腰から下が全く言うことを聞いてくれなかった。
 しかも外はいつの間にか雨になっていた。洗濯物を干していた事を思い出し、体の痛みに堪えながら大慌てて取り込むも、既に干す前どころかそれ以上じっとりと湿ってしまっている。あ〜あ、またやっちまった。しっかし洗濯物って、どうしてこうも取り込むの忘れるんだろう? 窓の外にあるのがいけないのかな?

 殆どカカシに手伝って貰いながら、室内に洗濯物を干し、これまた殆どカカシにやってもらう形で、パンと目玉焼きとミルクの朝食を摂る。彼は何をやらせても手際が良かった。聞けば「常に数手先のことを考えながら行動している」かららしい。
「ふーん、でも戦闘中なら当然としても、日頃からそんなことしてたら疲れない?」と訊いてみたのだが。
「普段からやらずに、どうして戦闘時だけ出来る? 大体先読みをしないで、無駄な手間が増える方が余程疲れるだろう」
 だそうです。たはー、やっぱ上忍師の姿勢は違う。彼から見れば、俺なんて無駄の中に埋もれて暮らしてるように見えるんだろうな〜…ハハハ…。

 そしてそんなカカシに、ふと(何か一つでいいから勝ってみたい)と思った時、目の端に暫くやってなかったゲーム機が目に入ったのだった。
(あ、これこれ! これがあった!)
 これならきっといい勝負が出来る気がする。
 俺は畳の上を夢中で這いずって行くと、半年ほど前に買ってある程度まではやり込んだものの、暫く放置状態になっていた忍者格闘ゲームを起動させた。

「――そう、このボタンでコマンドを入力して、術を発動するんだ。主なボタンは○と△と+、それにこの←→↓↑の矢印だから、確かに組み合わせは結構あることはあるけど、適当に押してればそのうち覚えるから」
 何ていい加減な説明だろう。
(でも後はやりながら説明すればいいよな?)
 だって万が一にも俺がこのゲームに負けるようなことがあったら、この次元代表の海野イルカは、向こうの次元代表のはたけカカシに何一つ敵わないことになってしまうのだ。それは正直口惜しい。さっきの雷切のお返しもしたい気がするし?

「要するにだ。オレがここの紋様を押して印を結ぶと、画面の中のこいつが術を発動するという絡繰りだな?」
「そういうこと」
「フッ、なら簡単だ。オレ達木ノ葉の印は、基本的なものだけでも十二もある。七つ八つくらいなら訳もない。しかもこれは印自体も短いものばかりだしな。見てろ」
 カカシは自信満々できっぱりと言い切った。くっそ〜、男前が余計に男前になってるよ。でもそれ以上好きにはさせないぞ!
 実は今しがた、CPUのカカシ相手に俺が大蛇丸を使ってあっさり勝ったところだった。だがそれを見た彼の目の色が、突然変わったのだ。彼だって「これはゲームなんだ」と頭ではちゃんと分かっているのだろう。けれど、自分が他里の敵忍…しかも大蛇丸にやられるなんていう疑似シーンは、例え遊びと分かっていても、誇り高き木ノ葉の上忍には到底耐え難い屈辱だったらしい。
 ネット上の攻略サイトにある『カカシの技コマンド一覧』を表示させてやると、彼は勢い込んで二十近くもあるボタン組み合わせ表を睨み付けた。本気で俺に勝つ気でいるようだ。
「あっ、でも写輪眼使って覚えるのはナシだよ? 俺の手元コピーするのとかも反則だからねっ!」
 慌てて釘を刺す。
「馬鹿馬鹿しい。そんなもの誰が使うか。たかがゲームだろう」
 そう言いつつも、指先で画面の一覧を辿りながら、ひたすら口の中でぶつぶつと小さく音読している姿は、とてもこのゲームを『たかが』と思っているようには見えない。

(うっわ、目がマジだよ!)
 いいから早く始めろと催促した上忍は、今にも画面に飛びかかりそうな片膝立ちの構えの上、慣れない手付きでコントローラを持ち、テレビ画面を一心不乱に睨み付けていた。
 いやあのカカシ? そんなに身構えなくても画面からは何も飛び出さないよ?

 対戦する前には、一応「イルカ先生の所に行くとね、基本操作を教えて貰えるよ?」とも勧めてもみたのだが。
「今更アカデミーなんか行けるか」と、あっさり却下されてしまった。
(ふっ…ふんっ! どうせ中忍イルカから教わることなんて何もないって言いたいんだろ! 悪かったな!)
 ちょっとふてくされる。
 中忍イルカ先生から術を教わってる上忍カカシなんて、なんかイイ感じな気がするから、是非見てみたかったんだけどな。つまんないの。
 いずれにしろ、ゲームに関しては物心ついた頃からやってる俺に一日の長がある。幾ら実戦で負け知らずの、木ノ葉を代表する天才業師とは言え、こればかりは付け焼き刃でどうにかなるものじゃない。
(悪いけど…雷切のお返しだっ!)
 自分も大概執念深い方かもしれないと思いつつも、このゲーム中、一番手強いと言われているキャラを選択する。対するカカシが選んだのは、もちろん自分自身だ。
 かくして「はたけカカシ対薬師カブト」の“因縁の対決”の初戦は、容赦なく俺が勝利を収めた。
(やった! 薬師さん、俺やりましたよ! こっち次元代表海野イルカ、はたけカカシから見事一勝をもぎ取りましたっ!)
 腹の中で思い切りガッツポーズをする。
「よし、もう一回だ。大分コツがわかってきた」
 上忍は前のめりに身構えていた体を崩し、胡座をかいた楽な姿勢をとり直しながら、自信ありげな様子で促してきた。
 夢中になると、プレイ中すぐに変な声が出てしまう俺と違い、カカシは終始無言だ。こんなに面白いゲームなのに、信じられないくらい冷静で落ち着き払っている。
「えぇホント〜、ホントに分かってるぅ〜?」
 俺は冷やかし気味に声を掛けた。だが、画面の方を向いたまま「早く始めろ」という上忍の言葉に押されて、渋々スタートボタンを押す。

 二戦目。
 冗談でも虚勢でもなく、カカシは本当にコツが分かってきているみたいだった。よくよく見ていると、彼は同じ失敗を二度していない。
 俺はバカみたいな奇声を散々に発した挙げ句、キャラの持つ素晴らしい回復力のお陰で、辛うじて逃げ切るようにして勝った。
「ウソ…何でいきなりそんなに出来んの?」
「言っただろう。印を覚えて結ぶのは容易いと。大体お前の攻撃パターンは単純で分かりやすいしな。この程度ならウチの下忍達の方が遙かに読めないぞ」
 ガーン。
(俺ってナルト以下?! …っていうか、ナルトは意外性ナンバーワンだから、俺とは対極にいるってことなのかー?!)
 たかがゲーム、されどゲーム。

 そして三戦目。
 何とかして意外性を発揮しようとした俺は、やり慣れないことを試みたせいで最初からボロボロだった。更にカカシの驚異的な順応力の前に、早くも手痛い一敗を喫する有様だ。
「――ふっ、カブト、貴様の能力見切ったぞ。お前は接近戦しか脳がない上に、決定打となる奥義を持ってないな? 回復能力があるからって、大人をナメるなよ」
 画面に向かい、上忍は不敵な笑みを浮かべている。
(す、鋭い…!)
 今の指摘で俺も初めて気付いたんだけど、言われてみれば確かにその通りだった。
(こっ…この人ゲーム初体験の上まだ対戦三度目なのに、もう早くもそこまで読んだなんて…?!)
 俺は上忍の鋭い観察力と洞察力、そして抜群の応用力や記憶力の良さに舌を巻いた。
(うあぁ〜薬師さんすみません! やっぱ俺じゃ無理でした。海野イルカ、一から修行のやり直しです…)
 社内きってのオタクであり、天才肌なところがある先輩に向かい、心の中で凡人代表として詫びを入れた。でももし実際に、薬師さんがカカシと対戦したら、結構いい戦いになるんじゃないかという気がする。まだ彼の事は薬師さんはおろか、他の誰一人として話してないのだけれど、天才同士だから話も合うかもしれないし。
 近いうちに紹介したいなぁと思った。


 その後も俺は意地になり、次々とキャラを替えてはカカシに対戦を申し込んだ。しかし彼はイタチや鬼鮫、大蛇丸とは闘うものの、それ以外のキャラとは対戦を拒否。幾ら遊びなんだからと宥めすかしても、どうしても首を縦に振ってくれない。その間にもカカシを持った彼のレベルはどんどん上がり続け、俺達の特性を素早く見抜いては痛いところを突いてくる。
 かくしてイタチ、鬼鮫、大蛇丸、カブトを操っていた海野イルカは、はたけカカシが操っていたカカシ及び暗部カカシによって、完膚無きまでに叩きのめされることになった。
「――まっ…負けました……降参、です…」
 俺はコントローラを力なく置いて、がっくりと頭を垂れた。
 きっとこの調子じゃ、俺が防御力の高い自来也や総合能力の高いカンクロウ辺りを持てたところで、結果は同じだろう。
 カカシは写輪眼を使わないで早くもこれなのだ。もしあの目を使ったなら、彼が世界中と繋がったネットゲーム界の王者になるのも時間の問題と思われた。
 まぁ彼がそんな次元に足を踏み入れるはずもないだろうけど…。

 だがそのカカシは、意外なことに俺が抜けた後もゲームを止めようとしなかった。「強」設定にしてあるCPU相手に何を始めるのかと思いきや、熱心に「お金」を集め出している。
「ね、何やってんの? そんなにお金ばっかり稼いで? ポイントの方は稼がないの? ポイント稼ぐとね、キャラをカスタマイズ出来るんだよ?」
「…あぁ? …別に、いらない」
 様々な高ランク任務を次々とこなし続け、お金ばかりひたすら貯め込んでいるカカシが、画面から目を離さないまま答える。
(ちょっとなに? カカシってそんなにお金好きだったの?)
 ヒーローカカシの意外な面を見た気がして、俺は何やら複雑な気持ちになる。
(んーでもやっぱ、肩身狭いのかもな…)
 木ノ葉の里でも、こんな勢いで任務をこなして高額な報酬を得ていたんだろうか。貯金とかも一杯あって、いい暮らししてたんだろうな。なのに俺ん家に来ちゃったばっかりに、毎日切り詰めた不自由な生活強いられて…。
 眉間にぐっと皺を寄せた、ちょっとおっかない顔の上忍は、すっかりゲームの世界に没頭してしまっていて、どうにも話しかけづらい。
(ごめんなカカシ、俺もっと稼げるようになるからさ…)
 次々と移り変わっていく画面の中の異世界を、ぼんやりと見つめた。




「……よし、Sランク任務完了!」
 その声にびくっとして目が覚めた。いつの間にかベッドの上でウトウトしてしまっていたらしい。
「ぅ…ん?」
 目を擦りながらカカシの方を見やる。
「あぁー、やっと終われる…!」
 そう呟くと、上忍はコントローラーを脇に放り出すや、畳の上にどさりと体を投げ出した。
「え?」
 俺はのろのろと起き上がりながら、まるで焦点を結んでいなかった目を何度も瞬かせた。よくよく目を凝らすと、画面に見たことのない文字が表示されている。
「…え? なになに? …『Sランク任務“木ノ葉復興のために”完了』…って、ちょっとなにこれ?! この任務クリアするためだけに、最高額の一千万両を何時間もひたすら集めてたわけ?!」
「ん? まーね。――あぁ〜畜生、お陰で頭イタ…。また下手くそな幻術にやられちまった。くそー、ゲームなんてもう絶対やらないからな!」
 カカシは畳に倒れたまま、眉間を指でつまんで苦悶の表情を浮かべている。
「なっ…なんで…そんな…」
「さぁーてね、何ででしょ。オレにも分かんな〜い〜」
 何時間も真剣になってやってたクセに、上忍はしれっとすっとぼけて答えた。その何かをはぐらかそうとするような姿に、なぜかムカッとくる。もう次の瞬間には叫んでしまっていた。
「分かんないなんて、嘘ばっかつくな!」
「……ハァ?」
「頭が痛くなってきたなら、一言「一緒にやろう」って言ってくれたっていいだろ。なんで黙ってるんだよ? 俺はなんだってカカシと二人でやりたいのに! そりゃ俺は要領悪いから時間かかるかもしんないよ? でもチームワークはどこ行っちゃったんだよ?!」
 一気にまくし立てた。カカシは突然のことに呆気にとられて、右目をぱちくりさせている。
「お願いだから、自分一人で何もかも全部背負い込まないでよ。何でもいい、どんなにつまんない事だっていいから、黙ってないで一言打ち明けてよ!」
「ちょっ…落ち着きなさいよ。これはゲームなんだからさー、そんなに熱くなんなくても…」
「熱くなってたのはそっちだろ! 頭痛くてたまんないのに、こんなゲームにっ…ムキに、なって…っ…」
 そう、これはゲームなのに。
(…木ノ葉の里の、復興のために……)
 カカシの顔を見ているうち、情けなくも体の奥から熱いものが込み上げてきた。
 目の前にいる、まるで悲しそうに見えない当の本人を見ていられなくて俯くと、堪えていたものが目から溢れだしてくる。
「ごめん…、ゲームなんて…勧めるんじゃっ…なかったっ…」
 向こうに帰れないでいるカカシがどんどん辛くなるだけなのに、木ノ葉の里を荒らした首謀者と対戦させたりして。
(…ごめん……俺…)
 調子に乗って何やってんだろう。
 上忍の何とも言えない複雑そうな顔が、ぼやけて見えた。




「…分かったから。いいからもう泣くな」
 オレは内心溜息をつきつつ、渋々イルカを宥めた。どうもこいつと居ると、自分のペースが乱されていけない。ゲームでは笑ってしまうくらい分かりやすい攻撃をしてくるくせに、時折行動が全く読めない時がある。
「……だっ…て、さ…」
「いいから。お前が泣くことじゃない。大人の癖に、赤ん坊みたいに泣くな」
「あっ、こんな時だけ大人扱いしてー! カカシが何も言わないからいけないんだよ!」
(なっ、オレのせい?!)
 こいつ無茶苦茶言ってるなーとは思うのだが、どういう訳か言い返す気にもなれない。
「はいはい、分かった。もう…いいからそこで寝てろ」
 赤ん坊のこいつを黙らせるには、手っ取り早く甘ったるくて温かいものでも飲ませるに限る。
 オレは立ち上がると、冷蔵庫の扉を開けた。

(まったく…恥ずかしげもなくぴーぴーとよく泣く奴だなー)
 ベッドに座り、ちーんと鼻をかんでいる男をチラ見ながら、また小さく溜息をつく。
 ふと気が付けば、雨はいつしか殆ど止んでいた。この分なら明日は晴れるだろう。今度こそこの密林状態になっている洗濯物を全部干しきらねば。
(…そういやオレがガキの頃にも、何かっていうとすぐに泣く、やたらと腰抜けなお節介がいたっけ…)
 ふとそんなことを思い出す。
(――なぁ、お前は…どう思うよ?)
 左瞼の奥に向かって問いかける。
 鍋の中の牛乳が、しゅんしゅんと笑った。





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