「お待たせー」
 恐ろしく暇そうなスタンドで、ハンバーガーやおでん、フライドポテトなどを買い込み、ベンチの空いているスペースに並べる。白いテーブルも空いてはいたが、何となく向き合って座るのが照れ臭いような気がして、フェンス近くの青いベンチを選んでいた。
 既にカカシの座っている脇には、自動販売機で買ったお茶のペットボトルが二本並んでいるが、彼が手を付けた様子はない。
「土曜のデパートの屋上ってさ、意外と空いてんだね」
「――――」
 返事はないが、それも当たり前かと思い直す。彼はこの世界の事情なんてまだ何も知らないのだから、返事のしようがない。
 周囲には小じんまりした園芸コーナーやら、幼児向けの遊具やらがあるが、人は数えるほどだ。
 風もなく、柔らかな春の日射しが一杯に降り注いでいる。賑やかで忙しない地上と比べると少し上がっただけのここは、どこかゆっくりと時間が流れている気がした。これなら彼も周囲の目を気にせず、落ち着いて食事が出来るはずだ。
「腹減ったよねー。さ、食べよ!」
 勢いよく両手を合わせた。

「――あれ? 食べないの?」
 ハンバーガーにかぶりつき、お茶を口にした所で、ようやくカカシがまだ何もしてない事に気付く。
「さっきの事なら、気にしなくていいよ? あのテに限らず、街歩いてると勧誘ってすごく多いんだ。いちいち相手にしてたら大変だから」
「それはお前だろ」
 大当たり。
「…ッ! そ、そうだっけぇ? ってそうか、そうだね。カカシは何も喋らなかったもんな。あは、アハハハ…」
 笑って誤魔化す。
「――ヤの付く仕事って、なんなんだ?」
「エッ?――ぅわっ?!」
 脇に置こうとしていたペットボトルを、危うく倒しそうになって焦る。
「さっき言ってただろう。男の顔色が少し変わった」
 流石にカカシはよく見ている。
「あー…うん。えーとね。そう、言ってたね。――ええっとねぇ…」
「オレに、言えないことなのか?」
 すぐにぶんぶんと首を振る。
「ま、まさかぁ〜。……あ、そうそう! 忍者! にんじヤ…のヤだよ!」
 うん、咄嗟に思いついたにしては、我ながらいい回答だ。
(カカシに通用するかどうかは、また別問題なんだけど…)
 恐る恐る、上忍の表情を盗み見る。
「――フッ、お前もベッドから転がり落ちた時、頭を打ったクチだな」
 薄目の形の良い唇が、片方だけ僅かに上がっている。
「へ? ベッド?」
 だがカカシはその問いには答えず、口元に微かに笑みを浮かべながら、丁寧に両手を合わせた。



 ベンチでおでんなんかつついているのに、カカシのその姿はやっぱり見とれるほど格好良かった。
 誰でもいいから「俺の友達なんだよ、スゴイ人なんだ」って紹介して回りたくなる。
 でも実際には人目を避けて、こんな所に二人っきりで居たりするのだけど。
「……なんか、複雑…」
 思わず独り言が口をついて出てしまう。
「なにが」
「ん? や、何でもない。――それよりさ、カカシの世界の話、もっと聞かせてよ」
 この数日間、家に帰ってカカシが居なくなってたらどうしようと、内心気が気じゃなかった。なのにこんな時間が持てるなんて、本当に夢みたいだ。彼ともっともっと色んな話がしたかった。
「別に。話すほどのことなんて何もない」
「どんなことでもいいんだ。本当に何でも。家族のことでも、里の暮らしでも」
「ダメだ。外の者にあれこれ話すのは里の掟に反する。なら訊くが、そういうお前はどうなんだ。家族は?」
「えっ……」
 逆にカカシに質問されてしまい、俺は返事に詰まった。正直あまり触れられたくない話題だったから。
「家族……いるよ〜……」
 灰青色の瞳が、ちらとこちらを見たのが分かる。その神秘的な色は、片方だけなのに何でもお見通しっていう感じがして、下手な誤魔化しなんて到底効かない気がした。
「一人っ子だから兄弟はいないけど、両親なら居る」
 そう、俺はカカシの世界のイルカみたく、孤児じゃない。
 けれど何となく、面と向かっては話せそうになかった。やっぱりテーブルに座らなくて良かった、と密かに思う。
「ただ二人は…、もうかなり前から…別々に暮らしてるんだけどね」
「―――…」
「これからは二人とも、仕事が生き甲斐なんだって。随分前から離婚する話はまとまってたみたい。当時は俺が学生だったからしなかっただけで」
「そうか」
「パソコンも随分早くから買ってくれたし、色んな資格試験を受けるよう勧めてもくれてた。バイトも推奨派だったしね。あ、バイトってのはね、んーと…日雇い労働って言えばいいのかな。とにかく今思えば、一日も早く俺を独り立ちさせたかったんだと思う。俺が大学卒業して就職したその月に、離婚届出したくらいだから」
 他人にそんな話を打ち明けてみたところで、両親の気が変わって復縁する訳じゃない。この現実は決して変わらないのだ。だから誰にも話さないできたし、触れられたくもない。ずっとそう思っていた。
 カカシにだって、それについて特別何か言って貰いたい訳じゃなかった。出来れば俺に、その話題を振らないで欲しかったという希望はあったけれど…。
 でも彼は、こっちがびっくりするくらいあっさりと、何の迷いも澱みもなく答えを返してきた。
「親が共に居ようが居まいが、お前が二人の息子だという事実は、永久に変わらない」
「ぇ…?」
「要はその息子だという事実を、お前が一生誇りに思うか、隠さねばならぬと思うかだ」
「ぁ……」
 驚いた。本当に一瞬で心の内を悟られていたらしい。
 そしてその分かりやすい言葉は、彼が先に同じ道を通っていたことで図らずも生まれ、長い歳月の間に紡がれ研がれてきたものなんだろう。
「うん、分かった。ホントそうだね!」
 その言葉、大事にする。

 目の前には、先程までと何ら変わらない都会の風景が広がっている。
 でもそれらが、ほんの数分前までとまるで違って感じられる日が来るなんて、思ってもみなかった。
(へぇー、不思議。なんかの術みたいだな)
 自分にかけられていた悪い術が、一気に解けた気分だ。
 解印を切ってくれた、俺のヒーローはたけカカシに感謝。
(誇りに思うって、いい響きだな)

 眼下に瞬きだしたネオンの海を、結構きれいだよねと言いながら、俺達は暫し見つめた。




 街の明かりが全て灯りきった頃、俺達はデパートの屋上を後にし、再びオレンジ色の電車に乗り込んだ。
 たまたま空いていたシートに並んで座り、次々と通り過ぎていく向かいの車窓を、見るともなく見つめる。
(楽しかったなー…)
 特にお金をかけた訳でも、話題の最新スポットに行ったわけでもない。でも、とても満ち足りた気分だった。
 誰かと一緒に、同じ目線、同じ歩幅で歩くだけの事が、こんなにも楽しいことだなんて知らなかった。だって歩くなんて疲れるし、時間ばかりかかる面倒な移動手段だとばかり思っていたから。
(カカシは……どうなんだろ…?)
 彼はこの街を、この世界を俺と歩いて、どう思っただろう?
 ガタゴトと優しく電車に揺られ、心地よい眠りの淵に急速に身を預けながら、俺は遠くで小さく思った。


「――ッ?!」
 いい感じで体を預けきっていたものが、いきなりスカッと無くなる感覚に、心臓が止まりそうになる程驚く。
 すっかり眠り込んで脱力しきっていた身体が突然支えを無くし、大きく右に傾いていく。慌てて身体を突っ張らせ、目を瞬かせながら周りを見渡すと、カカシがサッサと一人で電車を降りている所だった。
 慌ててキョロキョロと周囲を見渡せば、いつの間にか最寄りの駅に着いてしまっている。うわ、ヤバ!
「ちょと…っ、待って!」
 周囲の失笑から逃げるようにして、俺はカカシの後を追った。



「もー、そんなイキナリ立たなくったって、一言声掛けて起こしてくれればいいだろ」
 イルカがムッとした様子で後ろから抗議してくる。
「子供じゃないんだ、甘えるな」
 オレは思わずぶっきらぼうに答えた。
 大体、大の男にずっしりと寄りかかられて、それを甘んじて受けていたこっちの身にもなれと言いたい。自分は寝入ってたから知らないだろうけど、こっちはたった10分間と言えど、どれだけ身の置き場に困ったと思ってる?
 向こうの世界じゃ、自分をあからさまに注視する者なんて居なかった。もっと目立つ容姿の奴が幾らでも居たし、例え見るにしても皆もっと上手く見る。
 それでも今日一日かけて、こちらの人々の好奇の視線に晒される事にも何とか慣れたつもりだったが、さっきの状況ばかりはどうにも頂けない。
「場所を、わきまえろ」
 急いでいる訳でもないのに、何故か歩みが早くなる。イルカが必死で追いかけてきているのが分かっているのに、歩を緩められない。
「ケチ、いい年した上忍のクセに」
「なにィ?」
(よっぽどすぐ立とうと思ったのを、他人のフリをしないで我慢してやったんだぞ?)
 立ち止まり、じろりと睨む。
「ひゃっ、ウソ、嘘です! すみませぇん!」
 ケラケラっと笑って身を翻すと、男は先に自動の改札を通り抜けていく。
 下ろした真っ黒な髪が真横になびいて、優しく鼻傷を撫でている。
(――たく…調子の良さだけは一人前だな)
 小さく溜息をついた。

「あ、ちょっとここで待ってて、すぐだから!」
 改札を出ると、イルカはそそくさと駅前の薬屋へと吸い込まれていった。見れば幾つかの薬を手に、店員と何やら話をしている。
(傷薬…か?)
 最初に修行用の薬を塗って以来、イルカは鼻梁に作った傷には何も塗っていないようだった。どうやら金がないというのは本当らしい。
 左目を開けて唇の動きを読もうとしたが、店内を忙しなく行き交う客達に遮られて上手く読めない。ならばと聞き耳を立ててみるが、背後の大通りを行き交う車の騒音や、店内に流れる騒々しい音楽に掻き消されて、何も聞き取れない。
 それどころか、今日は街中を歩いている間中ガスの臭いが邪魔をしていて、鼻さえロクにきかなかった。オレでこれなんだから、先日偵察を命じられたパックンらに至っては、よほどげっそりしただろう。
 この世界では、常に様々な感覚を研ぎ澄ませながら生きていくことなど、至難の業ではないだろうか。
(ん、待てよ…、もしかして色んな感覚を適度に鈍らせる事こそが、この次元での最善の処世術なのか…?)
 自分とイルカ達は、基本的なものは何ら違わない、同じ人間のように見える。ただ一つ、決定的に異なっているとすれば、「己が持ち得る力のどの部分を大きく伸ばそうとしているか」ではないだろうか。
 イルカ達の次元では知力を尽くし、徹底した機械化が。我々の次元では精神エネルギーの多様化が飛躍的に向上し、大きく花開いている。どちらがより幸せな道なのか? オレには分からない。
 多分それは、別次元から来たよそ者が決めるのではなく、その次元に生きる者達が決めることなのだろう。

(ならオレは、一体何の意味があってこの次元に来たというのか…?)
 この次元に来てしまってからというもの、もう何十回となく自身に問いかけた疑問を、また繰り返す。
 意味も分からず、命ぜられるままにひたすら人を殺めていた時期もあったというのに、今では別の次元に来た意味が分からぬと、見ず知らずの男の家でひたすら立ち往生しているだけとは。
(やーオレも変われば変わるもんだねぇ)
 無数の薬品が所狭しと並べられた賑やかしい店内に立つ男を、見るともなく見渡した。





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