全国で一斉に行われる資格認定試験の会場は、いつも自分達が仕事をしているスクールの教室が指定会場の一つになっている。勿論俺はそこで受験をするのだが、こういう事には緊張しがちなタイプなので、その辺は有り難い。マシンも普段から使い慣れているものだから、とても助かるのだ。
(その上兵糧丸だもんな〜!)
 以前、いきなり全力疾走して足腰が立たなくなった時、カカシに三つに割ったうちの一かけを貰ったが、あの時の事は今でもはっきりと覚えている。体の内側からふつふつと信じられないくらい力が沸いてきて、冗談じゃなく(今なら空だって飛べるんじゃないか!?)と思った程なのだ。
 それの倍近い大きさのものを、さっき飲んだ。ならばきっと、すっかり忘れてしまっているような数字でも、ちょっと考えただけでスラスラ思い出せたりするに違いない。
(早くこの二級をクリアして、もっと沢山仕事貰って、次の一級の受験資格を得ないとな!)
(そうしてカカシに、一日も早く認めてもらわなくちゃ!)
 自分が今、とても中途半端な状況だっていうことはよく分かっていた。きっとカカシだって、俺がどのくらい半端な状態なのかは、ある程度…いやひょっとしたら俺なんかよりずっとよく分かっているかもしれない。
 でも彼にだけは、絶対にダメな奴だと思われたくなかった。認めて貰えれば、カカシはどこにも行かないでずっとあの家に居てくれる気がする。だから一日も早く、その証しとなるようなものが欲しかった。
 それに何より、教えることや学ぶことは嫌いじゃない。むしろ好き、ううんかなり好き。
 だから将来は子供達にパソコンだけじゃなく、もっと色んな事を教えられたらいいなと思う。そして彼等からも思いもよらぬ何かを教えて貰えたら、それこそどんなに楽しいか知れない。
 俺もようやく自分が進むべき方向を見付けて、本当の意味で頑張ることが出来始めたのだ。
 カカシには、その姿をずっと側で見ていて欲しかった。

(よぉ〜し、やるぞーッ!)
 席について試験官の説明を聞いていると、兵糧丸の威力と相まって、俄然凄い力が沸いてきた。最初の試験項目は文書や表作成の実技だが、もう説明はいいから早くやらせて欲しいという気になる。
 気合いは十分どころか十二分以上だ。試験の監視役として駆り出されて来ている一級資格保持者の薬師さんに向かい、小さくガッツポーズをして見せる。
 薬師さんは一瞬眉を寄せたたものの、すぐに小さく笑って中指の先で眼鏡をくいと押し上げた。
 俺にはその仕草が、「頑張れよ」と言ったように思えた。




(すっごいな、まだ体が軽いや!)
 この間までは酷い筋肉痛で、手すりに掴まらないと上り下り出来なかったスクールの非常階段を、俺は一つ飛ばしで一気に駆け下りる。
 試験は結構手応えがあった。…と思う。筆記の方でどうしても思い出せない部分が幾つかあるにはあったが、実技と合わせて合計で七十点以上あればいいのだ。
 その位の自信はある。…と思う。
 帰りに季節外れのサンマを探し歩く足も、いつもよりずっと軽かった。カカシには夜遅くまで起きていて迷惑もかけたから、今日は頑張って彼の好きな夕食を作るつもりだ。だからスーパーでぴかぴかの立派なナスが一袋九十八円で買えた時には、そのまま走って家に帰れそうだと思ったくらいだ。
(カカシ、何か言ってくれるかな〜)
 楽しみで堪らない。
 馴染みのコンビニでビールを買いながら、(時空間移動忍術で、一ヶ月後に発表される結果を今すぐ二人で確かめに行けないかな?)などと思った。




「たっだいまぁ!」
 安物の合板で出来た薄い玄関のドアを開けると、カカシがいつも通りパソコン机で本を読んでいるのが目に入った。その何にも惑わされず動じないマイペースな姿は、やっぱり上忍でありヒーローだなぁと思う。もしも自分が待つ方の身だったら、それこそ何も手に付かなくて、本なんてとても開けないだろう。
(しかも俺がピンチの時は、いつも必ず助けてくれるし!)
 もの凄く古くて汚い家のはずなのに、その空間だけが間違いなく輝いて見えた。

「で?」
 上忍はごく短く聞いてくる。
「うん、とんでもない勘違いとかをやらかしてなければ、何とか大丈夫な気がする!」
「そうか」
 その瞬間、カカシの口元が少しだけ綻んだ気もするけど、かなり微妙な感じ? うーん、出来ればなんかもうちょっとこう、分かりやすいリアクションが欲しかったけど…まぁいいか。
「これもみんなカカシのお陰だよ。今日は張り切って夕飯作るからね。ちゃんとサンマとナスと、乾杯用のビールも買ってきたから」
「随分と気が早いな。大体オレは何もしちゃいない」
 上忍はなぜかこっちを見ないまま、明後日の方向を見て喋っている。
(あれれ、もしかして……柄にもなく照れてる?)
 何だか嬉しくなって畳みかける。
「ウソウソ、ご謙遜を! やっぱり木ノ葉特製の兵糧丸の威力は凄かったよ〜」
「ハァ、兵糧丸ねぇ…? …そんなものはもうとっくの昔に底をついたと思ったが?」
「――えッ?!」
「確かお前が無茶な走りをして立てなくなった翌日から、揺り返しの症状を緩和させるために、残っていた最後の二欠けを少しずつ夕飯に混ぜた気がするが……あれは気のせいか?」
「じゃっ…じゃあ、今朝くれたやつは…?」
「んー? ただの胃薬」
「な…ッ」
 ガン、と何かが勢いよく頭にぶち当たった感覚。
「前のとは味も匂いも違っただろう? お前は確認もせずに、噛まずに一気に呑み込んだようだがな」
(う…そ…)
 でもよくよく思い返してみれば、確かに前の時みたいな爆発的な力は……出てなかった…かも…?
「まっ、言うなればこれも一種の幻術ってところだな」
 上忍は特に悪びれた様子もなく、しれっと言っている。
「そっ、そんなぁー! あの薬って偽物だったの?! 俺、ホントに本気だったんだよ? なのにいいように騙されてたってこと?!」
「イルカ」
「俺って、また一人でバカみたいに浮かれてただけなんだ?!」
「イルカ」
「そりゃあ俺なんて、カカシから見ればこれ以上ないくらい騙しやすいヤツなんだろうけどさ!」
「イルカ」
「もうっ、なんだよ!」
「試験には手応えがあったんだろう? ならあれがどんな薬であれ、お前にとって何らかの意味はあったってことだ。違うか?」
「ぁ…」
「それに兵糧丸に頼らない、自分の中に眠ってた本来の力が出せたんだろう? 何故そんなに怒ることがある?」
「――ぁ…? うん。そ…か。そうだよね。――ごめん、何だかカカシに嘘つかれたような気がして……つい…」
「嘘か。ついたねぇ」
「ううん、やっぱいいや。だってさ、薬のお陰で力が出てたら、次からも『薬が無くちゃ無理だ、絶対出来ない』って、きっと思うから。でも薬がなくてもあそこまでやれたんなら、次もまたやる気になれば出来るってことだもんね?」
「ま、そうなるか」
「騙してくれたカカシに感謝しなきゃね!」
「…別に、いい」
 カカシはそう言うと、そそくさと読みかけていた本に視線を戻した。

 勿論その日の夕食は、日頃の感謝の意味を込めて、いつも以上に気合いを入れて取り組んだつもりだ。
 ただ焼きナスの皮を剥くのに夢中になっていて、またサンマを焼いていることを忘れてしまっていたのだけれど。
 でもそれも、カカシが風呂から腰タオル姿で飛び出してきて「おい! 魚、焦げてるぞ!」と言ってくれたお陰で、ギリギリ助かったし。
(俺達って、もうチームワークも完璧っ! ……だよね?)
 上忍が満足そうに好物をつついているのを見ながら、俺は久し振りのビールの味に酔いしれた。





「じゃあ行ってくる!」
 試験明けの月曜の朝は、朝から雨だった。
 俺はビニール傘の白い柄をおでこに斜めに当て、ぴっと敬礼の真似をする。
「あぁ」
 カカシがいつものようにちょいと小さく手を上げ、返事を返す。
「今日はどこに行く予定?」
「雨だからな。本でも読んでるさ」
「ん、分かった」
 今朝は出掛けにそんなやりとりがあった。
(なるべく早く帰らなくちゃな…)
 思いながら、会社の入っているビルの階段を足早に上る。
 俺は最近筋肉痛が解消した後もプチ修行と称し、エレベーターやエスカレーターに乗らずいつも階段を使っている。最初の頃はきつくてきつくて、もうダメだ、もう止めようと毎日思っていたけど、カカシの足手まといになるのだけは避けたい一心で続けてきた。お陰で数週間が過ぎた今では、スクールのある五階に上がるくらいは割と平気になってきている。ちょっといい気分だ。
「おはようございます!」
 事務室のドアを開けた。


 いつも通り出勤した俺に、薬師さんが声を掛けてきた。
「おはよう。海野君、昨日の試験どうだった?」
 丸眼鏡の向こうで、目が優しく笑っている。薬師さんはいつも物腰が柔らかで、怒った所なんて見たことがない。でも実は凄い電脳オタク系で、髪型だって長髪を下で束ねてる如何にもな感じなのに、そんな雰囲気をあまり感じさせない。
「はい、まぁ何とか七十点ならいけそうな感じです」
「そう、良かったじゃない。昨日随分気合い入ってたから、空回ってないといいけどなぁと思ってたんだ」
「あ、分かりました? いやホントそうなんですよ、俺、てっきり兵糧丸飲んだと思ってて。確かに空回ってたかも…アハハ〜」
「…? 兵糧丸?」
「あ、ええはい。…いやあの〜、実は薬師さんに一番最初のきっかけを教えて頂いたようなもんなんで、最初にお話しておきますとね?」
 声をひそめ、ちらりと時計を見た。大丈夫だ、一時限目が始まるまでに、まだ少し時間がある。窓口に事務の人が居るだけで他には人影もない。
「なんだい? 急に改まって」
「実は今、俺の家で一緒に暮らしてるんですよ」
「ん? 誰がだい?」
「はたけカカシが」
「―――――」
「あはっ、やっぱり薬師さんでもびっくりしましたぁ? や、そりゃそうですよね〜! 俺も最初は信じられなかったんですけど、これは嘘でも冗談でも何でもないんです。本当に正真正銘本物の、薬師さんが教えて下さった忍者漫画の中にいる、あのはたけカカシ、その人なんですよ!」
「――はたけ…カカシ…?」
「ええ。あの木ノ葉の里の、上忍の。ほらー、左目に写輪眼持ってる、凄く格好いい銀髪の忍者ですよ、居たでしょう? もちろん忍術も使えますよ。俺、何でか彼を口寄せしちゃったみたいなんですけど、どういう訳か元の世界に帰れなくなっちゃって。今そのまま一緒に暮らしてるんです。それでね、彼に試験の日に兵糧丸貰ったら、それがもう全然違ってて。参っちゃいましたよー」
「海野君」
「はい?」
「君まだそんな本読んでたのかい?」
「――へ…っ…?」
 薬師さんに向かってニカついていた顔が、そのままの形で固まってしまった。彼の声音には冗談とか親しみじゃなく、卑下というか嘲笑みたいなものが色濃く混じっているようにも感じて、次に何と言うべきなのか言葉が見つからない。
「まったく…一体何を言い出すかと思ったらそんなこと?」
 彼は苦笑しながら中指で眼鏡をくいっと上げる。
「そっ…そんなって…。俺にあの漫画が面白いよって紹介して下さったの、薬師さんじゃないですか!」
「は? …あぁごめんごめん。まぁ確かにそうだけど、まさかそこまでイッちゃってるなんて思ってもみなかったから。ちょっとびっくりしちゃって」
 笑いながらそう話す薬師さんは、とにかく滅茶苦茶に頭がいい。記憶と応用の範囲が半端じゃなく、色んな漫画やアニメは勿論のこと、ゲームやネットなど、その辺から派生するありとあらゆるオタクジャンルに信じられないほど精通している。以前「会社には内緒だよ」と言いながらこっそり教えてくれたのだが、昔彼はアジアンハッカーとしてもその筋では有名な人だったらしい。いや、勿論今では足を洗っているのだろうけど。
 でもだからこそ、彼ならこんな突拍子もない話でも興味を示して、色々話を聞いてくれると思ったのだ。それだけに正直ちょっとショックだった。
「へーやっぱりどこにでも居るんだねぇ、現実と虚構の境目が無くなっちゃう人って。でも君みたいに気合い入ってるのは初めて見たよ」
 言いながらも吹き出すのを堪えるような感じで、口元を歪めている。
「ちっ、違います! 本当なんですよ。信じて下さい。気合いとかそんなんじゃないんです。俺、はたけカカシと一緒に住んでるんです! 友達なんです!」
「ふふふ、海野君て意外に面白い人だったんだね? じゃあ今日さ、家に帰った時にそのカカシの写真、携帯で撮って送ってよ。あ、でも気合いの入ったレイヤー君じゃないっていう証拠に、雷切かなんか発動してる所がいいな」
 にこっと優しく微笑まれて、ついついいきり立ってしまっていたトーンが自然と下がる。
「……わっ、分かりました…っ」
 とはいうものの、あのカカシが雷切なんて出して見せてくれるかなぁと、内心ちょっと心配になった。でもこの際仕方ない、事情を話して頼み込んでみるしかないよな。
「あぁ、それと家に帰るまでの間に、カカシの存在とか疑っちゃダメだよ?」
「は? どういう、意味ですかそれ…」
「だって、もしそのカカシが海野君の完璧な妄想の賜だったらさ、疑った瞬間君の目の前から消えて無くなっちゃうだろうからね」
「そんな! 疑うなんて、有り得ません! 違うんです、そういう存在じゃないんですって〜!」
「そうそう、その調子その調子。君が素に戻っちゃったら僕も面白くないからさ」
 そしてまた優しい目元でにっこり。
「おっ…俺はいつも素ですよっ! それより写真撮ってきたらちゃんと認めて下さいよ?!」
「もちろんだよ。そしたら僕も是非会ってみたいな〜」
「そりゃまぁ…、カカシがいいって言ったら、遊びに来て下さっても…、ただ恐ろしくボロい家ですけど」
 でもカカシ、いいって言ってくれるかな? 両次元を代表する二人の天才があれこれ色んな話をしてる所なんて俺にとっては夢の共演だから、何とか実現して欲しいんだけど。
(ただそうなったらそうなったで、一体何の話してるのか、俺には全然理解できなかったりして…)

 薬師さんは「いいねぇ、直接対面。楽しみだな」と、嬉しそうにククッと笑った。










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