(……ぁ…、やっぱいるよ…)
 一睡も出来なかったベッドからのっそりと起き上がった際、パソコン椅子に腰掛けていたカカシとぱちりと目が合って、(あぁやはりこれは夢じゃないんだ)と、どこかぼんやりと再認識する。
 何をどう試みても全く、一睡も出来なかった俺は、たった一晩でげっそりとやつれ、ふらつきながら風呂場へと向かった。間違いない、今朝は近年にない、最悪のスタートだ。(それでもテレビだけは点けるのを忘れないのだから、習慣とは恐ろしいものだということも再認識)

 まるで焼けるようだった顔の痛みは、ようやくおさまっていた。だが傷口は夕べと何ら変わらず、くっきりとそこにある。悪化は論外としても、内心(もうちょっと何とかなってるんじゃないか)と期待してたのに、本当にごく普通の傷薬程度の効力しかなかったとは…。
「……サイッテー…」
 風呂場の鏡に向かって小さく呟いた。しかし、カカシはとんでもなく耳がいいらしい。すぐさま賑やかなテレビの音に混じって、キツイ言葉が飛んでくる。
「当たり前だ。傷を作るってことは、それだけ己が未熟な証拠なんだ。せいぜい反省するんだな。修行中につくった傷まで端から治して無かったことにしてたら、いつまで経っても何も学ばないだろうが」
「ひッ、ひっでぇ〜!」
(付けたくて付けたんじゃない! 大体修行ってなんだよ!ここはハイテク都市TOKYOなんだぞ!)
 思わずムッときて、(それって医療忍術を会得してない人の言い訳なんじゃないの?!)とやり返しそうになったが、すんでのところで呑み込む。
「…………」
 するとあとは唇をへの字に曲げて、黙り込むしかなかった。

 ちなみに、湯飲みのお茶はいつの間にか空になっていた。
 くっそー『カカシの素顔を見てやろう作戦』の初日は、見事に失敗だ。
「仕事――いって、くる」
 後ろ手にドアを閉めて、鉄の階段を駆け下りる。
(この傷、会社で何て言い訳しよう…、うわー薬師さんに真っ先に冷やかされるぞ、マズイな〜)
 けれど遅刻寸前で仕事場へと走る己の足は、殆ど寝てない割にはそこそこ軽い気がした。





「――えっと……ただ、いま…?」
 転がるように仕事から帰って来て鍵を開けたまではいいけど、そこから先、おっかなびっくりで少しだけドアを開く。
(…うわ、やっぱ居るよ…!)
 隙間から部屋の奥を覗くと、パソコン椅子に腰を掛けてこっちを見ている男と真正面から目が合って、俺は思わずうっと頭を仰け反らせた。
 今日はげっそりしつつも普段通り出勤して、薬師さんをはじめとする先輩や生徒さん達に傷の言い訳をしながら、一日夢中で講義をしていたのだけれど、そのうち怒りなどすっかりどこかに消え去っていて、またもや夕べのことが夢なんじゃないかと思えてきていたのだ。
(でも、やっぱりこれは夢じゃないぞ!)
 俺って、憧れのヒーローと一緒に暮らせるのかも?! それってもしかしないでも、かなりラッキー、だよな?!
(年賀状の切手シートだって、生まれてこのかた一度も当たったことないのに!)

「お待たせー! 腹減ったろ!?」
 部屋に上がるなり、二人分の弁当が入った袋を勢いよく銀髪男の前に差し出す。どうしてもまだ“カカシがウチに居る”という確信が持てなくて、ビールまでは買ってこなかったけど、明日からは付けさせて貰おうと思う。
 但し、発泡酒で我慢してね?

 着替えながら『今日は一日どうしてたの?』と問うと、彼は俺が仕事に出ている間も一切外出せず、一通り簡単に使い方を教えておいたパソコンやテレビを見て、一人で過ごしていたという。
 なのにどうしたというのだろう? 彼は眉間に皺を寄せ、酷いしかめ面をしていた。カカシのしかめ面は右目部分だけなのに、凄みがあってかなり怖い。
 浮かれた勢いで先に弁当を開いてしまっていたものの、その表情に気付いて恐る恐るどうしたのかと聞くと、頭が痛いのだと言う。
「テレビはまだいいとしてもだな…、こっちのぱそこん? これの画面を見てると、目の奥がチカチカしてくる」んだそうだ。
「この世界のことを知るには、そこのテレビと…いんたーねっと…? とかいうのがいいと言うから、見てやったがな…」
 言いながら、黒い皮手袋から伸びた指先で眉間の辺りをぎゅっとつまむ。
「かかりの悪い幻術と大差ないぜ…ったく…」
 写輪眼を入れたばかりの時でも、ここまで酷くはなかったとこぼす。
「はははっ幻術じゃないよ。世界中と繋がってる、高度な情報網さ」
「はっ、高度ねぇ。…まぁ確かに情報量が凄いってことは認めるが、アンタ四六時中こんなもんに囲まれてて、よく平気だな」
 今朝、出勤前に「お前、生業は何をしている?」とカカシに聞かれて、「このパソコンの使い方を教えてる」と答えたのだが、その俺の事を「全く呆れた男だな」と彼は溜息混じりに評価した。
 内心(俺にあんな薬塗らせたヤツがよく言うよ!)とも思ったけれど、一応木ノ葉の上忍である彼の体面を尊重して、突っ込むのは止めておく。
 しかしネサフってそんなキツイかぁ? あぁ片目だからか? 自分は少なくとも毎日十時間はモニタを見ているはずだけど、頭痛なんてなった試しがないんだけどな。


 その夜、俺はかなり興奮気味にコンビニ弁当を食べ終え、意気揚々と風呂から上がったはずだった。なのにベッドに腰掛けて一息つき、さぁこれでようやくカカシに色々訊けるぞとなった途端、それこそ何かの幻術にでもかかったかのように、ドッと眠気が襲ってきた。
 カカシがかけている訳じゃないことは分かっていた。夕べ一睡もしてないから、ごく当たり前のことが普通に起こっているだけだ。そしてそれに抗うだけのチャクラが、残念ながら今の俺には残ってなかった。

「――歯ブラシとタオルは風呂場にあるから。昔出張した時に、宿から貰ってきたやつだけどさ…」
「――その毛布、好きに使っていいよ。俺が昼間居ない時なら、ここのベッドで寝ていいし…」
「――俺、朝は食べないんだ。でも腹減ったらそこの冷蔵庫とか、戸棚にあるもの適当に食って…いいから……

 何をどこまで話しただろう。途中から記憶が曖昧で、よく覚えていない。
 でも最後の方で「まぁだからさ、ずっとここにいてもいいってこと。むしろいて欲しいっていうか」と言ったことだけは覚えている。それだけは間違いない。




 翌日、夕方。
 いつものコンビニで、昨夜と同じ弁当と発泡酒を二つずつ買って大慌てで戻ってくると、カカシはまた酷いしかめ面をしていた。
「――こっ…今度は、どうしたの?」
 びくっとして部屋の真ん中で立ちすくむ。前日に、モニタ類は頭痛の種だと言われたため、出掛けにそれらは全部消してから出て行ったはずなのだけれど。
「イルカお前、本当に25なのか?」
「は? そうだよ。なんで?」
「なら何で家に書物がない。この活字の少なさは異常だぞ? これで任務先と家とをただ往復してるだけじゃ、いつまで経っても中身は子供のままだぞ?」
「よっ、余計なお世話っ!」
 思わず声を荒げてしまう。
 どうやらネットでの情報収集を早々に放棄したカカシは、今日一日書物を求めて部屋中の本を手に取ったらしい。
 確かにウチには本は殆どない。俺が必要とする程度の情報なら、どんなものだって今やネットと駅前の古本屋に存在していると言っても過言ではないからだ。(でもだからと言って、その世界で頻繁に情報を得て活用しているかというと、全然そうでもないのだけど…)
「あっ?! ねね! じゃあさ、そこのコミックス、見たっ?」
 勢い込んで指をさして訊ねる。だって彼があの本を読む光景を是非見てみたいし、感想だって聞いてみたいじゃないか。
「あァ? 漫画? 見る訳ないだろうが」
 あっさり「そんな場合か」と一蹴される。俺がこの本でカカシの世界を見知っていると聞かされていても、今それを悠長に読んでいる場合ではないらしい。
(自分だって普段はイチャパラばっか読んでるクセに!)
 でもそのツッコミは、またもや喉の奥へと呑み込まれた。
 人前ではそうだとしても、その裏では日々膨大な知識を得ているであろう人物であることは、容易に想像がついたから…。


「こっ、子供のまんまって…言うけどさー…」
 テレビの前のガラステーブルに弁当を広げ、一人でもそもそと食べていると、流石にちょっとだけ言い訳したくなった。
「だって…だって俺、別にこれといって趣味とかないし…。酒だって強くないし、お金もないし、ずっと帰宅部だったからスポーツもあんま得意じゃないし…。だから自分が何に熱中したらいいのか、まだ…その…良く分かんないっていうかぁ…」
 自分で言いだしておいて、言い終わったら内心ちょっと凹んだ。
「――――」
 パソコン椅子に座ったカカシは、渡された弁当には手を付けず、黙ってこちらを見ている。
 俺が家にいる間、彼はどんなに勧めても、決して一緒に弁当を食べたり眠ったりしない。見ず知らずの異世界で、無闇に隙を作ったり、口布の下を見せたりするつもりはないのだろう。
 この世界に「上忍・はたけカカシ」と仲良くなりたい者は大勢いても、首を狙う輩なんて絶対居やしないのに。
 そんなカカシの沈黙が痛くて、つい何でもいいから喋りたくなってしまう。
「だっ…だから俺も色々考えてさ、一人暮らし始めた時は、絶対にこっちで親友って呼べる人作ろうって、思ったんだよ? 思ったんだけど………」
「――けど?」
 あまりに俺の続きが遅いせいで、カカシに促されてしまった。
「……まだ…誰も。カカシがこの家に来た、最初の人…かな。…アハハ…」
「そ」
 カカシはそれ以上、何も言ってくれなかった。
「じゃあオレが友達になってやる」と言って貰いたくて、内心密かに期待してたんだけど、まだ早すぎたかもしれない。でもそうでなくても少しくらいフォローしてくれたって良さそうなもんなのに。案外冷たい人なのかな。
 え? もしかして、あまりのしょっぱさに引いちゃったとか? うわ〜なんかそれ、一番嫌かも…。

 こうして二日目の『カカシの素顔を見てやろう作戦』も失敗に終わった。
 しかも彼の前でうっかり自爆してしまい、『自分の素顔』なんてつまんないものを垣間見てしまう始末だ。うぅ…かなり自己嫌悪。






 突然だが、テレビというのは、一人で居る時は付けっぱなしにしていても、別にどうという事もない家電だと思う。
 ぶっちゃけ俺はテレビというものを『静かすぎる空間を賑わして適度に満たすための、便利な道具』だと認識しているのだけれど、これが二人となると、ちょっと事情が違ってくるようなのだ。
 特にカカシと居ると――…。

 三日目、木曜日。
 今日も彼のいる前でもそもそと夕食を食べ終え、シャワーを浴びて頭を拭きながら出てくる。
 と、モニタ類は頭痛がするから好きじゃないはずの上忍が、食い入るようにしてテレビ画面を睨み付けていた。
「えっ、なになに? 何か面白い番組やってる〜?」
 無愛想で口数の少ないカカシとでも、テレビを見ていればそのうち一緒に笑えるネタもあるんじゃないか? 俺はそう考えて、帰ってくるなりいつもテレビを付けっぱなしにするようにしていた。彼の言う「チカチカ」だって、慣れればそのうち大丈夫になるかもしれないし?
 だが、テレビに近付いてみると、若手お笑い芸人が司会の人気バラエティだったはずの番組は、いつの間にかかしこまってニュースを流していた。どうやら海を挟んだ隣の小国が、核を持っているとか何とか公表した、ということらしい。
 そのニュースの参考資料として、この国に核爆弾が落とされた時の映像を皮切りに、各国の核実験の模様が相次いで流されると、カカシはそこに次々と映し出されるきのこ雲を、片目を剥いて信じられないと言いたげな様子で見つめた。
「――やっ?!あの、カカシ?! もしかして、今かなり深刻モード入っちゃってる? だっ、だいじょぶ、だいじょぶだって〜! こんなのすっごい昔の話なんだよ? 今はホントーに絶対に大丈夫だから、ね? 全然安心してていいから。こんな事にはもう絶対になんないから!」
 俺は慌てて精一杯フォローした。こんなことが日常で起こっている世界だなんて、間違っても勘違いされたくない。少なくとも我が国は、もう長いこと平和が続く、豊かな経済大国なのだから。
 だが木ノ葉の里を…いや火の国を代表する軍人のカカシは、そうは受け取らなかったらしい。
「……この次元…、一体どうなってるんだ? こんな恐ろしい術を、何の躊躇もなく応酬しあえるものなのか? しかも何の罪もない一般人に向かってだと…?」
「や、考えすぎ! 応酬してないから!」
「じゃあ訊くが、イルカ、お前はこの核とかいう術が大戦の抑止力になっていて、こいつがこの先も本当に世界平和に貢献していく術であると、心の底から思っているのか?」
(ぇ…)
 その真剣な眼差しに思わず引きそうになる。そういう話とか空気は、正直ちょっと苦手だ。それがあまり良くない事だと頭では分かっていても、出来れば避けて通りたい系の話題かも…。
「…ぇーーと? …その〜〜あの〜…、んーと…、そこらへんはイマイチ良く分かんないかなー…とか……ハハハ〜…」
 そう俺が言い終わるのと、カカシが目と目の間を指先で押さえて長い溜息をついたのは、ほぼ同時だった。





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